‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

句集3冊

2009年2月11日 水曜日

夏石番矢句集『空飛ぶ法王』   --連作161俳句ーー

 この1集は、「空飛ぶ法王」がテーマ。あるいは季語と置き換えてもいいのだろう。ほんとうのところ、そう断定することで、この一書の中へ入ってゆけるのである。とにかく、すべての句が「飛ぶ法王」なのだ。そうして英訳をジム・ケイシャン。

   空飛ぶ法王百人寄ればただの闇
   魚は氷に映る空飛ぶ法王
   街は段差と老人ばかり空飛ぶ法王
   こわれた橋をいくつも過ぎる空飛ぶ法王
   たまには銀河で泳いでいるよ空飛ぶ法王
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

現代俳句文庫『澤好摩句集』  ふらんす堂刊

    鳥渡る棒高跳びの捧残り
   ものかげの永き授乳や日本海
   春惜しむ兎の耳の冷たさに

         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現代俳句文庫『九鬼あきゑ句集』  ふらんす堂

    くらやみに木は木と立てり盆踊り
    十月の頭小さく水馬
    新しき俎があり春の寺

黛執句集『畦の木』 2009年1月刊 角川SSC

2009年1月26日 月曜日

昭和五年生・「春野」主宰

五所平之助から手ほどきを受けて、その後「春燈」で安住敦に師事。

   朴の木に朴の花泛く月夜かな
   仏飯に湯気のひとすじ緑さす
   風の木になる梟の去つてより

上記の帯の自選句を見ると、やはり抒情派だと思う。

   祭笛吹くに遥かな眼をしたり
   鉄棒の匂つてゐたる西日かな
   接岸の擦疵しるき西日かな
   ひえびえと炎天に立つ煙かな
   下校児の一人は泣いて春の土手

どこを切り取っても、この作者の気配はゆるがない。

榎本好宏句集『祭詩』 ふらんす堂 2008年11月刊

2009年1月21日 水曜日

昭和12年生まれ。長年にわたって『杉』の編集長だった榎本さんは、表現に独特のことば選びをしている。それはすでに榎本調と言っていいだろう。

  独活食うて世に百尋も後れけり
  猫抱かせもらふ荷風の忌なりけり
  八重ざくら貧しきころは池へ石
  鷹渡るはずもなけれど遠見せり
  子供らに隠しどころや百千鳥
  糸を吐く夏蚕のほかは真闇にて

なかでも「猫抱かせもらふ荷風の忌なりけり」の句は、忌日の句としても秀逸。なんでもない日常の中に、ふ気がついた荷風忌を呟くように表現している。
榎本さんのお仲間である「件」の方々全員の鑑賞が豪華に栞になっている。

季語別 『櫻井博道全句集』 ふらんす堂 2009年1月刊

2009年1月10日 土曜日

6日の火曜日は志木のカルチャー教室の日。いつも一人ずつ俳人の代表作を教材にもっていく。その日は櫻井博道さんの句を20句ほどプリントして渡した。博道さんの俳句は、自然なことばで真髄をついているので、誰でも頷いてしまう。それは、初心者の教室でも確信した。

その日帰ってきて、郵便物を開いてみて驚いた。櫻井博道さんの全句集が送られてきたのである。博道さんとは一度だけご一緒したことがある。佐伯祐三のアトリエを訪れたことがあるのだが、他は忘れてしまった。奥様もご一緒だった。しかし、今回の送り主は妹の平林孝子さんなので、もしかしたら、奥様もなくなったのだろうか。なんだか不思議なものを感じながらお礼状を書いた。

収録は「海上」「文鎮」「椅子」椅子以後である。
当日、教室に持っていった博道さんの句を載せておくことにする。

駆けて来て父よりも子の白き息
ななかまど岩から岩へ水折れて
蕗の薹厨の水が田にしみて
岬へ発つ菜飯田楽たひらげて
春星うごく峡の切株眠れずに
春夜買ふ一握の釘菓子のごと
三月の桑畑のぼる男下駄
洋梨喰ふ夜はひたひたと沖にあり
向日葵を支へし棒も傾けり
吾亦紅眼を細めても夕日燃え
やはらかき凧の骨格引き降す
蜜柑狩一日渚のゆるるなり
冬日の象べつの日向にわれらをり
銭湯出てまた汗かきぬ海の駅
十二月八日味噌汁熱うせよ

余談だが、村松友視の「時代屋の女房」は家具屋さんだった櫻井さんの物置を借りた古道具屋がモデルである。古道具屋の主人は、作家の村松友視が友人だったようだ。映画もそこを使って作成した。

山上樹実雄第六句集『晩翠』 ・角川書店  2008/7刊

2009年1月4日 日曜日

火はときに秋刀魚の上へ乗つかりし
白地着てたれに逢ふともなく帰る
傘(からかさ)のねばり開きや谷崎忌
かたつむり空と遊びて糞をして
氷枕の水に鳴かれて夜の長き
思はざるところ温め冬日かな

実力俳人の破綻のない作品群である。

句集『ベイ・ウインドー』武田 肇  2009/1銅林社刊

2009年1月4日 日曜日

作者自身の帯文に「ーー西洋繪畫の果報盡きるとこころでもある江戸文化史補遺編としての第三句集ーー」とあるとおり、詩人の俳句の中では硬質な物語表現に頷かせてくれる作品がたくさんある。

   春愁や釦の穴へ指落つる
   美女ふたり蛙をわらふ月の徑
   かほを手がみつけてさはる夏の月
   天壇に妻桃を買ふ爾後邂ふことなし
   くび吊つて妹に見せたし鰯雲

第2句集『出航』ドゥーグル・J・リンズィー  文学の森刊   2008/12月

2009年1月2日 金曜日

1971年オーストラリア生で海洋に関る研究者。それだけでも、俳句の視点に期待感が生まれる。

第二句集の特徴は、吾子俳句の加わったことである。

   蔦の芽や嬰児自分の耳握る
   嬰児の言葉は蝌蚪の群るる中
   嬰児の首ぐいと立ち葱の花

また、海洋学者の生活が、おのずと俳句の世界を作る。

   秋彼岸マンボウ二つすれ違ふ
   鮟鱇の吊るされて影持ちにけり
  八方に百八ぴきの法師蝉
  道分かれまた分かれける鰯雲

以上の四句から次の四句の不思議さが生まれる。

  足二本失せたる海星春寒き
  エイの子が枕の中に試験前夜
  歯が生える泣く子に蝉の羽化を見せ
  銀漢にかかりし指紋拭きとりぬ

評伝小説 『河童芋銭』河出書房新社 ・ 正津勉

2008年12月30日 火曜日

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 本はもちろん内容が重要だが、それをさらに価値あるものにするのは装丁である。この評伝小説のカバー、表紙、帯、見返し化粧扉のすべてが、美術館などの所蔵の芋銭の河童の絵。それをふんだんに使っている。

芋銭といえば牛久沼のほとりで河童の絵を描いていた画家として誰でも知っている。しかし、それ以上のことを知っている人は案外少ないのではないだろうか。

短歌誌『新彗星』・加藤治郎

2008年12月13日 土曜日

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わが句集を長い日にちを掛けてぶろぐ「水無瀬へいこう」で鑑賞してくださった小川静弥さんが、ご自分の参加している短歌誌『新彗星・発行加藤治郎』を送ってきてくださった。まだ創刊二号である。静弥さんはそこで、加藤治郎歌集の批評を書いている。短歌を作りながらいろいろな俳句を鑑賞しているエネルギーに改めて感心した。

以前にも、希には短歌集を頂くことがあるのだが、句集とは比較にならない時間を費やす。勿論、その文字数から言っても17文字と32文字の差があるのだから、時間がかかるのは当りまえかもしれない

それだけではない。俳句はページの上に視線を落としただけで、一句が丸ごと目に収まって、一度読めばあと咀嚼するのは心の中だけである。ところが短歌は上の句から下の句に移るあいだに一呼吸が入って、しかも、下の句を読んでから、もう一度読み返す。どうかすると何度も一首を反芻することになる。

物理的な手順からでも時間が2倍では済まないのである。短歌と俳句の違いがこのあたりにありそうである。俳句はイメージを頭の中に広げることから鑑賞が始まるが、短歌は盛られた事柄を飲み込んでから、作者の内面に入ってゆく。

 雨だから迎えに来てって言ったのに傘もささず裸足で来やがって   盛田志保子

さりげない日常歌だと思いながら読み下していくと、下句の「傘もささず裸足で来やがって」にゆきついてもう一度、上句から読み直し、何度もその象徴詩をぞくぞくしながらなぞることになる。俳句にもこの反転がほしいものである。今回の特集は「修辞」について。総合誌のような重厚な内容が盛り込まれている。

『友岡子郷俳句集成』・沖積者 2008年11月刊

2008年12月3日 水曜日

「遠方」「日の径」「未草」「春隣」「風日」「翌」「葉風夕風」「雲の賦」
八句集の前後に初期作品と句集以後が前後に収録してあって、まさに俳句集成である。1934生れ。
   
   跳箱の突き手一瞬冬が来る

句集であらためて、上記の句が友岡子郷の句であることを認識した。今、読んでも新鮮である。何度出会っても新鮮に感じる句が作れたら、俳句を作った甲裴がある。この光の明るさが、作品全体に漲っているのが友岡子郷の特徴。それは最後まで変わらない。

   鶏頭を抜けば濤音ばかりかな    「未草」
   冬耕に鯉のとぶ音つづけざま
   笹鳴は袂に溜まるごとくなり
            
   石室に海より青き蜥蜴這ふ      「雲の賦」 
   かの軍船の影めく黒揚羽蝶
   ひとりゆく冬至南瓜一つ提げ
   赤蕪を切なきまでに荒ひをり  

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