2010年4月 のアーカイブ

角川『俳句』4月号

2010年4月10日 土曜日

俳句月評     評者 小林貴子

  蝋梅の蕊もろともに象牙色     岩淵だ代子
  水餅の浅きところへ手を入れる   ″
                            (『俳句』2月号「枯野」より)

 一句目、蝋梅が咲きはじめると春も近いかと嬉しくなるが、ロウバイとはよく名づけられたもので、どこか作り物の蝋細工めいており、生き生きと生きているのか、寒さに負けて凍ててしまったのか、判然としない。象牙色と言われて、また新しい見方が加わった。二句目は句材の水餅が懐かしさを呼び起す。餅に対しても水に対しても、いきなり深みを掴もうとするような乱暴な扱いはしない。〈浅きところへ手を入れる〉と言われると、生活感を離れた叙情性が付与されるのは不思議だ。

『ランブル』4月号 主宰・上田日差子

2010年4月9日 金曜日

現代俳句鑑賞              筆者 今野好江

    急行の速度になればみな枯野      岩淵喜代子
                         『俳句』二月号「。枯野」より

 一九七〇年にはじまる高齢化社会が加速している所為か、近ごろ脳科学の発達や身体や健康に関するテレビ番組が多くなった。
 確かに若い時に出来たことが急速に出来なくなっているとか――。例えば急行の止まらぬ駅名を読み取ることが出来なくなっているのは動体視力の衰えなのであろうか。
 急行の速度は満目蕭条とした枯野の景を展げてゆく。 しかし見方によれば枯れきった野は暖色系の色として、あっけらかんとした明るい景ともいえるのではなかろうか。同時掲載の〈水餅の浅きところへ手を入れる〉の浅きところの微妙な着眼に達観した作者の眼を感じるのである。

『天衣』4月号 主宰・岬雪夫

2010年4月7日 水曜日

現代俳句鑑賞     評者 横井芳夫

    急行の速度になればみな枯野     岩淵喜代子
                            (「俳句」2月号)
 枯野の佳句は多いが、この句の面白さは発見にある。一定速度になれば全て枯野に見える、という断定だ。速度は時間の速さでもあるが、掴みどころがない事もある。この句は心象風景と見ても、結構楽しめるのでは。

『朝』 主宰・岡本眸

2010年4月5日 月曜日

現代俳句月評     評者 木内憲子

急行の速度になればみな枯野       岩淵喜代子
                             (「俳句」二月号より)

 電車に乗ると先ず外を眺める。ついさっきまで歩いていた道も、日に照らされたビルの窓も、行き交う車さえ現実とは
かけ離れた特別な世界。動く絵画のようでもある。何故か車窓を通して見る景色は魅力に満ちている、ところが電車が速度をあげた途端、上塗りされたようにかすんでしまってもう目は追いつかない。そうして枯野ばかりが印象された、という句意だろうか。或いは、一駅一駅止まる都心を抜けて郊外に向かう電車の、〈急行の速度〉に入った辺りでは一面枯野であった、とも解釈できる。いずれにしても〈急行の速度〉が鍵である。やや翳りある心情を窺わせる〈枯野〉も、疾走感の乾き、に加味されて見事。

『雲』 主宰・鳥居三朗

2010年4月5日 月曜日

俳句の窓       評者 木口みか

  狼の闇の見えくる書庫の冷え    岩淵喜代子
                      (『俳句』二月号)
 
 古い書物の匂い、薄い目差しに煙のように舞う挨…。書庫というものは、どこか恍惚とした思いを誘う。一方、暗がりに思いがけない気味悪さを感じることがある。
 油絵具にチタニウムホワイトという色があり「狼色」と呼ばれる。白の中でも特に隠蔽力が強く、他の色を喰ってしまう所以だ。この〈闇〉もそんなふうに、空間も時問も塗りつぶしそうな得体の知れないものだったのかもしれない。
 作者は、書架の向こうの闇に何かが潜んでいると感じ、その冷たい視線に触れた。それを〈狼の闇〉と呼んだことで、〈冷え〉は大気の温度から離れ、生々しい感触をもって足元を這いのぼってくる。

『松の花4月号  主宰・松尾隆信

2010年4月2日 金曜日

現代俳句管見  総合俳誌より   評者・平田雄公子

      目も鼻もありて平や福笑ひ   岩淵喜代子

 お正月の伝統的な遊戯の一つ、「福笑ひ」。台紙に載せる「目も鼻も」、全て紙製なので、立体感は無くのっぺりと「平」なのだ。鼻や眉を含め、出来上がりの可笑しさを楽しむものだが、平べったさも愛嬌の内、福笑いの面白さを増幅しているよう。

『樹氷』5月  主宰・小原啄葉

2010年4月2日 金曜日

現代俳句月評     筆者 白濱一羊

   急行の速度になればみな枯野    岩淵喜代子
                             (俳句二月号)

作者は列車からわりと近いところを見ているのだろう。列車の速度があがるにつれ、車窓から見える風景が流れ出す。そして、全てが枯野に見えるようになったという。感覚的な捉え方に共鳴した。

『春耕』4月号 主宰・棚山波朗

2010年4月1日 木曜日

鑑賞「現代俳句」       評者 蟇目良雨

 一枚の熊の毛皮の大欠伸     岩淵喜代子[ににん]
                                       「俳句」2010年2月号
 
 山奥の宿に泊ろうと大きな硝子戸を開けて土間から一段と高くなった板敷きのロビーに上がると、そこに熊の等身大の毛皮が敷かれていることがある。多分地元で撃ち止めた熊を毛皮にしたものだろうがこの他にも鹿の剥製や狐、狸の剥製などが埃をかぶって飾られている。この乱雑さがいかにも山奥にやって来たなあと思わせるのである。
 掲向はこんな光景の中の熊の毛皮なのであろう。頭付きの熊の毛皮は客が来ないことを託つように大欠伸をしてるようにも思えるのである。「大欠伸」の措辞を得たことにより光景が生き生きと動き出した。
 作者の「ににんブログ」を読むとひたむきに文芸に携わっている姿勢が見えて力付けられることが多い。また、近著『頂上の石鼎』では原石鼎に迫っている。一読を薦めたい。

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