‘千一夜猫物語’ カテゴリーのアーカイブ

猫と蜥蜴と

2006年11月28日 火曜日

  この頃庭に降りると蜥蜴が走る。はじめは驚いたが、必ず目にするうちに慣れていった。慣れたといっても好きになったという訳ではない。庭に降りるときの踏み出しを、大袈裟に地を踏む。蜥蜴に知らせるつもりなのだ。そうすると必ずトカゲが走りだす。そして必ず同じ木犀の木の下に貼りつくのである。
 多分そこは土があって、保護色のつもりなのだろう。しかし、あきらかに土の色とは区別が出来て、蜥蜴の四肢のその先端まではっきり見えるのに。草陰にいたほうが余程気づかれないのに、と思った。
 2メートルくらいしか離れていない土の上から逃げようともしない。「猫に似ている」と思った。猫も追えば逃げるのだが、ある距離を保って様子を伺っているのである。こちらが、その距離を縮めれば、その近づいた分だけ遠のくだけのことなのである。

里親さがし

2006年11月28日 火曜日

猫の子はどのくらいお腹にいるのだろうか。
友人が3ヶ月くらいではないかというので、まだまだだと思っていたのに、或る日帰宅したら、子猫が生まれたていた。それもなんと、私の箪笥の抽斗の中なのである。多分少し空いていたのかもしれない。私の下着をクッションにして2匹の子猫が動いていた。
一匹は虎猫でルリと同じ毛並みだが、もう一匹は黒猫だった。きっと父親が黒いのだ。
まだだと安心していたので、貰い手がまだ見つかっていない。
近くの友人に当ってみると、
「そんな、悠長なこと言っていられないわよ。明日からナリタにいかなけれならないんだから」
とにべもない返事。
ーーナリタ?−−
「そうよ、成田」
そうだ、友人は、成田新空港反対闘争に参加していたのだ。

 成田新空港反対闘争に参加していた友人と私が接しられるのは、読書の話題とハイキングくらいなのである。
 なぜかといえば、世の中に画然と主義をもちそれを実行している人には、なにか太刀打ちできないものがある。友人の言動のすべてが正しいのである。そして、本来は、世のため人の為に何かをしなければならないのも、私は十分知っているのである。
 しかし、私は彼女に一歩も二歩も退いている。それだけが生き方ではないという事を、説得できる論理を持ち合わせないからである。そのために生れた負い目のようなものがある。 
 ナリタに行くという友人に、
 「それじゃ竹槍を持っていくの」
 「それはそうでしょ」
 彼女は小柄な私よりもっと小柄だった。後にイルカという名前の歌手がデビューしたときに、みんなが彼女にそっくりだと言った、その髪型までおなじだったのである。
 「そんなにブスじゃーないわよ」と彼女は憮然として言い返したことがある。
 「子猫の貰い手、誰か探してよ、もう生れているんだから」
今は主義も負い目も振り捨てて、誰彼の見境なく頼み込むしかないのだった。
千夜一夜猫物語(37)・・猫踏んじゃった・・
娘が得意の「猫踏んじゃった」をピアノにのせると、私はまた焦ってしまう。
飼い猫はルリだけでたくさんである。ところが家族は以前、ルリが子猫を連れてきた日のことを思い出して,生れるのをたのしみにしていたのだ。
猫踏んじゃったのリズムは娘の子猫への歓迎のリズムなのである。

私は内心ーー冗談じゃないーーと呟いた。
大きくなってみれば親猫が3匹いるようなもの。
また、ひそかに2匹の貰い手探しに奔走した。

東名高速道路

2006年11月27日 月曜日

ーー東名高速道路ってまだ走っていないわねーー
ーーそうだな今度走ってみるかーー
そんな会話から、日曜日に、家族で浜名湖まで、鰻を食べに行った。
帰宅をすると、私以外の家族は真っ先にルリに声をかけた。鍵をあければ、そこに三つ指をついて出迎えるのルリはいたのである。
「ルリちゃんに、お土産買ってきましたよー」
と娘が抱き上げる。
連れ合いはといえば、なんだかぶつぶついい聞かせている。
耳をそばだててみれば、
ーーウチの奥さんは、東名を走ったことがないっていうから、連れていってあげたのに、往きも還りも寝ていたんだよ。これじゃー何しにいったのかわからんーー
そんなようなことを、私に聞えるように言っているのだ。
そう、忘れていたが、私にはあの車の振動が快い導眠剤なのだった。
直接言われたら何か言わなければならないが、ルリに言っているのだから、私は返事をしなくてすむのだった

朝の儀式

2006年11月27日 月曜日

猫も学習するから、与えた朝食が気に入らないと、必ず一声あげて餌係の連れ合いを見上げるのである。多分、それがまた可愛いのかもしれない。
「そんなこと言ったって、今日はこれでガマンしてくれよ」
そんな言い方しても、ルリは甘えれば、もっとおいしい食事が貰えるかもしれないという下心がある。
「ニヤーン」
と、それはそれはか細い、女性的な声で連れ合いを見上げるのである。
雄猫でもあんな仕草であんな声なのだろうか。
だが、朝はそんなことにはかまっていで、出勤してしまう。そうしなければ、ルリだけでなく、家族も飢えてしまうのだから。
連れ合いが、玄関を出てしまえば、与えられたお皿に顔を埋めて、一心不乱に食べ始めるのも毎度の行動である。あきらめがいいというのか・・。

黒猫のタンゴ

2006年11月27日 月曜日

痩せてると思う気持ちが、ルリに贅沢を教えた。甘えるような訴えるような声に、連れ合いも娘もなかなか慣れなかったのである。
その甘い声に騙されては、自分の食べているものを、惜しげもなく与え続けた。
私には二人のように、動物に口移しで食べ物を与えることなど、小鳥にでも出来ない。
動物の回復力は、大袈裟に言えばスローモーションフィルムをみているようだった。呆れるほどに太ってきた。確かに太ったけれど、そのせいだけではなかった。ルリは一週間の放浪の果てに身籠っていたのだ。

「子育てが出来ない猫が、一人前に身籠らないで!」
子猫を連れてきた三ヶ月前のことが思い出したのだ。子共を咥えて迷い込んできたけれど、お乳を与えようとはしなかったのだ。と言ってみたところで、もうお腹には確実に命が育っているのである。
タイヘン!、一匹で持て余しているのに、子猫が家の中で遊びまわったら、わたしの居場所が無くなってしまう。
それよりなにより、一体猫は受胎からどのくらいの月日で生むのだろう。
ルリのお腹は日毎に大きくなって、床との隙間を縮めていった。

朝食の卓に向き合うと、連れ合いが
「寝言に、歌をうたっていたじゃーないか」
というのである。音痴の私が寝言で歌をうたうとどうなるのか。
「何を歌っていたの」
「そんなにはっきりしていた訳でもないけどメロデイは黒猫のタンゴみたいだったなー」
そのころ娘と同じくらいの少年がそんな歌を歌っていた。その軽快感で、当時、誰も一度は口ずさんでいたと思う。

タンゴ、タンゴ
黒猫のタンゴ
ぼくの恋人!

という歌詞だったような気がする。

孤高

2006年11月27日 月曜日

千一夜猫物語(29)・・孤高・・
毛並みは自分で整えたが、そのやつれ方は直ぐには修正できない。
その哀れさが、家族のことに連れ合いと娘の同情を買った。
ルリの傍らで、いつも娘が父親が寄り添っていた。
誰にもルリの一週間の行動は不明だった。その不明な部分だけルリが神秘的に見えてきたようだ。なんったって、クレゾールを浴びて毛が全く抜けたときも、今回痩身を晒しているときでも、姿勢だけは同じ、いや同じつもりの孤高をきめていた。

戦いすんで

2006年11月27日 月曜日

何時帰ってきてもいいように、風呂場の窓は開けておいたから、ルリは当然のように入ってきた。
悪びれもしないで入ってきたとは言い難いみすぼらしい有様だった。
縞目も薄くなったかのように埃っぽく、頸の周りにスカーフを巻いているような真っ白な毛も鼠色になっていた。
恋狂いの果てのみすぼらしさなのか、単なる疲労なのか、見分けはつかない。
それより目についたのは、痩せ方である。数えてみたら一週間位は、帰ってこなかった。そんな事ってあるのだろうか。
「きたない色になったわねー」
なんて言ってみても、体を洗わせるようなことはさせない。それは、以前、クレゾールをかけられたときに、抵抗されて、経験済みだった。

牛乳を音をさせながら、飲み終えると、それは当然の順序のように体を舐めることに専念していた。そうやって何時の間にか綺麗になる。あたりまえなのだが、恋について語るようなこともない。
「全く、何処まで行ってきなのよ」
そういうと、こそこそと部屋を出ていった。
少し肌寒い日だった。何処に落ち着いたのかとおもったらピアノのうえに、寝転んでいた。高いところの方が、暖かくて,しかも安全なのである。

「ルリちゃんじゃないの」
帰宅の娘の第一声は、久し振りに出迎えてくれたルリへだった。
ルリは誰が帰ってきても、誰が訊ねてくれても、とにかく玄関に出迎える。
「なんだか痩せたねー。どこに行っていたのよ!ルリちゃんー。‥‥‥まったく心配していたんだからー」
こんなとき犬なら、尻尾をふったり、縋りついたりしながら、全身で表現するのだが、猫にはそんな表現力がない。感情が分かるのは美味しいものにかぶりつく時の勢い、そして怒っているときのうなり声だけである。
連れ合いが帰ってきてまたそのやつれ方にひと時ざわめいた。と言っても、こちらだけが勝手に賑わっているだけで、ルリは無表情な顔で餌係の連れ合いを見上げた。
そんなときだけ、「ニャーン」と声をあげるのだ。今夜はお刺身である。ルリの分も買ってある。

夕べの夕食のせいだ。久し振りのルリのご帰還に刺身をたっぷり上げたせいだ。
いつもなら差し出した皿に顔を落として食べはじめる餌を食べないのである。そればかりでなく、連れ合いの顔を見上げては、「ニヤーン」と鳴くのである。
「朝から刺身はないんだ。」
そう言い聞かせても、訴えるようなまなざしを向けてまた、一声上げるのである。
それは家族が食事を終わるまで、続いた。
「これを食べなかったら、夜まで何も食べられないぞ」
といいながら、連れ合いが、出勤のために玄関に下り立った。
ルリが食べ始めたのはその途端でである。
「なーんだ、食べるんじゃない」
そんな私の声には耳も貸さずに、一心不乱に食べていた。

猫の恋

2006年11月27日 月曜日

暦の上では、立春をすぎても春にはほど遠い。それなのに猫の恋ははじまっていた。家の外でウオーン、ウオーンと鳴くのは雄猫。こんなときには風呂場の窓ガラスも閉め切ってしまった。しかし、我が家の猫はその声におちつかない。
外の鳴き声も、この家の雌猫を知っているのか、家の周りを廻って唸声をあげていた。それも、一匹ではない。
ルリも、どこか開くのではないかと家中の戸を開けようと試みる。それだけではない。外の声にあわせて、何時もは出さない音声、まさにそれはうめき声と言ったら、一番ふさわしいかもしれない声をあげるのだ。
動物というのは飽きること、諦めることを知らない。こんなときは言い聞かせても効果は全くない。ただひたすら、その饗宴にこちらが我慢するしかない。

ルリの声に誰が一番辛抱強いかといえば、それは、意外にも私であった。ルリの真情に関心がないから、物理的に処理ができたのかもしれない。
小学生の娘はそのその真情に添うだけの認識をまだ持っていない。
連れ合いがたまりかねて窓をあけてやった。
子供とは違うから、別に心配はしなかった。猫に門限はない。
帰ってこないなどという杞憂も持たないでさっさと寝てしまった。

翌朝になってもルリは帰宅していなかった。でも野良猫だった遍歴があったから、それほど心配している訳ではない。
我が家にいた月日より、野良猫だった月日のほうが長いのだから、身の処し方に迷うこともないからである。
そのうち、2日経ち、3日経った。食卓を囲むたびに、「ルリは帰ってこないねー」という会話が一回は上ったが、だからといって探す当ても無い。
「どうしたんでしょうねー」
「他の猫を追いかけて迷子になってしまったのかなー」
「争って、怪我でもして動けなくなったのかしら」
みんなが勝手な憶測でルリを思いやったのは、ルリが、わずかな日々の中で、完全に家族の一員に居座ったことになる。

ルリが家出をしてから、夜の饗宴はなくなった。
一匹が騒いでいたわけではないのに、みんないなくなったなんて!
もしかして、ルリに複数の猫がラブコールをおくっていたのだろうか。

 文鳥 2

2006年11月27日 月曜日

連れ合いの朝の仕事に文鳥の餌やりが加わった。その甲斐あって、文鳥や猫の家私への態度の差別は、尋常ではなかった。
ルリの連れ合いに寄せる信頼度は、連れ合いの身辺を片時も離れようとしないことで現れていた。
文鳥のそれもまた傍目を憚らない差別を見せた。なにしろ、連れ合いの歩くところどこまででもついてゆく。誰かが、自分の足元に引き寄せても、決して意のままにはならない。
「近くの煙草屋までついてきたよ」
そう言いながら、外出から戻った連れ合いの手に、文鳥は幸せそうに黒い目を見開いていた。

 文鳥

2006年11月27日 月曜日

散歩の途中で連れ合いが小鳥を拾ってきた。
真っ白な文鳥だった。まだヒナに近いかったのかもしれない。拾うなんていうことが出来るのは。
そのときまで、ルリの存在も忘れていたが、ふと気が付くとルリが居た。
「ダメ」という言葉はルリに一番はっきり聞え、理解できている言葉。その繰り返しが何回か繰り返さした。
またまた、手数のかかる家族が増えてしまったことは確かなのである。
千一夜猫物語(17)・・文鳥がやってきた‥
外出の時に鳥籠をどこに置こうかと思案に暮れた。
家に入れておかなくてはと思うのだが、しっかり鍵のかかる部屋が無かったのである。
ルリは戸を閉めることはできないのだが、開けることはできるのである。
窮余の一策は籠の出入り口を紐で縛って、とにかく中には侵入できないようにすることだった。
そんな苦労をしているとも知らないで、ルリはなにをやっているのかという風に、正座の姿で見守っていた。
「文鳥に触ってはいけませんよ」
そう言っても通じないからなー、と思いながら、「ダメ」を繰り返した。
帰宅した時の最悪の場合でも、鳥籠が倒れたり、逆さまになっているかもしれないくらいの覚悟はしていた。
だから、玄関のカギを開けると真っ先に確かめたのは小鳥籠だった。なんと、ルリが触れた気配も無い。置かれた場所に置かれたままになっていた。
我が家の一員になったと認識する事柄であった

それじゃー、鳥は襲わない猫なのかといえば、そうではない。なぜって、野生で育った猫だ。雀などをみつけると、顎を地面につけるまで近づけて、後ろ足を伸ばしきって、飛び掛る体制をつくる。それは、ジャングルの虎の雛形である。
そして、たまにはその雀を捕ってくるのである。雀ならまだいいが、或る日帰宅したら、鼠が部屋の真中に転がっていた。いつか、子猫が転がっていたときのようにように。
「ギャー」と声を挙げてみたが、わたしが片付けるしかなかった。
家族に獲物を見せるのだ、という人がいたが誉めてはあげられない。
「お願いだから、獲物は見せに来ないでね。まして、食べもしないのに何で捕ってこなくてはならないの!!!!」
しかし、ルリには聞える言葉と聞えない言葉があるようだ。
千一夜猫物語(19)・・文鳥がやってきた‥
ガス屋さんが来たついでに、部屋のガスストーブが使えるようにしてもらうことにした。
「そろそろ、寒くなるもんねー」
見知りのガスやさんにとっては、見慣れた部屋。そこに見慣れないものが文鳥だった。
「鳥なんて飼って大丈夫なの?」
「それが、留守にしても、平気なんですよ」
「じゃー鼠なんか捕らないね」
「いやー!それがよその小鳥は捕ってくるのよ。鼠だって」
「へーそれは利口な猫だね」
ガス屋が現れたときには、何するんだろう、という感じで、近くをうろうろしていたルリも、そのうち、納得したのか、元の居場所のテレビの上に戻っていった。
自分のことが話題になっているなんて知るよしもなく。

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