‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

句集

2007年9月28日 金曜日

現代俳句文庫62‥‥ 坪内稔典句集Ⅱ 昔、川崎展宏先生に平行な線路を平行に走るだけで終わっては詰まらないと口癖のように聞かされてきた。坪内氏の俳句の面白さは、平行の線路から必ず外れるからである。取り合わせの妙があるからである。

こんもりと百年があり野ばら咲く
数学の定理はきれい露草も
月光の折れる音蓮の枯れる音

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永島理江子句集「明王」 富士見書房刊

原石鼎に出会っている鹿火屋人というのは、もう殆どいない。その数少ない石鼎に出会っている鹿火屋人である。10代から「鹿火屋」一筋に研鑽してきた句風は、さすがにゆるぎのない名工のような作品群を成している。「鹿火屋」主宰の亡き後は「原宿春秋」の代表として、「琉」同人として活躍している。

原コウ子に学び、句会で遅くなったときには、現在の二ノ宮の石鼎庵に泊まったこともしばしばだったという。石鼎夫人の第一の弟子と言ってもいい。

もの言ひて薄暑の衿をゆるめけり
春暁や紐解くやうに水流れ
待針に待たれつづけて目借時

一見見過ごしそうなさり気ない表現だが、技のある句が並んでいる。

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田中久美子句集「風を迎へに」  ふらんす堂刊

不自由な千手観音大南風
バカみたいと言つて花冷え抱き寄せる
白地着て風を迎へにゆくところ
金魚死に絶えし家にて昼寝覚
蜻蛉を光の傷と思ひけり

どこを繰っても、感覚の冴えを見せる句、発想の面白さを感じさせる句が並ぶ。
「知音」所属。昭和三六年生まれ。

句集

2007年9月22日 土曜日

今井聖句集 『バーペルに月乗せて』 花神社  
なにはさておき、今井聖氏らしい句集名。

黒牛の片側ばかり落花付く
キャベツ抱へて潜水艦の遭遇す
空蝉の中灯りたる壕のごと
締切をとうに過ぎたる焚火かな
びしよ濡れの鼠がとほる秋の虹
下山して春の焚火に加はりぬ

帯にある「言葉から言葉以上の思いが湧き出す奇跡を‥‥」
という言葉に照らしながら、納得している。
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日下野由季 『祈りの天』 ふらんす堂  
        序 高橋悦男 栞 片山由美子

吾亦紅しづかに花となりにけり
引く波は見えず十一月の海
星凉し夜空に沖のあるやうな
着信のごとく蛍の点りけり

昭和52年生まれ。学生時代に俳句にかかわり始めたせいか、言葉が無理なく使われていて、捉われないで眼前の対象物を詠んでいる。

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和田耕三郎句集 『青空』 ふらんす堂 
 
 耳の中大き枯野のありにけり
 うぐいすの鳴くときの脚見えにけり
 鶏頭を剪り青空の流れ出す
 秋風をしきりに見つむ赤子かな
 花合歓に両手の力抜きにけり

昔から変わらない、静かな呼吸で静に詠む。
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小西敬次郎句集 『芋頭』 ふらんす堂

何気なく踏んで城趾の桜蕊
うしろにも山のありけり花辛夷
囀りや覗き見もして如来像
声に火を点けて野焼の人動く
夜桜や下戸が上戸を誘ひけり
干梅の 向うを猫の通りけり

まだまだ拾えるのだが、滋味という言葉がどの作品からも感じられて嬉しくなる。
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歳時記異聞

2007年9月7日 金曜日

榎本好宏著『季語の来歴』 平凡社刊
「諸説楽しき歳時記異聞」と副題があり、季語成立の背景を示して俳諧の深奥に導くとともに、古きよき日本の暮らしぶりを伝える〈ものがたり歳時記〉と、帯に書き込まれている。
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以上のような、魅力的な言葉によって思わず手にとってみたくなる本である。目次は大きく分けて春夏秋冬と雑に分かれて、最初の項目は「たかが凧、されど‥‥‥」とある。ものがたり歳時記と帯にあるのが直ぐに頷けるのは凧の項目だけで四頁の文章が付されているからである。そのほかにも、初午と稲荷・灸好きと「二日灸」・桃の節句の周辺・、などとすべて一つの季語にしては長文の解説がある。このあたりにも榎本さんらしい綿密さを感じる。

例えば「桃の節句の周辺」などは、ひな祭りから入って、全国の主な雛まつり行事を網羅している。そこまでは想像できるのだが、そこから、「曲水の宴」・「磯遊び」・「野遊び」「踏青」などへ繋げて進んでいくと、興味がさらに広がっていく。

そうした項目が並んでいるだけでは、季語の数はそんなにないのではないかと思ってしまうが、巻末に付した「季節の言葉」の索引には膨大な季語がならんでいることに、ふたたび驚いてしまう。それほど、一つの季語からの派生があるとも言える。あらためて、『ものがたり歳時記』と名付けたことを納得しながら、遠い旅から戻ったような気分にさせられる一書である。

ににんへ

 句集 

2007年7月19日 木曜日

 鷹羽狩行句集『十五峯』   ふらんす堂

帯に著者自身のことばで、昭和二十一年から俳句をはじめていたことが書き記されていることは私に取っての新しい認識。二十一年といえば、中学生である。そんなに若いときから始めたのだと、改めて感嘆した。句集名『十五峯』とは、十五句集目であることも意味している。

    遠景ににはとり一羽ころもがへ
   北窓を塞ぐや書架に赤き浮子
   寒灯のかたまるところ門司といふ
   はじまりは煙くさくて花篝
   目も鼻も化粧のなかや祭稚児

ゆるがない表現方法を得た作家なのだろう。五句を抽出してみて感じたのは、どこかに滋味をうかがわせるものが、私の好みだということだ。
ちなみに、鷹羽狩行自選のものとは一句も重ならなかった。

           ★★★★★★★★★★★★

吉田汀史句集『海市』   航標叢書

   節分ののちのおもひに海の音
   はじまりの終りの野菊ひとにぎり
   空蝉のこはれゆく日に立会ひし

以前読んだ作品から思い出して並べてみた。ことばを自在に編み上げる作家という印象があった。

    一舜や鶴のまなこに血をみたり
   雪に咲く椿を寝物語かな
   野遊びの歩幅をもて杜甫草堂へ
   火がひとつ雪ふる山を下りてくる
   真桑瓜抱くみなし子を抱くやうに

今回もう一つ発見したのは、物語の重層性。例えば「鶴と血」の組み合わせによって、鶴の白さの奥深さが見える。ことに面白かったのが、「真桑瓜とみなし子」の組み合わせ。その二物から真桑瓜の感触が大きく見えて、またみなし子の体温がやさしく伝わってきておもしろい。

          ★★★★★★★★★★★★

対馬康子句集『天之』   富士見書房

   白鳥の地下より柩運び出す
   ひきちぎるように着替えて虹に立つ
   春風の広場に集うだけの役
   からだごとぶつかる愛と人参と
   胎の子の火事をみつめていた記憶          

虚無ともちがう、放下ともちがう。しかし、その両方の匂いをかすかにひきずりながら、魅力的な表現法方を得た作家と言えるだろう。それは、ことにリズムに現れている。唐突な二物のぶつけ方に現れている。「天為」編集長。

            ★★★★★★★★★★★★

鞠絵由布子句集『銀兎』   富士見書 

昭和36年生。俳句は現在の「ランブル」主宰上田日差子氏の父君五千石から学びはじめて、現在は「ランブル」の編集長。

   日だまりの落ちてゐさうな噴井かな
   夏木立いつしか声をひそめあひ
   山霧といへど破船のあるごとし
   さびしさも旅荷のひとつ火恋し
   枝先に紙のはためく涅槃かな

 
発想の面白さがある。昭和36年生

 

 記念号と句集

2007年7月3日 火曜日

『澤』創刊7周年記念号

「澤」は毎年、記念号では特集企画、それも400ぺーじもある大冊を作る。今回は20代、30代に焦点をあてている。結社内の20代、30代なのかと思いながら詠んでいたのだが、そうではない。俳壇全体を見渡しての特集なのである。
はじめに小澤實主宰と宇多喜代子氏の「がんばれがんばれ、20代、30代作家展望の対談」からはじまる。
読みごたえのある一書であると同時に、こうした特集のできる力のある結社を感じた。

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第九句集『椣原』 茨木和生著

椣原とは、茨木氏の住むあたりの地名らしい。
この作者の風土を詠むという影響は、若い人にも影響を与えているように思える、同じ時期に上梓した谷口智行氏の『媚薬』なども、風土を強烈に感じさせる一書だった。こうして、詠む方向性を持たない私などは、詠み方を意識して、方言方法を探る意識で進むしかない。そのどちらも感じないで、作り続けているひとは、本当に詩人的な俳人なのではないかと思う。

山椒魚大きな頭回しけり
日の昇る前の青空初氷
東寺出て少し歩けば葱畑
椣原は旧の名初景色
空色の鱗もありぬ桜鯛

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馬酔木1000号記念

水原春郎著 『紫陽花雑記?』
水原春郎編 『秋櫻子の一句』

句集 

2007年6月17日 日曜日

夏石番矢著『連句 虚空を貫き』   七月堂刊

 夏石氏の作品で覚えているのは、(千年の留守に瀑布を掛けておく)の句である。
夏石氏のいう連句は連詩と同義に考えてもいいのだと思っている。
一頁に一句、それに番号が付されて100韻で完結。

 奇数の俳句はカジミーロ・ド・ブリドー氏。のポルトガル語。そして偶数が夏石氏の作品。お互いの作品はそれぞれの母国語に訳されている。さらに二人交互の連句は英訳と仏訳も付されて世界に発信されている。

13     逃げよ、蝶!           
       人間らが来る
        軍隊が           カジミーロ・ド・ブリドー

14    ヒロシマという語
        蝶より
       重からんや          夏石番矢

15    瀕死の獣
       地球まだ
     燃えまだ飛んでいる       カジミーロ・ド・ブリドー

16     磁気嵐
       地球は
     わが家に帰れるか        夏石番矢

やはり、三行詩として感受すればいいのかもしない。

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ブソン青眼句集『渡り鳥日記』  

マブソン氏とは二年ほど前に角川の「俳句」誌の座談会でご一緒したご縁で、句集を頂いている。今回は彼の第三句集。第一句集から自筆の句集で、今回もそれを踏襲している。印象としては、気ままになったというのが適切のようだ。遊びの一つが本家取りを意識して創作していることである。

     
     姫塚や月は東に陽は西に
     あら尊と青田のナイルに日の光
     小春燃えカイロいっぱいの子供かな

 
 もう一つの特徴は、語音に触初されながら、言葉を引き出している。この分部でも、やはり遊びの特徴が出ている。  
     

句集と評論 

2007年6月7日 木曜日

      
山口都茂女著・句集『大山蓮華』    角川書店

1932年生 西本一都に師事し、後に「藍生」創刊に参加する

春愁の砂買ひにゆく九十九里
牛乳はうらの泉にいつも二本
蝮草うしろすがたを伸ばしけり
斑猫とぶ起きて青年と歩く
曲るのがらくな糸瓜でありにけり
草の実や東をしらず西しらず
一匹の目高に出会ふ寒の甕
よく晴れて海は鳴るなり冬の鳥

うっかりしていると通り過ぎてしまいそうに何気ない。しかし、ひとたび立ち止まると、つぎつぎと立ち止まる。ひとことで言えば透明な滋味である。

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小澤克己著 『芭蕉が船でやって来た』
        「奥の細道」深川〜草加水路説   東京図書出版会

小澤克己著 『奥の細道』新解説
            〈旅の真実〉と〈旅の心理〉    東洋出版

たとえば、「深川〜草加水路説では‥‥舟に乗て送る。千じゅと云所にて船を上がれば‥‥
という件の「舟」と「船」に注目したりしながら、論を進めている。
そして、〈旅の真実〉と〈旅の心理〉 の書では、 旅の日程から、美意識的な日程へ書き込みながら、芭蕉にせまっている。
「奥の細道」は汲んでも汲み切れない魅力を内包した一書なのかもしれないと誰もが認識していると思う。そのことを、改めて感じさせてくれる著書である。 

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 高 千夏子著句集『底紅』

先生はメガホンが好き麦の秋
校長に切株ゆづり遠足子
小鳥来る何するとなく針持ちて
槙の実を食めば読めさう鐘の銘

面白い発想で楽しめる。

句集 

2007年5月22日 火曜日

柴田奈美句集『黒き帆』

中原道夫氏の帯に「物語性のある俳句」という一文がある。

  さびしさを黒に徹して揚羽飛ぶ
  揚雲雀天界の鍵落としけり
  日のぬくみ重し重しと冬の蝶
  風鈴を吊るす男を踏み台に

「さびしさ」「鍵」「重し」「男」などのことばが、虚と実の狭間が読者に様々な想像を呼ぶ。 


 杉良介句集『四神』

「狩」同人。四神とは、四方におく神獣のようである。

  水族館出でて緋鯉に餌を撒く
  秋蝶が過ぎ猫が過ぎ日曜日
  一杓の寒九の水を身に通す
  干し傘の仰向けとなる電波の日

調和のとれた本質を見ようとする眼を感じる作品。    


国井克彦句集『森の蝶』

手作りの句集『森の蝶』 A4判のコピー用紙をそのまま使った手書きの句集である。一ページに20句で36ページということは膨大な句数である。それを何度も納得するために、ページを繰ってみたりした。表紙から奥付けから、そしてまた俳句のページを読むよりも先に何度も繰った。それほど、みごとに丁寧に作っているのである。最後に限定30部の文字にまた、留まってしまった。貴重な句集である。
国井勝彦氏の詩集の表題は「丘の秋」「月明かり」など俳句的だなーと思っていたが、作品は、詩とは違って今度は誌的だなーと思った。
要するに詩と俳が融合しているのだろう。

   追憶の如くに群れる森の蝶   

扉に、色紙仕様で書かれた俳句である。中でも一番詩的な俳句である。

  
     大根をごろりと置きし机かな
  手の中の胡桃の位置を移しけり
  そうですよ六十三です秋刀魚焼く
  古雛や灯かげに笑っているごとし
  千年の昔見ている沢桔梗
  梔子の実が抱いている海の色
  朔太郎余寒の隅に置いている
  早春や名の無き草は無かりけり
  冬董咲いて病気の百貨店
  独り食うサトウの御飯鑑真忌
  薫風や六十年という時間
  教祖様机叩いて汗かいて
   

『奥会津歳時記』黒田杏子・榎本好宏編

2007年4月9日 月曜日

表題のとおり会津、それも奥会津途方の歳時記である。
巻頭に只見川電源流域振興協議会の会長・小沼昇氏のことばがあるところを、見ると、地域活性化と地域保全を願う地元民の応援もあったように見受けられる。

一書は奥会津の行事は勿論だが、奥会津ならではの内容が、読み物としても面白い。たとえば、「雪祭り」といえば、一般の歳時記なら、どの歳時記も北海道や新潟のそれを紹介するが、ここではあくまで奥会津の雪祭りである。
「熊」の項目では、毎年熊狩が行なわれていること知ることが出来る。

ほかに、この地方ならでは季語も満載されている。
「桐供養」などははじめて目にした季語である。そういえば会津地方を旅したときに「桐の木」が多い印象を持ち帰った記憶がある。
粽もこの地方では「菱巻」と呼ばれ、笹団子は「角巻」と呼ばれている。

どんな歳時記にも「漆掻き」は収録されているが、この歳時記にある「漆掻き」も確かに、会津塗りのための漆掻きなのである。

地方ならではの季語として「太良布おっきり」というのがある。解説によれば、「沼沢火口原である太良布高原に雪解期に起きる現象で、太良布の集落付近と高原一帯が堅くしまった雪に覆われているが、その上を「上の原」「惣山」方面からの雪解水が押し出してきて雪の表面を流れることをいう。高原地帯の特異な現象である。」と、奥会津という土地柄を感じさせてくれる季語が随所にあって、奥会津に行ってみたくなる一書である。

『描かれた食卓』と『無灯艦隊』

2007年4月5日 木曜日

『描かれた食卓』磯辺勝著 NHK出版

この本は、1996年からはじまったNHK出版「男の食彩」から7年間66回にわたって連載したものから37編を一書に成したものである。
磯辺さんは一年ほどまえまで、「ににん」にも江戸俳画紀行を連載していた方で、絵を語ることが自然に身についたモチーフになっているのかもしれない。最近の大きな仕事では『NHK世界美術館紀行』がある。
この一書はすべて、食事風景の絵を鑑賞している。
磯辺さんの語り口は、絵の世界の中から語っているような臨場感があふれているので思わずも引きこまれてしまう。
たとえば、ヨルダースン「酒を飲む王」にしても、‥‥‥パッと見ただけでも騒がしい絵だが、よく見るといよいよ騒々しい。王さまの後ろでは、頬をふくらませ、戸外で聞いてもやかましいバタパイプを室内で思い切り吹き鳴らしている。‥‥‥おそらく、画中のその他の人物にも、それぞれモデルがいて、絵ができあがったとき、「えっ、これ俺かい? これはないよ」などと言い合って大笑いしているに違いない‥‥」、とこんな具合に絵を楽しませてくれるのである。
日本の絵では安田靫彦の「憶良の家」では、われわれの知っている貧窮問答歌の憶良のイメージを払拭させてくれる解説がなされているので、まさに蘊蓄を傾けるとはこうしたことなのだと、感銘を受けた。

 


 

句集『無灯艦隊』西川徹郎著 沖積舎

   
不眠症に落葉が魚になっている

作品集の冒頭の一句である。
いつだったか、この俳句に衝撃を受けて、しっかり心にとめた日のことを思い出した。
たぶん俳句をはじめてからそんなに日を経ていない時期だった。作者まではインプットしないまま、月日を過ごしていたが、あらためて、この作品の作者が西川徹郎という作家だったのだと確認した一書である。
今回の句集は作者の十代作品集の再刊なのである。
わたしなどは、西川徹郎と対極にいるので、この作家に縁のないまま今日になっていた。従って、頂いたこの句集によってはじめて名前を意識しながら、作品を読みすすんだ。

  耳裏の枯田にぐんぐん縮む馬
  父の耳裏海峡が見えている
  炎昼の船倉しんしん針が降る
  冬の街どこかで鈴が鳴りて消ゆ
  死んではならず金星耳の裏に生え

などと拾ってゆきなががら、やはり冒頭の「不眠症に落葉が魚になっている」を越える共鳴句はなかった。

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