‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

『告知』

2008年10月13日 月曜日

  境野勝著 詩集『告知』  ふらんす堂 2008年9月刊

境野勝さんは俳号「大波」さん。俳誌「大(ひろ)」の代表である。60ページほどの「ちいさな句集」というのが相応しい。数年前に奥様をなくされて、その「遺歌集」「遺句集」を作り、そのあとご自分の句集「一羽」を上梓した。それも、夫人を偲ぶものだったが、それでもなお、言い足りないことがあるとして、出版したのが詩集『告知』である。一編ごとに物語が成りたつ、心情の濃い句集。

序詩として

  エレベーターに同乗した
  二歳ぐらいの男の子
  はにかみながら笑いかけてくれた
  君に
  一九五九年の青空の記憶を
  贈りたいのだが

たぶん、この詩の中の年度に結婚、あるいは出会ったのであろう。

受贈誌

2008年10月10日 金曜日

恩田侑布子著・句集『空塵秘抄』昭和39年生  
                   栞・三木卓・池内紀・末木文美士・角川書店2008年9月刊

   誰も隠しもつ冬麗のふくらはぎ
   かがやくは君か冬木か待ちゐたり
   国境はすみれさがして風ばかり
   一湾の夕日ぼうたん運びゆく
   白猫のはらりと枝垂櫻かな

 虚実のバランスのあやふさが魅力を発揮している。

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仙田洋子著・句集『子の翼』 栞・筑紫磐井  ふらんす堂 2008年8月刊

この一集は子を生んでからの6年間の作品集である。

  さらはれて冬の銀河に佇ちつくす
  子を抱けば誰も聖母や流れ星
  みどりごをくすぐるによきすすきかな
  子にもえらふ虹の回遊切符かな

真正面からの吾子俳句ではなく、遊び心の余裕を見せる楽しい吾子俳句になっている。

小川軽舟氏の2冊

2008年10月1日 水曜日

句集『手帖』角川SSC   平成20年9月刊 
評論集『現代俳句の海図』角川学芸出版    平成20年9月刊

句集を追っかけるように評論集が届いた。小川軽舟氏の俳句は日常の何でもない風景を諧謔で作品のかたちにする。まさに、これは名人芸というべき作り手である。例えば、「栓抜のみな紐付きや海の家」なんて噴出してしまいそうなおかしみが湧く。

春寒や水に浮いたる鉋屑
蜃気楼弁当箱の真つ赤なり
棲みながら直す二階家籠枕
立葵コックが煙草のみにくる
みひらきてにはとり鳴ける柞かな
冬の蜂日の当る巣に入りにけり
みちばたの葵祭の草の丈
青桐や妻のつきあふ昼の酒
栓抜のみな紐付きや海の家
枝々に時間分ちぬ冬欅
ひろひたる枝濡れてをり秋の虹
空箱を重ねて軽し小鳥来ぬ

 評論集『現代俳句の海図』は著者自信が昭和30年代俳人に焦点をあてている、と作者自身が言っている。中原道夫・正木ゆう子・片山由美子・三村純也・長谷川櫂・小澤實・石田郷子・田中裕明・櫂未知子・岸本尚毅・を追っている。

句集 4冊

2008年9月28日 日曜日

森敏子著『薔薇枕』  ふらんす堂   (2008年8月刊)

  落椿水に筋つけ流れてけり
  繭の中うすもも色の骨一つ
  花冷えや見えざる人を見てをりし
  仇討ちに出掛けてゆきし菊人形

見えざるものをみようしている特別な感覚の持ち主のようだ。

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 山田真砂年著 句集『海鞘食打て』角川書店 9月刊

   木犀に気づくは老いに気づくごと

この作品に会って、こうした年齢に到っておいでになるのかとも思ったが、

   都心には大き穴あり蚊食鳥
   雁落ちて風のくぼみの湖国かな

等など、大きな景をさりげなく切り取る力量も感じた。

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 安藤恭子著(1959年生) 句集『朝餐』ふらんす堂 2008年9月刊

   雛の箱空になりしは重ねられ
   春空をまはり落つるは何の種
   濡れてゐる方が葉表柏餅
   菖蒲守われのうしろを歩みくる
   
俳味、というか俳句を心得た作家。

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 井上弘美著 『汀』角川書店 2008年9月刊ふらんす堂

   母の死のととにつてゆく夜の雪
   沼の日にゆきわたりけり夏の蝶
   山々の帰つてゆける遠蛙

もうすでに定評のある作家。大成してゆく俳人の生活背景も具間みられる句集である。第一句集は事故にあわれた母を詠んでいるが、今秋はその母のなくなるときを諦念をもちながら詠んでいる。それが一句目に現れている。

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 川島 葵 著『草に花』  2008年9月刊 ふらんす堂

   凩や子供が子供呼び集め
   はるばると犬戻り来る牛膝
   下萌えを子のさびしがるところまで

このところ、駆け込み乗車のように9月刊の著書が送られてくる。この作者も新人賞対象の句集。
   
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記念号と句集

2008年9月22日 月曜日

『狩』30周年記念号と狩の歩み30年

わたしが俳句をはじめたのと、『狩』の出発は前後しているような気がする。鷹羽主宰は、当時総合誌『俳句とエッセイ』の俳句の選者でもあった。 私の初学は、『鹿火屋』とその総合誌の鷹羽選に投句することが出発だった。その後『狩』も暫く購読をしたこともあったが、川崎展宏指導の『貂』に誘われたので、そこで遍歴は終ってしまった。

そういう意味では、参加はしなかったが、ほかの雑誌よりも色濃く印象に留めているのが『狩』である。 鷹羽主宰が記念号の編集後記に ーー 仕事の気転換として編集を楽しみながらやってきたーーという一言が書き込まれている。そう、編集という仕事は好きでなければ続かない。 

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『響焔』 50周年記念号     主宰・山崎聡 

昭和33年に和知喜八氏により創刊して、現在の主宰は2代目。当時から編集長をしていた山崎氏が継いだようである。現在の主宰山崎氏は、この六月には句集「荒星」を上梓。以前にも句集は紹介したと思うが、なかなかいい句集だった。

      子が眠り町じゅうねむりももさくら  聡      

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山崎ひさを著  『龍土町』 

昭和2年生まれ。 岸風三楼門
現在「青山」主宰  俳人協会名誉会員。国際俳句協会常務理事。
句集『歳華』『日吉台』『神南』『百人町』ほか     

  公園となりし母校や夏木立
  今も耳に消燈ラッパ蚊喰鳥
  鼻緒少しゆるめてやりぬ七五三
  水替へて金魚の赤さ新たにす
  秋霖や濡れて石炭色の街
  ルパシカの男と遭ひぬ霧の町

山崎ひさをさんとは俳人協会でよくお目にかかったが、それ以前も海外の旅でご一緒したので、先輩俳人の中でもことに親しみを感じる方である。「ににん」にもよくお目を通していて下さって、31号の龍土町に到ったときには、「龍土町」に長い事住んでいたことがあるので、そのうちお茶でもしながら・・」というオハガキも頂いていた。

まだ、その龍土町のお話を聞いていないうちに、句集が送られてきた。「今も耳に消燈ラッパ蚊喰鳥」は、龍土町に戦前あった第一連隊のあったところのようだ。

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句集評他

2008年9月13日 土曜日

『山暦』 九月号  「各誌俳句鑑賞」  古堀 豊

  小満の山に向かへば山の声   岩淵喜代子    「ににん」夏号

「ににん」夏号。本号では「物語を詠む」を特集。「物を書くことのできる俳人を目指そう」ということで文章に力を入れている。「ににん」集は「満」の字が全句。「小満」は二十四節気の一つで夏の二番目。陽気が盛んで万物が次第に長じて満つるという意味だという。この季語は歳時記に例句は少ない。陽気盛んで山野は生き生きと輝いている季節。新緑の山々は筍が生え、果実も育っている。小満は一日であるが、その山に向かえば山の声が聞えてくるというのだ。山の動物や植物など生きているものの命の賛歌が聞えてくるという。「小満」五句と山の声に納得した。 

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「嘘のやう影のやう」句集評       須藤昌義 (海原9月号)

   嘘のやう影のやうなる黒揚羽
   眠れねば椿のやうな闇があり
   雫する水着絞れば小鳥ほど
   雑炊を荒野のごとく眺めけり

第一句目は句集名となった句である。「影のやう」は誰でも言えるが、「嘘のやう」とは言えない。二句目の「椿のやうな闇」三句目の「小鳥ほど」四句目の「荒野のごとく」いずれも卓越した比喩である。

  陽炎や僧衣を着れば僧になり
  その中の僧がいちばん涼しげに
  雁來月風の気配の僧進む
  どの句も僧のありようが際だつ
  校庭の真中空けて運動会
  古書店の中へ枯野のつづくなり
  冬霧の真中に霧の太柱

いずれも独特の感性による把握で読者を納得させる。わが道を行く作者の並々ならぬ感性と、思い切った表現も楽しめる句集である。

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 「嘘のやう影のやう」句集評   中丸まちえ  (山暦八月号)

  草餅をたべるひそけさ生まれけり
  海原を日差しの濁す絵踏みかな
  暗がりは十二単のむらさきか
  海風やエリカの花の黒眼がち
  それぞれの誤差が瓢の形なす
  雪吊の雪吊ごとに揺れてゐる
  白鳥に鋼の水の流れをり
  大岩へ影置きに行く冬の犀
  泣くことも優性遺伝石蕗の花
  山茶花に語らせてゐる日差しかな
  老いて今冬青空の真下なり

俳句は寄り道ばかりしてきたと著者。独特の感覚に魅了されるものがある。

坂口昌弘著『句品の輝き』-同時代俳人論 文学の森刊

2008年9月3日 水曜日

俳句作家ではない俳句評論家である。『俳句界』の平成十五年の第5回俳句界評論賞を受賞した人物。とりあげてあるのは、現在一線で活躍している俳人たち。俳人でない俳句評論者とは、純粋な俳句読者ということになる。

俳句を詠まない俳句読者がどういう俳句に視点を当てるのか。どういうふうに俳句を鑑賞するのかは、大いに興味がある。坂口氏の場合は森澄雄では時間を。金子兜太では思想を、詩精神を、というように、既に定評の出来た作家たちのその背景から表出する人生観を掬い上げようとしている。

要するに、定評のある作家の認識をもうひとつ深める、という作業である。こうした俳壇の外側の自由に物の言える論者は、現在の定評など気にしないで、俳句作家でない評論家がどんな俳句を面白いというのかを指し占めしてくれたら、きっと活気につながるだろう。

実際、定評の出来上がった俳人の句が、そんにいいのかと疑問に思うときもある。俳句論争がもっともっと起ってもいいのでははないだろうか 。

句集2冊

2008年8月23日 土曜日

保坂リエ句集『七十路の果て』  東京四季出版  序文村上護 2008/7/1刊

  消えてゆく噂のやうに桜散る
  兜折る七十路の果てのもの思ひ
  西瓜買ふ一寸叩いてみたくなる
  もしかして今が極楽シャワー全開
  まつり見にゆく敢へて人は誘はず

悟りというべきか、解脱というべきか、こんなに軽やかになれたらいいなー、と思いながら読み進んだ。少なくとも、志しているように見受けられた。一

小林貴子句集『紅娘てんとむし』  本阿弥書店 帯 宮坂静生   2008/5/19

  熱帯魚どかして棺据ゑにけり
  剪定枝たがひちがひにまとめたる
  雨音のはじめは葉音藍浴衣
  己が革もてあます犀養花天
  日時計は捧一本や七竈
  梅の香にひたりて人の歩み出す
  この世から三尺浮ける牡丹かな
  台風裡マッチは箱に頭を並べ

どの句も取り合わせの冴えが、一句の輪郭を際だたせている。

寂聴伝  齋藤慎爾著 白水社刊

2008年8月4日 月曜日

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名は体を現すという言葉があるが、まさにこの齋藤慎爾という名前の複雑さは人間性にも及んでいるかもしれない。人間性は文章にも及んでいる。この人の頭の中は、文章が詰まって脳を成しているのではないかと思うくらい、エネルギーをもった言葉が並ぶ。

文章を書くときには、語彙の持ち合わせのないわたしなどは、大いに参考になる。この「寂聴伝」は6月近くまでの3ヶ月くるらいで書いたそうである。毎日10枚くらいを書いただけ出版社に送りながら完成させたようだ。しかも、手書きで。「いやー、それはやはりパソコンを使ったほうがいいのでは」と思わず言ってしまった。本人も、それを感じて
いるようだから、いずれは、購入しそうである。

瀬戸内寂聴はなんだか、名前は強烈に入ってきているのだが、食わず嫌いの感じで読んでいない。それでも、その主だった著書は知っているのだから、とても浸透力のある作家である。書き下ろし800枚の「寂聴伝」は読み応えがあった。

おおかたの人がそうだと思うが、学校での読書から入るから、純文学系に留まってしまう。それだって、私などはそんなにたくさん読んでいるわけではない。まして、瀬戸内晴海はほとんど読んでないといってもいい。読んでいなくても面白いのは齋藤慎爾氏の豊富な文学史背景が語られるからである。

寂聴の小説を軸にしながら、その初期からの作品にそって語られる小説の背景は、私がやりすごしてきた分野が多いことが、かえって魅力的だった。例えば、あるところからは、野溝七生子の伝記だったり、あるところは小田仁二郎、あるところへ行くと井上光晴が語られる。

そうやって、どのくらいの作家が登場するか、数えられらない。後追いながら、それらの小説を読んでみようという気持ちにもなる。

評論集と句集

2008年7月31日 木曜日

池田澄子評論集『休むに似たり』  ふらんす堂刊

これまでに発表した評論を一つにしたもの。題名からして池田澄子なのである。この題名そのものが、ある種の含羞。

彼女は俳句もそうだが、文章も口語体。当りまえといえば当りまえなのだが、徹頭徹尾口語調。すなわちはなしことばなのである。納得した言語しか使わない、といってもいい。だからとても読み易い。あっというまに読んでしまう。

一集の三分の一くらいは師である三橋敏雄もついて。もう少し三橋敏雄について書けばそれだけで、一冊出来てしまうのではなかっただろうか。

              *********************
八木忠栄句集『身体論』第二句集  砂子屋書房刊

詩人だから、詩集はもちろんたくさん出しているが、その中で余技の句集も二冊発行しているのは、詩人達の中では、俳句への傾斜度が強いほうだと思う。一集は滑稽を目指しているのだが、私が選ぶとやはり抒情的な句になってしまう。

   冬の蔵から冬の骨かつぎ出す
   残菊のほうへかついで行く柩

一句目、冬の蔵は分かっても冬の骨が理解出来ない。それでもなぜか骨とはいいながら無機質な明るさがある、不思議さを醸し出す。二句目も偶発的動作が不思議になる。あえて、言えば計らいのない二句目の不思議さに、より惹かれる。

   紙風船突けども遠し日本海
   春昼や河馬一000頭の河ながれ

紙風船に配された日本海、しかも「日本」とい言葉が懐かしい。二句目の、河なのか河馬の背なのか、とにかく濁流の油絵を感じる。
       
             *********************
小原啄葉句集『而今』 角川書店刊

『而今』とは今の一瞬という意味。大正十年生まれの作者の第六句集目である。

   抱いて来てここらときめし籠枕
   雛あられゴリラの掌よりこぼれつぐ
   古暦剥がされずある避難小屋
   白魚の水の重さを量り売る
   玄関に不貞寝にも似て大冬瓜
   満月は明日かと言ひて身籠りぬ

対象物を思わぬところへ置くことで、生き生きと見えてくるのが不思議。籠枕にしても、雛あられにしても、当りまえなところなら少しも目立たない。玄関に不貞寝しているのが冬瓜というのも、その大きさが見えてくる。

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