寂聴伝  齋藤慎爾著 白水社刊

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名は体を現すという言葉があるが、まさにこの齋藤慎爾という名前の複雑さは人間性にも及んでいるかもしれない。人間性は文章にも及んでいる。この人の頭の中は、文章が詰まって脳を成しているのではないかと思うくらい、エネルギーをもった言葉が並ぶ。

文章を書くときには、語彙の持ち合わせのないわたしなどは、大いに参考になる。この「寂聴伝」は6月近くまでの3ヶ月くるらいで書いたそうである。毎日10枚くらいを書いただけ出版社に送りながら完成させたようだ。しかも、手書きで。「いやー、それはやはりパソコンを使ったほうがいいのでは」と思わず言ってしまった。本人も、それを感じて
いるようだから、いずれは、購入しそうである。

瀬戸内寂聴はなんだか、名前は強烈に入ってきているのだが、食わず嫌いの感じで読んでいない。それでも、その主だった著書は知っているのだから、とても浸透力のある作家である。書き下ろし800枚の「寂聴伝」は読み応えがあった。

おおかたの人がそうだと思うが、学校での読書から入るから、純文学系に留まってしまう。それだって、私などはそんなにたくさん読んでいるわけではない。まして、瀬戸内晴海はほとんど読んでないといってもいい。読んでいなくても面白いのは齋藤慎爾氏の豊富な文学史背景が語られるからである。

寂聴の小説を軸にしながら、その初期からの作品にそって語られる小説の背景は、私がやりすごしてきた分野が多いことが、かえって魅力的だった。例えば、あるところからは、野溝七生子の伝記だったり、あるところは小田仁二郎、あるところへ行くと井上光晴が語られる。

そうやって、どのくらいの作家が登場するか、数えられらない。後追いながら、それらの小説を読んでみようという気持ちにもなる。

コメント / トラックバック2件

  1. じあん より:

    ああ、読みたいです。
    表紙のこの写真のすてきだこと!!
    書き下ろし、と言うところがすてきです。

  2. 初版が店にあるところは、買えますが、注文は八月下旬の重版を待たないと手に入りません。 わたしも注文してありますが。

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