2009年1月 のアーカイブ

季語別 『櫻井博道全句集』 ふらんす堂 2009年1月刊

2009年1月10日 土曜日

6日の火曜日は志木のカルチャー教室の日。いつも一人ずつ俳人の代表作を教材にもっていく。その日は櫻井博道さんの句を20句ほどプリントして渡した。博道さんの俳句は、自然なことばで真髄をついているので、誰でも頷いてしまう。それは、初心者の教室でも確信した。

その日帰ってきて、郵便物を開いてみて驚いた。櫻井博道さんの全句集が送られてきたのである。博道さんとは一度だけご一緒したことがある。佐伯祐三のアトリエを訪れたことがあるのだが、他は忘れてしまった。奥様もご一緒だった。しかし、今回の送り主は妹の平林孝子さんなので、もしかしたら、奥様もなくなったのだろうか。なんだか不思議なものを感じながらお礼状を書いた。

収録は「海上」「文鎮」「椅子」椅子以後である。
当日、教室に持っていった博道さんの句を載せておくことにする。

駆けて来て父よりも子の白き息
ななかまど岩から岩へ水折れて
蕗の薹厨の水が田にしみて
岬へ発つ菜飯田楽たひらげて
春星うごく峡の切株眠れずに
春夜買ふ一握の釘菓子のごと
三月の桑畑のぼる男下駄
洋梨喰ふ夜はひたひたと沖にあり
向日葵を支へし棒も傾けり
吾亦紅眼を細めても夕日燃え
やはらかき凧の骨格引き降す
蜜柑狩一日渚のゆるるなり
冬日の象べつの日向にわれらをり
銭湯出てまた汗かきぬ海の駅
十二月八日味噌汁熱うせよ

余談だが、村松友視の「時代屋の女房」は家具屋さんだった櫻井さんの物置を借りた古道具屋がモデルである。古道具屋の主人は、作家の村松友視が友人だったようだ。映画もそこを使って作成した。

取材吟行・平林寺

2009年1月7日 水曜日

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『松樹千年翠』は不滅の松のみどりを讃えたことばで平林寺の入場券。雨女なので不安だったが、風もなくていい日和だった。とても若く見える編集者と年を経ているように見えるカメラマン、というのは、どちらも風貌とは違う年齢のようだったからである。

私のお勧めは武蔵野の雑木林と平林寺の敷地の広さだった。だから、いきなり平林寺ではなく、寺の敷地の裏の野火止用水の流れるあたりへ案内した。外側へ続く雑木林を実感できるので。おきな羽を拾った。

国木田独歩が「武蔵野」を書いたのは明治31年。この文章の書き始めは「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」である。しかし、いまは多分この平林寺の内外が一番それらしい雰囲気を残しているのだと思う。

武蔵野に何故独歩が惹かれたのかと言えば、ツルゲーネフの「あいびき」の冒頭にある落葉林の趣に触発されたようだ。時雨の音、風の音、落葉、芽ぶきなど、確かに落葉林には季節の動きがある。

そういえば石鼎も吉野にはいってから、そこをツルゲーネフの森のようだと書いている。「武蔵野」が書かれたのは、石鼎が 中学生の頃。多感な青年の多くにツルゲーネフは読まれたようだ。

ここには昭和5年ごろ虚子一行が訪れている。石鼎も昭和10年に訪れている。

青梅をくぐりくぐりて下くらし    原石鼎 昭和10年
咲きのこる椿一花や平林寺
何やらの花も絮も降る平林寺

2009年「俳句あるふぁ」 4、5月号掲載

仕事はじめ

2009年1月6日 火曜日

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ににん」会員の木津直人さんに頂いたお年賀の絵をデスクットップに貼り付けたので、ついでにここでも紹介しておく。

新春らしい爽やかな絵。この絵のように過ごしたいものである。だが、5日のイスラル軍のガサ地区への侵略は子供の犠牲者100人にもなったらしい。志木のカルチャーへ出かけたときに駅で托鉢の姿を見かけたので、喜捨をした。ついでに、どこのお寺から来ているのかを訊ねてみた。
ここなら平林寺かとも思ったが、一瞬僧は眼を宙に浮かせて この辺の寺で座禅をしているのです。寺は鶴瀬のなんとか寺とか言っていた。地元でないところで托鉢をしていることに、引け目があったのだろうか。なんでもいいから、平和な世の中を祈って欲しい。

  天地をいたはりみるや去年今年  石鼎   昭和七年

 

山上樹実雄第六句集『晩翠』 ・角川書店  2008/7刊

2009年1月4日 日曜日

火はときに秋刀魚の上へ乗つかりし
白地着てたれに逢ふともなく帰る
傘(からかさ)のねばり開きや谷崎忌
かたつむり空と遊びて糞をして
氷枕の水に鳴かれて夜の長き
思はざるところ温め冬日かな

実力俳人の破綻のない作品群である。

句集『ベイ・ウインドー』武田 肇  2009/1銅林社刊

2009年1月4日 日曜日

作者自身の帯文に「ーー西洋繪畫の果報盡きるとこころでもある江戸文化史補遺編としての第三句集ーー」とあるとおり、詩人の俳句の中では硬質な物語表現に頷かせてくれる作品がたくさんある。

   春愁や釦の穴へ指落つる
   美女ふたり蛙をわらふ月の徑
   かほを手がみつけてさはる夏の月
   天壇に妻桃を買ふ爾後邂ふことなし
   くび吊つて妹に見せたし鰯雲

第2句集『出航』ドゥーグル・J・リンズィー  文学の森刊   2008/12月

2009年1月2日 金曜日

1971年オーストラリア生で海洋に関る研究者。それだけでも、俳句の視点に期待感が生まれる。

第二句集の特徴は、吾子俳句の加わったことである。

   蔦の芽や嬰児自分の耳握る
   嬰児の言葉は蝌蚪の群るる中
   嬰児の首ぐいと立ち葱の花

また、海洋学者の生活が、おのずと俳句の世界を作る。

   秋彼岸マンボウ二つすれ違ふ
   鮟鱇の吊るされて影持ちにけり
  八方に百八ぴきの法師蝉
  道分かれまた分かれける鰯雲

以上の四句から次の四句の不思議さが生まれる。

  足二本失せたる海星春寒き
  エイの子が枕の中に試験前夜
  歯が生える泣く子に蝉の羽化を見せ
  銀漢にかかりし指紋拭きとりぬ

元旦

2009年1月1日 木曜日

あけましておめでとうございます。

今年も恒例の初詣は、地元の氷川神社です。
夜空の星が何時もの何倍もの数が揃うのも、なぜか大晦日。その星空を眺めながらお参りをすませ、それからまた星空に気をとられながら、家路を辿りました。

本年もよろしくご支援くださいませ。

   大いなる初日据りぬのぼるなり    原石鼎   昭和18年

2009年元旦                岩淵喜代子

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