取材吟行・平林寺

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『松樹千年翠』は不滅の松のみどりを讃えたことばで平林寺の入場券。雨女なので不安だったが、風もなくていい日和だった。とても若く見える編集者と年を経ているように見えるカメラマン、というのは、どちらも風貌とは違う年齢のようだったからである。

私のお勧めは武蔵野の雑木林と平林寺の敷地の広さだった。だから、いきなり平林寺ではなく、寺の敷地の裏の野火止用水の流れるあたりへ案内した。外側へ続く雑木林を実感できるので。おきな羽を拾った。

国木田独歩が「武蔵野」を書いたのは明治31年。この文章の書き始めは「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」である。しかし、いまは多分この平林寺の内外が一番それらしい雰囲気を残しているのだと思う。

武蔵野に何故独歩が惹かれたのかと言えば、ツルゲーネフの「あいびき」の冒頭にある落葉林の趣に触発されたようだ。時雨の音、風の音、落葉、芽ぶきなど、確かに落葉林には季節の動きがある。

そういえば石鼎も吉野にはいってから、そこをツルゲーネフの森のようだと書いている。「武蔵野」が書かれたのは、石鼎が 中学生の頃。多感な青年の多くにツルゲーネフは読まれたようだ。

ここには昭和5年ごろ虚子一行が訪れている。石鼎も昭和10年に訪れている。

青梅をくぐりくぐりて下くらし    原石鼎 昭和10年
咲きのこる椿一花や平林寺
何やらの花も絮も降る平林寺

2009年「俳句あるふぁ」 4、5月号掲載

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