2009年8月 のアーカイブ

短歌雑誌『新彗星』 ・ 俳句雑誌『吟遊』

2009年8月11日 火曜日

加藤治郎主宰の『新彗星』3号

 短歌には暗いのだが、この号は夭折の歌人笹井宏之の追悼特集に20ページほど使っている、と言っても、そんなに特別な歌人だったのだなーという認識をするしかなかったのだが。それでも、遅ればせながら歌集を読んでみたいともひそかに思い立った。

 そんな日、マイミクの風さんが「朝、NHKで、夭折した歌人・笹井宏之さんの特集を見る」と書いていたのを見て、「新彗星を読んだばかりだったので、その番組見たかった」とコメントしたら「新彗星っていいでしょ」というお返事をいただいた。やはり、漠然と感じていたことが正しかったのだ。

それにしても、これほど充実しているわりには同人に連なるのは45名くらいである。雑誌を作っているものとしては、雑誌がかなり売れているのではないかと想像する。

夏石番矢代表・鎌倉佐弓編集の『吟遊』43号
 
 この雑誌が他誌と違うのは夏石氏が世界俳句協会の代表でもあるので、横文字が多い。それを飛ばして読んでも多岐にわたる文章の厚みがある。作品は一頁の人、見開きの掲載を持つものとあるが、とにかくそれぞれが自立の作品を発表している。

   絵馬は流れる川は渡れるものなのか    夏石番矢
   まだ熱きかな花びらの吹溜まり        鎌倉佐弓
   曇り日の地上くまなき蝶の翳         雲井ひかり

 今回、いつもよりこの雑誌を丁寧に読んだのは三句目の雲井さんの「曇り日の地上くまなき蝶の翳」を見つけたからである。シュールリアリズム的な作り方にもかかわらず、この蝶の翳が写実的に納得できる。

糸瓜

2009年8月7日 金曜日

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昨日だと思っていたが、今日が立秋だった。南側に毎年ゴウヤを植えていたが、今年は何故か糸瓜が育っていた。この糸瓜未だに一個も実をつけないで、葉だけが二階の窓硝子を陵駕しようとするのである。間近に毎日その育ちようをみていて知ったのだが、 茎から伸びた蔓がどこかに巻きつくまでは真直ぐなのだが、ひとたび巻きつく獲物を見つけると、きりなくねじれて巻きついていくのである。

窓に摂りつかれるのは困るので、伸びてくるたびに茎を切り落としていたが、その隙をついてまた一本の茎が、硝子の端を掴んだようだ。明らかに、ねじれている。その勢いがいかにも「生き物」という感じで、恐ろしくさえ思われるほど逞しい。 明日は悪いけど伐らしてもらわなくては。

関口恭代句集『よろこび』   2009年7月 本阿弥書店刊

2009年8月6日 木曜日

 『帆』主宰。昭和三年という生年月日を知ると吃驚してしまう。それほど若々しいのである。「事務所と家が離れているので忙しいのよ」と淡々というあたりにも、関口氏の若さがある。句集は平成十年から十三年末までの約三百句。ということは、間を置かず句集上梓があるのだろう。

  卯月八日さり気なく老い髪を梳く
  
 自選句に上記の句がある。「さり気なく老い」のあたりに、老いの自意識を秘めながらも、これから生きる時間にも、振り返る時間にも等分に視線を投げているのが感じられる。

  仮の世の夕日に沈む冬の蝶
  寒晴れの沖へ翼を運ぶもの
  塩水を吹いて浅蜊のさびしき夜
  己が影たのしみて舞ふ紋白蝶
  大空の果てより飛んできた枯葉

 老いるということは、生への慈愛の育てることであるということを教えてくれる一書である。

明日は満月

2009年8月5日 水曜日

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予約しておいたエステの日。家を出るときから今日はぐっすり眠ってしまうなーと思った。2時ごろから睡魔が襲っていたからだ。今日の担当の女性は余分な機器を使わずにハンドーマッサージのみで貫いた。睡魔が寄せたり退いたりしているあいだ、その手の感触がしっかりこちらの肌に密着しているのが分かり、その手が熱いくらいに感じる。なんだか、効きそう。

帰りは日傘も要らなくて、涼しくなった。近所の公園の入口にあったエゴの実。別になんの役にも立たないのだが、立派に生っているのを見ているだけで嬉しくなる。まわりに烏瓜も咲きそうだった。

満月かと思ったが、暦では明日が満月のようだ。そうして明日は立秋でもある。このブログとは別に石鼎をテーマにしたブログ『原石鼎』を新設した。石鼎に関する情報やら評論やらを転載し、石鼎俳句の鑑賞もしていこうと思っている。

手早いひとなら、ひとりで毎日一句ぐらいの鑑賞は出来るのだろうが、それでは忙しくなりすぎるので、いろいろな方にお手伝いしてもらうことにした。お願いしたひとからぼつぼつ、鑑賞文が到着しはじめたので、明日の立秋から掲載していこうと思っている。それでも毎日の更新は無理である。そろそろといくことにしよう。

続けているうちに、また何か発見やら方法があるかもしれない、といういつもの他力本願的な安易な立ち上げ方だ。

句集四冊

2009年8月5日 水曜日

 松野苑子句集『真水』  2009年   角川書店刊   

童心と冒険の句集として    
    
    
水餅は雲の気持になつてをり
    手袋が欠伸のやうに置かれあり
    蟷螂に巨大鉛筆近づき来
    ブランコを百回漕ぎて我を消す
    お汁粉の餅がまつしろ京泊
    空蝉を一回吹いて捨てにけり         

      ~★~~★~~★~~★~~★~~★~ 

酒井弘司句集『谷風』    2009年    津軽書房
   

   クレソンの根からしたたる春の水
   にんげんに盗人萩と呼ばれおり
   海を空とおもう日もあり秋はじめ
   風呂敷をひろげて包む春の風
   揚羽来てこの世の光撒き散らす

主宰誌『朱夏』のあとがきにはしばしば菜園のお話が登場する。それを思い出すと、酒井氏の姿も浮びあがってきそうである。全体に陽光のあふれた作品集。 

      ~★~~★~~★~~★~~★~~★~ 

岡崎桂子句集『梓弓』 2009年    本阿弥書店刊

力のある作家として

   鵙鳴けり寝墓を石と思ふ時
   影もまた水を越えけり黒揚羽

    ~★~~★~~★~~★~~★~~★~ 

辻惠美子句集『萌葱』   2009年   角川書店刊 

姿勢正しい句集として

    深海に鳴りたるごとし冬風鈴
    寒天干裏返す時顔翳る

小澤克己句集『風舟』    2009年 角川書店刊

2009年8月2日 日曜日

 あとがきによればーー2009年8月1日で満60歳を迎えるために一つの節目として出版に踏み切った、とある。還暦ということもあって、第二の処女句集という意識もある著者の第八句集。

  風狂の舟の来てゐる花辛夷
  鳥帰る舟に雨情を残しつつ
  花守の身はひとひらの舟ならむ
  湖岸へと舟片寄せつ春惜しむ
  月凉し起稿は舟に乗るごとし

 句集名を『風舟』としたように、「舟」は風雅の舟として象徴的に使われている。掲出のどの句にも、その意思が汲み取れて、小澤氏の言う第二の処女句集という言葉にも重なる。ここで面白いと思ったのは、第四句「湖岸」まで実像の舟、そうして五句目の舟は比喩の舟である。しかし、この舟が一番印象に残り、その実像感があることに注目した。

  木の橋の真ん中乾く雀の子
  白靴のいきなり海の端に立つ
  春昼の海見て馬の振り向かず
  清水湧くいのちの重さ軽さなど
  セーターをくぐりて星の国に出づ

 いずれの句も輪郭の明瞭さが魅力を発揮している。それは輪郭を得ることが詩心を形作っているからである。一句目の雀、二句目の白靴の存在感。三句目、四句目の心象風景。中でも五句目の飛躍がことにいい。

祝賀会

2009年8月1日 土曜日

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『遠嶺』の小澤克己主宰の句集と還暦の祝賀会。今日 8月1日は誕生日でもあるそうだ。ごく内輪のお祝い、と言っておられたが、たしかに招待者は3つのテーブルにおさまるだけ。しかし、祝賀会の最後には会場の東武ホテルから大きなケーキが贈られた。

そのうえ、二次会でもバースデイケーキが贈られて、主宰は感激なさっていた。60歳とは俳壇では充実期の年代ではないかとおもう。生前の原裕先生を思い出す。わたしが鹿火屋に入会したのは原先生が40代半ばだった。そうして、それから10年後の50代半ば、忙しさの頂点にきていた。まさに小澤さんの年代に重なる。

これから、大いに主張をしていただきたいと思う。

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