2008年7月 のアーカイブ

『水明』 主宰・星野光二  「句集喝采」筆者・田村みどり

2008年7月8日 火曜日

◆岩淵喜代子『嘘のやう影のやう』   東京匹季出版

 著者略歴 1936年東京生。▽1976年「鹿火屋」入会。1979年「詔]創刊に参加。2001年句集「蛍袋に灯をともす」により第一回俳句四季犬賞受賞。現在「ににん」代表。俳人協会、日本ベンクラブ、日本文芸家協会会員。句集四冊。
 
 齋藤慎爾氏の著者への頌は「陸沈の佳人」。陸沈とは俗世を超越したすぐれた人が、世間と俗人と同じ生活をしていることをいう。
 氏は「孤独な世界、さしあたって俳人達に背をむけた世界を歩こうと決意した俳人が、やむなく俳壇のパーティに出ざるを得ないような時、著者は俳人たちが華やかに回遊する喧騒の只中で、悠揚迫らぬ態度で、遠目にも涼やかに沈んでいるのだ」という。
 私は数年前、たまたま著者の「逢ひたくて蛍袋に灯をともす」という句に出逢いショックだったけれど、今にして思えばだった。

  草餅をたべるひそけさ生まれけり
  白魚を遥かな白馬群るるごと
  一艘も出る船のなし雛あられ

 句集を幡くとすぐに独特の著者の世界が、尽きることなく湧く泉のように広がって来る。

  暗がりは十二単のむらさきか
  暗黒の芯を力に野焼きの火
  春眠のどこかに牙を置いてきし

 これはもう天性の感覚としか言いようがないと嘆声と共に読み進める。
  
  嘘のやう彭のやうなる黒揚羽
  三角は涼しき鶴のの折りはじめ
  雑炊を荒野のごとく眺めけり
  老いて今冬青空の真下なり

         ~~☆~~~~☆~~~~☆~~~~☆~~

ににんの表紙絵

2008年7月6日 日曜日

 にん」創刊号の表紙は絵、当時美大生の若山卓さんのもの。いまも「ににん」ホームページのトップページに使わせて貰っている。

http://www.sukiwa.net/artworks/news/2006/wakayama.html

もちろんあれから八年近くも経っているので、彼も、武蔵野美術を経て、生家の高崎を拠点に、創作活動を行なっている。そんな活動の一つに、 人形作家・川本喜八郎氏制作の映画「死者の書」背景画制作に携わったこともあたっらしい。知っていれば、もっと意識して映画を観たのだったが。

その若山卓さんから久し振りの個展のご案内を頂いた。高崎市内の高島屋で、七月九日から十五日まで開催する。近くの方は、是非お立ち寄りください。

眼鏡

2008年7月5日 土曜日

かなりなドライアイだということで目薬を貰ってきていたが、それもなくなったし、眼鏡を作る予定もあったので、今日また医者へ出かけた。ドライアイのほうは改善されたらしい。「とてもよくなっていますよ」と女医さんがいうので、眼鏡を作るための視力検査をして貰った。

もともと、近眼も老眼もほどほどのところなのか、眼鏡はなくても用は足りている。しかし、長時間本を読むことはできないので、やはり眼鏡は必要かな、とおもったのである。わたしの目は左右の視力が違うし、両方がかなりな乱視。それはよく分かっていた。なにせ、視力検査のリングがだぶってシャネルのマーク見えたりするし、空の月も一つではない。

今回、時間をかけて調べてもらって、新たに自覚したことは、右の目は遠くを見るためにあり、左は近くを見るために使われていたようである。だから、眼鏡がなくてもそこそこ不自由は感じなかったのである。なんと健気にも、自分自身で遠近両用の役目をこなしていたのである。

私が遠くを見たり近くを見たりするたびに、左右の目がお互いに、「今度は貴方の出番でしょ」と声を掛け合っていたのかもしれない。要するに、両目でみているつもりが、片方づつ使い分けていたのだ。左右の視力を揃えれば眩しさも消える筈だという。そこまでは気が付かなかった。とりあえずは、近眼用のサングラスをつくることにした。夏対策のために。

誤植

2008年7月4日 金曜日

「ににん」を発送してやれやれと、一息ついたのだが、直ぐに誤植を見つけてしまった。それも、タイトルである。正確にいうならタイトルにしている石鼎の俳句の最後に余分な平仮名が付いていた。

何度も見ているのに、気が付かないのは、多分校正の死角というものがありそうだ。タイトルなんていうのは意外に見過ごしてしまうのかもしれない。それが開いてすぐに見つけるというのも、ショックなことである。十七音なのだから、一度でも読んだら見過ごすことはないと思う。それも特別大きな文字で目立つのだ。

うーん、なんとかしなければいけない。メンバーの中には、校正に携っていた人だっているのである。これは、もっともっと何部も刷って、各自がもう一度家で落着いてみるべきかもしれない。次回秋号の締め切りは8月25日。

閑話

2008年7月2日 水曜日

印刷所から「ににん」31号を発送したという連絡が入ったので、今日は留守にできない。広島からだから、午後便になるはずだと思っても、やはり朝から待機の構えですごしている。もう、封筒の用意はしてあって、ただ袋に入れて封をすればいい。

朝から鶯は鳴いていたが、今朝ほんのひとときホトトギスが鳴いた。今年はじめて聞いたのだが、住み着いているのか行きずりに鳴いたのか・・ 。あるいは、六月の旅行で四六日中、鳴きつづけていた「ホトトギス」の声を聞きなれたせいで、聞きとれるようになったのか。

こうした待ちの時間にホームページ更新をする。「ににん」は贈呈された句集の紹介などの頁がない。他誌に転載されても、それを「ににん」に反映させる頁も作っていない。ホームページの「他誌からの転載」「受贈著書」なる項目を立てて、雑誌の補いにしているので、この管理は外せない仕事なのである。

それで、家にいれば2時ごろというのは、昼寝の時間になる。寝なくても体が動かなくなるのは気圧のせいか。夏はことに、眠くなる。「午睡」が夏の季語だというのを大いに納得するひと時だ。

句集「嘘のやう影のやう」評 3点

2008年7月2日 水曜日

 評者・高道 彰   『運河・主宰・茨木和生』七月号   「句集拾珠」より 

あとがきに「立冬の印象で、一番濃く覚えているのは、その日に出羽三山のひとつ、月山に登ったことである。(略)当時四十代だった(略)原裕先生を加えた男性三人と私だけで頂上を目指した。(略)雪道で原裕先生の(略)その荒い息の合間に、 「芭蕉が月山に登ったのは、僕と同じ歳だったよね」とおっしゃった、と記す。 十九三六年、東京生まれ。第四句集。

  顔洗ふ水に目覚めて卒業子
  黒板に映りはしない春の雲
  春愁の顔洗ふたび目を閉ぢる
  陽炎や僧衣を着れば僧になり

 僧衣を着れば僧になる私、僧衣を脱げば何になるのか。僧衣にかわる着衣を探すしかない。ふと日常の平凡にあきた私の小さな冒険、陽炎の消えるまでのつかの間の。

  花果てのうらがへりたる赤ん坊
  鎌倉の武蔵鐙の咲きにけり
 
どうも若武者の面影が立つ。頼家または実朝の面影が。それに実朝を暗殺した公暁が。風にゆれる武蔵鐙のその奥に。

  新しき蛇籠を抱いて来たりけり
  鱧食べてゐる父母の居るやうに
  雫する水着絞れば小鳥ほど

 さわやかな機知がきもちよい。それになんともいえないコケットリーがある。できれば翡翠色の水着でありたい。

  湖風にハエトリリボンあそびをり
  水引の咲きすぎてゐる暗さかな
  大叔母に会ふや錦鶏菊の野辺
  それぞれの誤差が瓢の形なす

 それぞれの誤差ということはみなすべて誤差ということで、真の値がないということでなんともおかしく、つい笑ってしまった。なんとも愉快になる俳句である。

  鳥に無き眉を真白く秋遍路
  古書店の中へ枯野のつづくなり

 この枯野は安堵につく溜息のような温かさがある。古書もまた。

         ~~☆~~~~☆~~~~☆~~~~☆~~
評者・星井千恵子  『遠嶺・主宰小澤克己』七月号 俳スコープ

著者は同人誌「ににん」の創刊代表であり、2001年に句集「螢袋に灯をともす」により第一回俳句四季大賞を受賞されている。又、句集のほかにも著書を多数手掛けておられる。句集名は〈嘘のやう影のやうなる黒揚羽〉より。

  釦みな嵌めて東京空襲忌
  天上天下蟻は数へてあげられぬ
  三角は涼しき鶴の折りはじめ
  雫する水着絞れば小鳥ほど
  雑炊を荒野のごとく眺めけり

対象への視点が実に斬新であり、言葉を生き生きと操る作者に、憧憬を覚える。
齋藤慎爾氏は、栞に「この一巻には、岩淵さんの死生一如の精神が蒼白い燐光を放っておる」、と述べている。

  草餅を食べるひそけさ生まれけり
  草紅葉足を運べば手の揺れて
  枯菊の匂ひや祖母の居るごとく
  泣くことも優性遺伝石蕗の花
~~☆~~~~☆~~~~☆~~~~☆~~

評者・高木直哉  「鴻・主宰・増成栗人」七月号 俳書紹介

   草餅をたべるひそけさ生まれけり
 
この巻頭句をはじめ、対象を鋭い感覚と確かな目で捉えた写生句が多い。

  箒また柱に戻り山笑ふ
  雫する水着絞れば小鳥ほど
  瞬間のうちかさなりて滝落ちる
  それぞれの誤差が瓢の形なす
  雁來月風の気配の僧進む
  草紅葉足を運べば手の揺れて

同じ写生句でも対象が動物になると、作者の感性はなお冴え、動物が生き生きとして楽しい。

  嘘のやう影のやうなる黒揚羽
 
幻のように現れては消える黒揚羽をよく言い当てている。表題句である。

  水中に足ぶらさげて通し鴨
  金銀の毛虫は何処へいくのやら
  月明の色をさがせばかたつむり
  三日月の夜の大好きな山楸魚
  孑孑のびつしり水面にぶらさがり
  むかうから猫の覗きし水中花
  運命のやうにかしぐや空の鷹
  短日の象を洗つてをりにけり
  水仙の日向に大き猫来る
  大岩へ影置きに行く冬の犀

 多くを占める写生句の間に、リリカルで硬質な心象風景の句が顔を出す。

  虎落笛夢に砂金のこぼれつぐ
       
想念の句に対してはとにかく深読みになり勝ちなものだが、あまりきめつけないで、自由に解釈を楽しんだ方がよいのではないか。「砂金」では、太宰治の「すべてを取り去ったその底に砂金のように残るものが、本当の物である」の言葉を思い起こす。

  暗がりは十二単のむらさきか
  水澄むや鏡の中に裸馬
  かりがねや古書こなごなになりさうな
  花枇杷のひそひそと散る嫉心かな
  雑炊を荒野のごとく眺めけり
  古書店の中へ枯野のつづくなり
  梟の夜ともなれば諦める
  火星とは末摘花の懐炉とは

  揺り椅子をゆらさないでよ春の闇
  卯の花が咲いたのですねこの村も
  天上天下蟻は数へてあげられぬ
 
ところどころに柔らかなクッションのように、この様な口語の句が置かれているのも特徴であり、作者の懐の深さを示すものであろう。
 栞において、斎藤慎爾は作者を「〈陸沈〉の佳人」という。陸沈とは孔子の言葉で、「世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。世間に迎合するのも水に自然と沈むやうなものでもつと易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の真中に、つまり水無きところに沈む事だ、」との小林秀雄の感想文を引いた上で、
「私は俳人たちが華やかに回遊する喧騒の只中で、悠揚迫らぬ態度で秘かに〈陸沈〉している岩淵さんを目撃しているのである。」 と記している。

  みな模倣模倣と田螺鳴きにけり

 作者は「あとがき」に「川崎展展宏先生が総合誌の五十句応募を促してくださったこともあったが、ついに一度も挑戦しないままだった。」と記しているが、これは徒らに世間を気にせず、自己に深化して研讃に徹したということなのだろう。己を叱咤して励む作者の姿勢を見ることのできる句である。

  一生のどのあたりなる桜かな
  生きた日をたまに数へる落花生
  死もなにもかもつまらなく臭木の実
  時雨空友が老ゆれば吾も老ゆ
  人並みに月日過ぎ行く白桔梗
  生きて知るにはかに寒き夕暮れよ

作者の死生感が垣間見られるような句も、あくまで客観的であり、過剰な情感は流れない。

  老いて今冬青空の真下なり

凛として爽やかな作者の立姿である。
    ~~☆~~~~☆~~~~☆~~~~☆~~

『円虹』 結社ギャラリーから

2008年7月1日 火曜日

「ににん」

 代表岩淵喜代平氏は昭和十一年生れ、原裕・川崎展宏に師事、句集『朝の椅子』『硝子の仲間』他があり『蛍袋に灯をともす』により東京四季出版の第一回俳句四季大賞を受賞。
 「ににん」は四月(春)七月(夏)十月(秋)二月(冬)の年四回の発行で、手元の二〇〇八年八号は第三十号であるから、創刊されて八年目ということになる。
 手元の春号では俳句欄は二十六名による「ににん集」、二十九名による「さざん集」があり、双方の出句者はほとんどが共通であることから三十人ほどの同人で運営されていると推測される。
[ににん集」の出向者は五句すべてに「円」を読み込んでいるのでこちらは所謂題詠、「さざん集」は雑詠欄ということになるのであろうか。
  
  鳰の眼や円らなれども動かざり    上河内岳夫
  春の堤防ふと円熟のつまらなさ    木津 直人
  遥かなる円周率を券の蟻       松浦  健
  春来ると円空仏のやうな顔      岩淵喜代子

ちなみに「さざん集」から同じ作家の句をひいてみると
  
  見上ぐれば白き富士あり霜の道    上河内岳夫
  つちふるや銃砲店に「銃」一字    木津 直人
  何もせぬことが尊し大海鼠      松浦  健
  田遊びや根雪を闇へ片付けて     岩淵喜代子

 「ににん集」のおきな特色は大多数の俳誌に共通の「主宰による選」が無いことである。のみならず「句評」も一切ない。出句者はすべて五句ずつ掲載され、わらには「ににん集」「さざん集」ともに掲載は作者名五十音順送りで、代表の岩淵氏さえその例外ではない。
 また冒頭二頁に亘って掲載の「物語を詠む『伊豆の踊子』筆者:伊丹竹野子」、は文字通り川端康成の小説「伊豆の踊子」のストーリーを追って二十四句の作品にするという大胆な試みである。
  踊子や天城の宿の朝寒し
  朝霧や夕べのままの薄化粧
  長襦袢落菓にかさね旅寝かな
  踊子と泡沫の恋冬隣る
 しかしこの俳誌の中核は代表岩淵氏による「原石鼎評伝」であろう。第二十九回[行く春の近江涜わたる烏かな]四頁、第三十回「われのほかの涙目殖えぬ庵の秋」六頁を一挙掲載で、総頁数五十六頁の二割近くを割いている。
そのほか「私の茂吉ノート」田中庸介氏五頁、「預言者草田男」長嶺千晶氏四頁等多くの紙数を俳論等に割いている。
 執筆頁数に応じて同入費を負担するという独特のシステムが[ににん」の経営と執筆者の自由を支えているようだ。
  
     『円虹』主宰山田弘子  二〇〇八年七月号から  筆者・浜崎壬午

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