‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

永久保存版 『花の歳時記』  東京四季出版

2010年1月13日 水曜日

hananosasiki.jpg     hananosaiziki.jpg  

四季折々の花にまつわるエッセイと俳句

「ににん」では岩淵喜代子が「八つでの花」のエッセイと同人・購読者の一句。

ウインドーズ7に90パーセント移行

2010年1月11日 月曜日

どういうわけか「原石鼎ブログ」だけがパスワードを保存しなかったみたいで、新しいパソコンからログイン出来なかった。問合わせ中だったが、その返事が来る前に古いメールからやっと探しあてた。ほっというところ。あとはハガキソフトの問題が残っている。これはどちらかのメーカーに問い合わせるしかない。ハガキソフトも繊細で、ときどきそっくり住所が消えてしまう。

細かなことを言えば、文字入力のことやら、ページレイアウトの以前との違いによる戸惑いやらがあるが、とりあえずは使えるということになった。やれやれ。この無線方式というのは、内容を読み取られやすいのだそうだが、わたしには読み取られてこまるほどのものもない。とにかく、家のどこへでも移動して使えるノート型は便利だ。

というわけで、今朝UPした石鼎ブログは新調のパソコンから のもの。

七種

2010年1月7日 木曜日

asakano1.jpg    nanakusa.jpg       

夕がた散歩をしていると、立ち木が半分夕焼けていた。
今年の大晦日も12時を過ぎると、娘の家族とともに近所の氷川神社に出かけ、そうして3日目にはもとの静寂がもどるというパターンだった。そうして今日は七種粥に目覚めて、正月気分を抜け出したのも例年のことだった。

まずはパソコンの身辺の整理。まだ古いパソコンを捨てるわけにはいかない。何しろ機能は半分くらいしか稼働していないのだ。まずはネット関係は「原石鼎ブログ」だけが何故かログインできない。ホームページはしばらく木佐梨乃さんにお任せすることにした。もともと彼女の作ったホームページである。ハガキソフトがインストールできない。ウインドウズ7に対応していないのでは、と木佐さんがいう。それも考えられる。しばらくは大変だ。

それでも古いマニアルやらCDやら、ゴミ袋がふたつ出来た。ひとつ捨てられないものがあった。パソコンに対応したプリンターを買ったので今までのインクが残ってしまった。PIXUS  bcl-7ey(黄)・ bcl-7eM(赤)・bcl-7ebk(黒)の未使用がある。どなたか、このインクを使っている方には差し上げたい。黒は3個くらいある。機種を新しくしてもインク位は同じにするればいいのに、頭が悪いなー。

あけましておめでとうございます

2010年1月2日 土曜日

今年の使いはじめのウインドーズ7のパソコンからです。
まだ使い始めで、いろいろなところで躓いています。まずは、ブログやミクシイへのログイン。漢字登録などなど。ハガキソフトのインストール。これが嫌でいままで変えられなかったのですが、もう限界にきていました。
こんどはノートパソコン、しかもコードレスなので何処ででも使えるのがいい。
いちばんのメリットはこの部分である。家の中なら何処にいてもネットも印刷も可能。

とりあえず、新しいパソコンと少しずつ折り合いをつけていこうとおもいます。
本年もよろしくおねがいいたします。

オンデマントその2

2009年12月30日 水曜日

以前ちょっと触れたオンデマントについてだが、その仕様で俳句とは全くちがう分野の本を出版をした。

 「ふたりの女の子」 は数ヶ月間のあいだ孫に送っていた思い出話。「ににん」とは全く独立させて書いてきたので、ほとんどの人が読んでいないのではないかと思う。こんなに分量があるとも思わなかったが意外や厚かった。 相原 梓(あいあはら あずさ)はもしペンネームを使うなら、こんな名前がいいと温めていたもの。たぶん最初で最後に使うペンネームだろう。

装丁のすべてはお任せしてしまったが、可愛い表紙ができあがった。酷評の齋藤さんにお見せしたら「いいーじゃない」とおっしゃった。オンデマントの良さは小数部でもいいことである。もし、本や出版に興味のあるかたは参考にしてはいかがだろう。 「きれい・ねっと」は若い女性が一人で立ち上げた出版社で、彼女自身も本を出し、講演をしながら、自分の手掛けた本を販売している。

この印刷を手掛けるのが、「きれい・ねっと」社の山内尚子の実家なのである。その印刷会社の社長さんは、どうした弾みかわが「ににん」誌を長年購読して下さっている。思えば、今年もいろいろな方にお世話になった。本に出来るとも思っていなかったこんな話を一書に仕上げることが出来たのも、人のご縁である。

年末

2009年12月29日 火曜日

不思議と年末はおだやかに終る。いつもの散歩道である黒目川もゆったりと鴨が群れて鯉が群れて鳩も群れていた。もっともほかにも鳥はいたのだが名前をよく知らない。

このところパソコンの不調が続いて、ミクシーにまで入れなくなった。この機会にやっぱりパソコンを新調することにした。いままでの旧式のパソコンは、後にコードがどっさりと垂れ下がっていて、それだけでも鬱陶しかった。このごろは無線で繋がるようだ。

手続きをし設定をして使えるようにするのに時間がかかるとかで、大晦日に手渡されることになった。これまでのデスクトップ型ではないので、周辺が随分と整理できる。そのうえノート型だから、どこででも使える。それにしても、安価になった。十年前に買ったときより安いのだ。つい2,3年前から比較すればかなりな低廉である。

「ににん」も予定通りの発送となり、大晦日、あるいは元日ごろには届くのではないかと思っている。振り返ってみればいろいろあったような無いような・・・。多分大きな事件もなく、大きな困難も大きな幸運もなかったからだろう。

唯一特筆することは、長年連載した「石鼎評伝」が九月三十日に無事出来上ったことだ。読売新聞には西村和子さんが、朝日新聞には五島高資さんが、そうして共同通信社には小川軽舟さんが書評を書いてくださった。また、WEV「週間俳句」には猫髯さんが、総合誌「俳句界新年号」に坂口昌弘さんが書評して下さっている。

それよりもいち早く、石鼎の地元の出雲では、山陰中央新報の読書欄に寺本喜徳氏が大きく紹介してくださった。だから、出版されて2ヶ月の間に出雲では小川軽舟さんと寺本さんの二人に書評されたのである。読書欄の私のとなりに紹介されてるのは川上弘美の「これでよろしくて?」だった。やはり、石鼎という名の重さなのだろう。

ブログ「原石鼎」

2009年12月22日 火曜日

八月に新たなブログ「原石鼎」を立ち上げた。かれこれ5ヶ月になるが、毎日更新と言う訳にはいかない。10人くらいに手伝って貰いながら、あとは自分が埋めていこうと思っていたが、頼んだ人もOKしながら鑑賞を送ってこなかったりもし、結局6人くらいの人のお手伝いということになったからである。

それより何よりわたし自身が俳句鑑賞とは、ということを模索中で筆が進まなかったからである。古今の俳句鑑賞の本も広げてみたがこれという目指したい文章ではなかった。それじゃどんなのを目指しているかと問われても答えられない。そのへんに私の鑑賞の筆の進まない理由もあるのだ。

このところようやく「ににん」に書くものが決った。石鼎俳句へのアプローチには違いないが、ただ、一句ごとの鑑賞の羅列では詰らないと思っていたので、少し前進ということだが、果たしてその思いついたアプローチの方向が自分に出来るのかどうか。それが問題だ。

それはともかく、これまでは助走ということにして、もう少し鑑賞者を増やすことにした。人によっていろいろな鑑賞の仕方があっていいとおもっているし、同じ句が何回鑑賞されてもいいと思っている。ぼつぼつ依頼した人からのお返事も来ているので、来年からはもう少し充実するのではないかと思う。

毎日が忘年会

2009年12月19日 土曜日

新月だった。東京駅から乗った車が月島あたりに差し掛かると、高層のビル群そのものがイルミネーションのように鮮やかだった。しかし、新月はそれらの灯にも紛れないで、冴え冴えとしていたから、空気が澄んでいるのかもしれない。日本海側では雪だという。

このところ、神楽坂での「猪」の薬喰からはじまって、荻窪教室「夜の俳句教室」も今年最後の日、「ににん」吟行句会の忘年会。そうして昨日の数人の恒例の会も最後は原宿のイルミネーションを堪能してきた。その揚句の今日ということで、昼間は節制していたが、それでも体重は上昇気味。

その上に、これから本格的な忘年会が幾つも続いて、もうこれでお仕舞だろうと思う、最年末は親族の忘年会が重なる。そうして大晦日になるわけだ。我家はそこから娘家族との大忘年会というか、大宴会が続くだろう。何しろ飲むことも食べることもにも活気を見せる若者一家だから。

このごろは甥やら姪やらも一家を成してきたので、今年の正月一日に集るのは数えたら18人になる。座ることはどうにかできるかもしれないが、どうしたものかと、夫婦で顔を寄せての久し振りの会談になった。

「ににん」37号初校入稿

2009年12月9日 水曜日

「ににん」37号編集中に プリンターが壊れてしまった。紙詰りが原因だ。どうやっても元に戻らない。「ににん」の場合、データーと同時に紙焼も送る。その紙焼はデーターを転送して「ににん」の他の人にプリントしてもらって入稿完了となった。

こんなことが、居ながらにして出来るのはバソコンのおかげである。とりあえず、今日はプリンターを買いに出かけた。このプリンターを替えるたびにインクもストックが使えなくなるのが腹立たしい。今回は現在のインクが使えるものをと指定してみたが、一台も同じインクが使える機種はないのである。どうして、そのたびにインクの形まで変えてしまうのだろう。

仕方がないから、この複合機を修理することにした。急場しのぎに、シングル機種を買うことにした。二週間も無しではいられないのだ。帰りに渋谷まで足を伸ばしてロートレック展を観た。たしかにそうだ、と思うのは「ポスターを芸術に高めた画家」というコピーを思い出したときだ。

実際には画集で見る絵画では感じられない豊かさが、たとえば酒場の歌手を描いた《エルドラドオのアリスチード・ブリュアン》などにある。何にそんなに癒されるのか、とおもうような線描のその輪郭にある。ポスターの単純化された線描が不思議な奥行きを見せて、楽しませてくれた。

渋谷から、神宮前、新宿伊勢丹から目白とめぐるバスで池袋に廻った。街が目白あたりから、なんだが屋根がひくくなって建物が小刻みになった。

ブロッケン現象

2009年12月6日 日曜日

山頂で見えるブロッケン現象を田圃で見た。今年の田尻の雁見学二度目。今回は専門家が夜も朝も連れていってくれる、現地のツアーに参加した。11月より条件が悪くて、ねぐら入りの時間は雨だった。しかし、雁は雨でも雪でも帰ってくるのだそうである。

翌朝は晴れていたので、期待していたのだが、靄っていて、しかも明るくなるにつれて濃くなっていった。中天に月は煌々としているのに、太陽は月のように幻想的な風景になった。雁はどういうときに活動的になるのか、係りの人も分からないそうである。今日はどういうわけか、半分くらいしか飛び立たなかった。

しかし、帰りがけに思わぬ風景にであった。本来は高山の象徴のブロッケン現象が田圃に現れた。山のそれのようには鮮明ではなかったが、写真にも辛うじて写ってくれたが、わかるだろうか。

karigane11.JPG

トップページ

ににんブログメニュー

アーカイブ

メタ情報

HTML convert time: 0.158 sec. Powered by WordPress ME