‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

春の雪

2010年2月18日 木曜日

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 牛乳にりんごに日々の余寒かな   原石鼎

こんな石鼎句があるが、まさに、今週はじめからずっと余寒とか冴え返るという日々だった。まずは月曜日の連れ合いの退院の日の寒さも格別で、隅々まで暖房の効いた病院にいたものにとっては格別な寒さのようだった。

その翌日は夜の荻窪教室のあとの帰り道も雪混じりだった。
それが今朝は完全な雪景色。「わー」とばかりに携帯カメラに納めて、雪見物にもいかなければと、思い立った。顔を洗いながら、散歩コースの黒目川の景色を思い浮かべていた。

それなのに、朝食後に振り向いたら窓の外の雪景色はほとんど消えていた。
「なんて潔い引き際なんだろう」とあきれてしまった。これでは淡雪ならぬ泡雪である。やはりそれが春というんもんだ、と枝の鶫が言っていた。

締切日

2010年2月14日 日曜日

昨夜ベランダから往来をみていたら車の光の中に雪が舞っていた。かなり大きな牡丹雪だったので、少しは白くなるのかなと思った。外の雪の気配を感じながら家の中ではようやく、客用の寝具の手入れが済んだ。娘たちが手術日に泊ったときのままになっていたものだ。やっと和室がすっきりしたところで、ふたたび外を覗いたが、ちらとも雪の痕跡がない。錯覚だったのだろうか。

もう一つの締め切りがある。と言っても原稿ではない。連れ合いの退院に伴う我が家の受け入れ体制である。そう言うと特別な環境を整えなくてはならないように受け取られてしまいそうである。要するに入院前の状態に我が家の環境を戻さなくてはならないのだ。

独りでいると、家中がきりもなく私室化してしまうのだ。それまでリビングの隣が私のパソコンを使う部屋だったが、ひとりになるといつの間にかリビングにはみ出してしまっていた。ノートパソコンの簡易さと無線の便利さが加わったから余計自在に移動できるのだ。真ん中にテーブルを据えると、その周りを砦のようにいろいろなものが重なっていくばかり。毎日、そのテーブルと部屋の端に置かれている食卓の間を行き来する怠惰な暮らしになっていた。しかし、月曜日が退院と決まったので書斎を後退しなければならない。

ほんとうはもう一つ締め切りを決めないといけないものがある。もう長いこと家じゅうの襖の張り替えをしなければと思っていながら果たせない。経師屋は我が家から数分のところにある。一声かければ済む簡単なことなのだ。しかし、家じゅうの襖を外すということは、家じゅうの押し入れが裸状態になるわけだ。別に見られて困るようなものもないのだが、少しは整理が必要なのだ。その一事ができないために経師屋さんに依頼にいけない。

ほんとうは、連れ合いの退院日のように経師屋さんに依頼してしまえば、それが締め切りになるだろう。しかし、人生の締切日は何時になるのかわからない。角川書店の新年会でお目にかかったばかりの山田弘子さんが亡くなった。俳誌「円虹」主宰、「ホトトギス」重鎮だった。

わけのわからないことばかり

2010年2月7日 日曜日

昨日も今日も風の一日。窓から眺めていると木枯らしのようだが、戸外に出てみると、思ったほどの冷たさではない。やはり春は確実に訪れている。この風も夜は静まってことりともしない。 

パソコンも基本的なことはようやく使いこなしてきたが、細部の、たとえばデスクトップの画面を思うようには変えられない。メール設定が、気に入るようにならない。インストールしたハガキソフトが使いこなせない、などなどたくさんある。

そのうえ不可解なことも起こる。送ったはずのないメールの返事が来る。そんなことはよくありますという人もいるだろう。私に来るはずではないメールが来て困ったことがあった。しかし、私のはお見舞いのメールへの返信なのだ。手が滑って隣のアドレスをクリックしてしまうはずもない作業なのである。ボケたんじゃないのなんて言われそうだ。

とりあえずは、わからないことはメモをしておく。いちどパソコン教室ですっきりさせよう。ほんとうは、このパソコンを買ったときに電話で問い合わせが出来るシステムに申し込んでありるのだが電話がつながらなくて、一度も利用していない。

それでもとにかく、石鼎ブログも滞りなくアップ出来るし、ホームページ投句も受け取れる。やれやれ・・。

春の雪

2010年2月3日 水曜日

夕食のあとのニュースを見ながら
「永田町には雪が降っているんだ」と娘が言うから
「いやー、あれな前日のでしょう」と私は言った。
「いやいや、今日のです」
娘がそう言ったので、東京がまた雪に見舞われているのだと思った。
ところが真夜中に外を見たら、解けたはずの藪が雪をかぶっていた。
それで、あの会話をしている同じ時間帯にわが地域にも雪が舞っていたことを知った。
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夫の手術は無事にしかも予定通り。朝、義妹が一緒に立ち会ってくれると車で迎えに来てくれた。「ひとりで大丈夫だから」と言ったが、それでも何かあるといけないからいう。そうして、娘も朝早く仙台を発ってやってくるというので、「来なくていい」と言ったのだが、やっぱり一家でやってきた。総勢で立ち会っても立ち会わなくても、手術の結果はかわらないのに。

肺は呼吸器だから、袋のような状態を想像したが、切除したものを見たらレバーのようだった。前日の説明で組織を取り出して、初期だったら15パーセントほどの切除。それより進んでいたら23パーセントの切除と言っていたが、15パーセントで済んだようだ。

しかし、前日の医師の説明では、23パーセントのほうが手術としてはやさしいらしい。なぜかというと肺は蜜柑の房のような構造をしていて、23パーセントのところはひと房なのだという。しかし、今回の手術はひと房の半分位をとる区域切除なのだ。想像してみるれば、確かにややこしい手術だ。8時に手術室に入って、出てきたのは午後2時だった。たしかに一人で待つのでは辛かったかも知れない。

ビクトル・エリセ

2010年1月31日 日曜日

初めて夏石番矢さんのお宅を訪問した。世界俳句協会の発送日なのだ。鶴瀬駅から10分くらいといったが、たぶんその倍は掛かるだろうと思っていた。しかし、実際にはその三倍くらいうろうろしてやっと辿り着いたので、すでに雲井さんが封筒詰めをしていた。正津ゼミの雲井さんがくるので私にも声をかけたのだろう。

 夏石さんから発送のお手伝いしてくれませんか、というメールが入ったときは、実はどうしようかなと躊躇った。同じ日に新文芸坐でその日だけ「ミツバチのささやき」と「エル・スール」を上映するのだ。仕事のあとお茶をいただいて雲井さんに映画のことを話したら、一緒に行くということになり、最終上映だったが心強く池袋まで行くことができた。

「ミツバチのささやき」はスペイン内戦を背景にした小さな村の6歳の少女の想念が生む物語だ。村に映画「フランケンシュタイン」が来て、村中の大人も子供も集まって映画を観る。その中の6歳の少女は姉のことばなどから「フランケンシュタイン」の存在を信じている。姉と共に遊ぶ村はずれの廃墟は少女の夢想の世界への入り口なのだ。

「エル・スール」は「南」というスペイン語。50年代後半,北スペイン.県立病院の医師だった父がある朝突然姿を消す場面から映画は始まる。娘は父が愛用していた振り子が彼女の枕の下にあったことから、父はもう帰らないつもりだとさとる。

そこから、その意味を回想的に物語る。この映画の映像が美しい。ことに美しいのが少女が聖体拝受のとき。花嫁のような少女のためにはるばる故郷の祖母と父親の乳母だった人がやってくる。それほど重大な儀式であることを知るのも、この映画の見せどころ。「ミツバチのささやき」が目的だったが、映画としては「エル・スール」のほうが好きである。この映画はエリセ夫人の原作の映画化だという。

ビクトル・エリセ監督の映画は「マルメロの陽光」をはじめとして語らない映画である。聞くところによると、エリセは「奥の細道」をぼろぼろになるまで読んでいるらしい。そのへんにも語らない映画の秘密がありそうだ。

俳句研究2010年《春号》

2010年1月31日 日曜日

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江の島の朧月 

2010年1月28日 木曜日

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 江の島の参道のあたりはにぎやかだったが、奥のほうは半分ほどは閉店状態。吟行、句会と続いて5時には会場を出て、江の島駅近くまで移動。途中で日が伸びたわね、と言い合ったが、江の島の橋の上で日が暮れてきた。今日は榎本さんの俳人協会賞のお祝いもかねた飲み会になるのだからお店も選ばなければ。

吟行はほんとうに難しい。というよりも眼前の風景を見るということに終始するだけになるからだろう。そうだとすると、そのときの作者の内面は何も作用していないのだろうか。無意識のうちにも重なるものがあれば成功するのかどうか。どんな状態になれば成功するのか未だにわからない。

  曇つたり晴れたり島の白子丼

 暖かさはまさに春なみ。写真は江の島の橋の上からの朧月。反対側には富士山が見えて 白波五人男も現れそうな陽気だった。確かにもう節分も近い。携帯で撮った写真だがしっかり月が収まった。

新型インフルエンザ

2010年1月25日 月曜日

 出かけることが多いので、どうしようかな、と迷っていたがやはり予防接種をうけることにした。予約していたインフルエンザの予防接種が今日だったので、早起きしようと思ったのに目覚めたのは9時だった。昨日の「俳人協会埼玉支部」大会の打ち合わせのあとの武蔵嵐山駅前で飲み会になった疲れもあったかも。

いやそれよりも、真夜中に目覚めてしばらく寝付けなかったせいもある。新しいパソコンの不慣れも、気持を高ぶらせるものだったが、俳人協会評論賞の結果も、まったく無縁と言ったら嘘になる。

 金曜日の角川新年会の翌日が俳人協会評論賞の選考日だった。出版したときには、そうした賞とは縁遠いと思っていたが、パーテイの会場でも「あれが受賞しなかっら変よ」などという言葉を受けてしまうと、当日は期待してしまう。選考で得点を入れない辯もなんとなく想像できたが、それはそれとしてこれからもやっぱり石鼎の句を紹介していこう・・・。などなど・・・。やぱりしばらく、後遺症があるのかもしれない。

 それにしても、「頂上の石鼎」を出版して感じたのは、石鼎という名前が、若い人たちにも浸透していることだ。そして、その名前を発信するたびに、俳人の心の底に沈んでいた石鼎という俳人像がきわめて刺激的に浮上するのを感じ取れた。書き始める時はどうしても石鼎と思ったわけでもないが、まーまたコツコツと書いていこう。

ca390507.JPG     写真は昨日の嵐山国立女性会館の梅である。もう盛りを過ぎていた。

『俳句四季』2月号

2010年1月13日 水曜日

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「ににん」の雑誌には広告を載せるスペースがない。それと、全部を載せるか載せないかの問題も生じてくるせいもある。とりあえず、「ににん」に関係のある記事の号だけはブログで掲載することにした。今月は『新作家訪問』に登場。

 角川『俳句』二月号

2010年1月13日 水曜日

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岩淵喜代子・俳句16句発表

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