新型インフルエンザ

 出かけることが多いので、どうしようかな、と迷っていたがやはり予防接種をうけることにした。予約していたインフルエンザの予防接種が今日だったので、早起きしようと思ったのに目覚めたのは9時だった。昨日の「俳人協会埼玉支部」大会の打ち合わせのあとの武蔵嵐山駅前で飲み会になった疲れもあったかも。

いやそれよりも、真夜中に目覚めてしばらく寝付けなかったせいもある。新しいパソコンの不慣れも、気持を高ぶらせるものだったが、俳人協会評論賞の結果も、まったく無縁と言ったら嘘になる。

 金曜日の角川新年会の翌日が俳人協会評論賞の選考日だった。出版したときには、そうした賞とは縁遠いと思っていたが、パーテイの会場でも「あれが受賞しなかっら変よ」などという言葉を受けてしまうと、当日は期待してしまう。選考で得点を入れない辯もなんとなく想像できたが、それはそれとしてこれからもやっぱり石鼎の句を紹介していこう・・・。などなど・・・。やぱりしばらく、後遺症があるのかもしれない。

 それにしても、「頂上の石鼎」を出版して感じたのは、石鼎という名前が、若い人たちにも浸透していることだ。そして、その名前を発信するたびに、俳人の心の底に沈んでいた石鼎という俳人像がきわめて刺激的に浮上するのを感じ取れた。書き始める時はどうしても石鼎と思ったわけでもないが、まーまたコツコツと書いていこう。

ca390507.JPG     写真は昨日の嵐山国立女性会館の梅である。もう盛りを過ぎていた。

コメント / トラックバック2件

  1. 猫髭 より:

    俳人協会評論賞は、角光雄『俳人青木月斗』(角川学芸出版)と日野雅之『松江の俳人・大谷繞石』(今井出版)でしたね。月斗も繞石も「ホトトギス」ゆかりの俳人で佳い句を詠んでいますが、石鼎ほど有名ではないので、その業績を知らしめるという価値もあったのでしょう。繞石はラフカディオ・ハーンの翻訳もしているので、わたくしにはハーンゆかりの英文学者というイメージの方が先行していました。

    ただ、『頂上の石鼎』は、評伝は俳壇では評論の対象から除外されると聞いていたので、わたくしの周りでも「受賞に決まったも同然」とかいう声が聞こえていたので、それはないよとわたくしだけが否定していました。受賞すれば、より石鼎の作品が読まれる機会が増えるわけですから、喜ばしい限りですが、この本はそういう場所からは遠いところで書かれているとわたくしなどは感じていたので、受賞から外れたとしても、余り気にはならないほうでした。
    『頂上の石鼎』のように、読んだ人の心に沈んでいくことで俳句の深さを測るような本というのは、海の底で眠る真珠のように、読んだ人の心に一灯をともし続け、やがてそれぞれの胸飾りとして輝く方がふさわしいからです。

  2. 励ましのおことばありがとうございました。
    評伝は基本的には好みではないのに、ぐいぐいと引き込まれてしまった、
    という言葉を何人も言ってくださったのを勲章にして、またコツコツ
    書こうかな、と思っています。

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