俳句雑誌『塵風』2号は風景がテーマ。便宜上俳句雑誌と言っているが、もっと広い分野へ間口をひらいていると、発行者の斎田仁氏の言。読み進めていくと執筆者については後ろの略歴をみなくても、風景への懐かしさの感受する年齢として、ある年月を経た人たちが想像される。俳句作品もエッセイも写真も「風景」をテーマに纏めている。
江戸時代の知的な遊びとして俳諧があったように、これは現代的な風雅の世界が展開されている。
俳句雑誌『塵風』2号は風景がテーマ。便宜上俳句雑誌と言っているが、もっと広い分野へ間口をひらいていると、発行者の斎田仁氏の言。読み進めていくと執筆者については後ろの略歴をみなくても、風景への懐かしさの感受する年齢として、ある年月を経た人たちが想像される。俳句作品もエッセイも写真も「風景」をテーマに纏めている。
江戸時代の知的な遊びとして俳諧があったように、これは現代的な風雅の世界が展開されている。
「書いておかなければならないものがある」という意志を感じる一集である。
惑星の湧くまで夢のうがいする
南半球どたりとパンが湿る
段ボールの宿借りへその笛が泣く
雲一つ持って記号のミジンコでいい
缶コーラーの底へ地球のへその戦火
街じゅう花いちもんめの百円ショップ
一句目は壮大な宇宙と「うがい」という卑近な言葉を繋ぐことに驚く。それは二句目の南半球から「パンが湿る」に至る句にも言える。そうして、「書いておかなければならないものがある」という意志を感じる句集である、既成の俳句的な気分を持って作句する俳人たちに刺激を与えるだろう。
作者は1976年生れ・最近話題になっている《セレクション俳人プラス 『新撰21』 2009年12月 邑書林刊》のメンバーでもある。
春日向素知らぬ顔をして並ぶ
角曲がる度に出会へる薔薇の風
十薬をはみ出す闇の重さかな
片蔭の途切れ途切れに母偲ぶ
板の間を磨けば菊の香の届く
大寒や鉛筆の芯太きまま
ぞんざいに二百十日の沓並ぶ
抽出してみると、自然をいたわり見るまなざしが生みだした作品であるのがわかる。著者は「吉野」創刊主宰。帯にーー俳人でない人も共感できるよう表現してきたーーと書きしるしているように、平易なことばで詠んだ作品集である。
子規新報に連載していた「虚子百句」をまとめたものである。こういう本が文庫本であることはありがたい。折に触れて一句だけを読み、また折に触れては読み継ぐというのに適しているからである。
本書は一句の鑑賞を一ページづつに纏めている。はじめに俳句に書かれた一七文字を作品鑑賞、後半は作品成立の事情を書いている。
虚子という作家の偉さは、こうして100句選んだときのどの句も優れているからである。もちろん著者の百句を選ぶ選句眼ということもあるが、百句の隅から隅まで秀句というのは虚子以外にもあるだろうか。
川島由紀子句集「スモークツリー」 1952年生 「船団の会」所属
ことばから言葉への着地の方法が、坪内稔典氏の主張である。この句集は、その飛躍が面白い。
山を見て湖見てわたしふきのとう
きさらぎの光のテイッシュつまみあげ
横歩きする蟹と私と春の月
打たれたい大夕立に尾びれまで
ぎんいろの鱗で来なさい月の夜
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小久保佳世子「アングル」 1945年生 「街」所属
一億の蟻潰しゆく装甲車
花種に似たる薬を五粒ほど
熱帯身体の中を列車音
きりぎりす遠き床屋へ行つたきり
紫陽花は昨日の日本海の色
真直ぐに冬木のままで待つてゐる
熱帯夜の中の列車音はまことに実感しながら、かつ詩を内包した風景。「真直ぐ」の物語性もまた想像力を膨張させてくれる。前記の「スモークツリー」と同様にこの句集名もカタカナである。そのカタカナを選ぶところから、この二つの句集の出発はありそうだ。
仔馬すぐもどるつながれたるごとく
引つかけし捧ごと放り蝌蚪の紐
海かけて飛んできちきちばつたかな
しぐるると麒麟は首をもてあまし
一樹よりわが寒林ははじまれり
波の音踏めば踏まるる凉夜かな
阿修羅像わが汗の手は何なさむ
冷麦や十年は舌滅ばずあれ
日向ぼこより父帰らず母帰らず
われは人に汝はなまこに生まれたる
朝な朝な生活の雪を踏み固め
氷海をいま火の海と思ひけり
ーー私なりのスタンスで正面から俳句形式と対峙する毎日であったーー、という後書きを重く受け止める一書であった。初めに揚げた六句には物の本質を捉えようとする意志が見え、後者の六句には俳句表現方法への切口が見える。
コスモスの黄色の揺れる猫の町
曇り日や苺は赤く皿白く
一月の水甕に浮く雲一つ
すれ違う尼僧は風の沈丁花
何処までが青空なのか冬近し
ゆで卵ふたつに割れば雁帰る
満洲や昭和印の燐寸箱
俳句もシャーターチャンスを狙うものと思っている。写真家である浅井氏の視点を感じながや読むのは楽しい時間であった。ことに色彩感あふれた句に惹かれた。
『寒雷』主宰の第三句集
象の背に花びら落ちてまた飛びぬ
梅雨深く空に浮くごと巨船来る
灯に入りて大きくなりぬ春の雪
まぶしくて白鳥のほか何も見ず
蕾見に毎日同じ薔薇の前
草引きぬ草が力を持つ前に
先頭が曲れば曲る春の鯔
何か当り雪かと思ふに間のありぬ
加藤楸邨の詠法を随所に感じる誠実な一集である。
北澤瑞史指導の『季』創刊からの出。昭和41年生れ。
北澤氏に亡くなった後『槐』『琴座』に拠っていたようだ。
列車いま大緑蔭の駅に入る
緑蔭の石ひやひやと尻にあり
下闇の動きて鹿の出でにけり
野を踏めば生まるる道や西行忌
みな橋の袂で居なくなる祭
北澤氏の抒情を感じる作品が随所に見受けられる。
帯に「本格海外俳句集」と提示されているように、すべては海外詠として作句の国々の名がタイトルのようにもなっている。まさに、海外詠であるが身近に引寄せることで、その国の空気を醸し出す作品群になった。不思議なことにわれわれに身近に感じられる東洋の国よりも西洋のほうが鮮明に捉えられている。
タイ・ブーッケット島
はるばると南の島へ白扇
フランス
アカシアの花に真赤な飛行船
イギリス
月明の砂漠におかれ赤電話
泉への道を羊に従ひぬ
春の雨悪魔の舌をぬらしけり
対岸のフランス見んと蝸牛
巡礼の町の蠅取りリボンかな
戦争の幾度過ぎし麦畑
ヴェトナム
ひよいひよいと天秤棒や蚊喰鳥
アメリカ
秋風の俄に来たる蒙古より
杭州
金木犀月の香りと思ひけり
メキシコ
羽のある蛇を描きて日永かな
海辺より離れ行く道夕燕
子を背負ふ母が大勢風車
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