2008年9月 のアーカイブ

残暑

2008年9月8日 月曜日

aki.JPG 

黒目川沿いの桜並木の葉が透かし模様になていた。どんな虫が食べるのか、どの葉もどの葉も透かし模様。いかにも残暑を象徴しているようだ。このところ、毎晩、雷が鳴って夕立がある。お陰で夜は涼しくなるのだが、いつも突然の雷に突然の驟雨を繰り返している。

この葉を眺めていると、それをせっせと食べていた毛虫を想像してしまう。

   金銀の毛虫はどこへ行くのやら  喜代子

この句に、坂口昌弘氏から、いままで毛虫の行方を思った人がいるだろうか。というご批評を頂いている。金色の毛並みをもくもくと動かして、一心に進むさまは妙に気になるのだ。

      老毛虫の銀毛高くそよぎけり    原石鼎

石鼎は、その毛虫が老いた毛虫だと、何処で判断するのだろうか。たぶん毛虫は己そのものなのである。

   毛虫殺す毛虫きらひの男哉    正岡子規

誰でも毛虫は嫌いだが、子規はことに毛虫が嫌いだった。そのせいか、毛虫の句が多い。しかも、その毛虫への嫌悪から詠んでいる句ばかりだった。

梅田晴夫って?

2008年9月3日 水曜日

日本のフランス文学者劇作家小説家随筆家。本名は梅田晃(あきら)。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。また、パイプ万年筆などの収集家としても知られる。経営コンサルタント梅田望夫脚本家梅田みかは子。

梅田晴夫を紹介したいのではない。手許に60年ほど前の鹿火屋誌からのコピーがある。「1951年に望むこと」と題して、俳句への所感を書いている。鹿火屋30周年のときのもの。受贈雑誌欄に「句品の輝き」を書いたので、関連があるので、書いておこうと思う。

梅田晴夫を俳句誌に書くのは、決して俳句を詠んでいる人だからではない。母親が鹿火屋の同人だったからである。その梅田は自由に物を言っている。ーー僕はあまり俳句雑誌を読まないので大きな口をきく資格はないのだが、少なくとも「鹿火屋」を毎号拝見するかぎりでは、どうも俳句に無関係乃至は局外敵立場に立つ人達に対して、不親切のような気がする。

とりつく島がない感じがする。俳句雑誌が自ら自己の限界を狭く区切ってしまうことによって損のような気がする。ではどうすればいいのか即座に答えられないが、例えば、文芸誌の中間的よみものというものが俳句誌にあってもいい。

例えば僕の師匠である川端康成は、来年の懸案 として「東海道」を小説に書きたいと云われたが、これなどは俳句雑誌が企画してしかるべきプランではなかろうか。ーー60年前のものだが今も通用する論である。晴夫はさらに

ーー詩人とは健全な市民として他者と中和しがたい何かを見につけた。あるいは、調和に必要な器具の何かを全く欠いているものである。だから、芸術活動によってそれを磨り減らしたり、或は補習したりするのである。--

ーー従来色々云われて来た詩人に対する俗説は全ての詩人の仮面に過ぎない事は茲に云っておきたい。
情に厚くて涙もろい人・・・・・・・・・・・嘘である。
頼まれるといやと云えない・・気が弱い・・云いたいことが云えない。・・・・・・皆嘘である。
もしもそんな人が詩人と称していたら、これも嘘である。そしてきっとその作品だってよく見れば嘘であろう。
1951年は嘘の詩人が追放されてほしい年だ。--

石鼎などは、まさに梅田晴夫のいう詩人の質そのもしかなかったのである。

坂口昌弘著『句品の輝き』-同時代俳人論 文学の森刊

2008年9月3日 水曜日

俳句作家ではない俳句評論家である。『俳句界』の平成十五年の第5回俳句界評論賞を受賞した人物。とりあげてあるのは、現在一線で活躍している俳人たち。俳人でない俳句評論者とは、純粋な俳句読者ということになる。

俳句を詠まない俳句読者がどういう俳句に視点を当てるのか。どういうふうに俳句を鑑賞するのかは、大いに興味がある。坂口氏の場合は森澄雄では時間を。金子兜太では思想を、詩精神を、というように、既に定評の出来た作家たちのその背景から表出する人生観を掬い上げようとしている。

要するに、定評のある作家の認識をもうひとつ深める、という作業である。こうした俳壇の外側の自由に物の言える論者は、現在の定評など気にしないで、俳句作家でない評論家がどんな俳句を面白いというのかを指し占めしてくれたら、きっと活気につながるだろう。

実際、定評の出来上がった俳人の句が、そんにいいのかと疑問に思うときもある。俳句論争がもっともっと起ってもいいのでははないだろうか 。

ににん初校

2008年9月2日 火曜日

やっと「ににん」秋号の脱校。締め切り過ぎてから書き始める人もいるので、なかなか頁レイアウトが決らない。それが決らないと、頁数も決らないという順番で、最後のところで何時までも足踏みをしている。

3ヶ月前から締め切りが決っているのに、モウー、一冊発行するたびに同じことを言っているみたいだけれど・・。借金の取り立て屋、というのが居るように、「ににん」もそろそろそういう役目の人を設けたい!!!!!

大結社は来ない原稿は来ないものと、振りきれるのだろうが、こうした小さな会は全部の顔を知っているので、そう簡単に振りきれない。締め切り日を横目で見ながら、作品の推敲にふけるのも立派だが、自分への決着をつけるのも、大事なこと。いつまで経っても先へ進めないではないか。

33号はもう次年度用なのである。ついでに、「句句燦燦」「俳句の背景」などの担当者も決めてしまう。表紙も決めてもらわなくてはならない。 いやー、もう来年の用意が始まるのだ。

テーマ俳句『馬』ににん秋号掲載

2008年9月2日 火曜日

馬上から人も乱すや多度祭り            石川順一
惜春や祖母と乗馬の幼き日             石川順一
海風の通る馬車道夾竹桃              中村光声
半身は闇の中なる竈馬かな             坂石佳音
馬上にて晩夏の原の波状見ゆ            隠岐灌木
終戦忌馬糞拾いを競いけり              平田徳子
絵の馬の風鈴聞き入る素振りかな          西方来人
大夏野馬は開放されてをり               ハジメ
種馬の男根凛凛し夏の雲               中村光声
瓜の馬教わりしまま子に伝ふ             西方来人
楽団をお馬が先導春うらら              小夜
山開き馬の背中に揺れながら            小夜
馬方の居そうな木曾路草いきれ          西方来人
馬が茄子食べたよ食べた砂が舞う         月湖
シャガールの馬は夏空飛びにけり         ミサゴン
馬の背のあまりに大き夏の空            ミサゴン
並足のリズムは涼し馬と風             ミサゴン
走馬灯見つめる頬に色映り              小夜
走馬燈老いて隙なき父の鑿             石田義風
沙羅の花おさなごゆらす木馬かな          曇遊
麦秋やかの日も聞きし馬頭琴            中村光声
いなさ吹く馬の匂いの資料館             さわ
青嵐動き止まざる馬の耳               森岡忠志
新馬鈴薯のめくれる皮の香りかな          遊起
夏草に馬頭観音隠れけり               西方来人
梅雨の日の吾は司馬遼妻清張           岩田  勇
走馬灯会いたき人みなお国替え           華子
水馬の動いただけの波が起き            ミサゴン
名の由来は知らず馬珂貝鮨旨し          たか楊枝
曲屋に馬と暮らした青田風             ミサゴン
粉粉の外れ馬券や薔薇の門             ハジメ
木曽馬ののっと現わる霧襖             岩田勇
菜園に馬面胡瓜下がり居り            半右衛門
馬冷す父子の会話はずみおり            さわこ
馬蛤貝を小筆で誘う浜辺かな           半右衛門
まばたきをしてる馬居て青葉風           acacia
一張羅の麻服で往く競馬場             宮島 千生
夏草を食む馬の居て雲の飛ぶ          半右衛門
怪談に耳欹てる仔馬かな              半右衛門
韃靼を還らぬ軍馬終戦日              中村光声
馬へ行く姉に先んじ汗まみれ            石川順一
草競馬魅入りてあつし砂煙             幹夫
重馬場に牝馬末脚競り勝ちて            幹夫
水馬バケツにいるよどこからや            曇遊
馬肥ゆる嬰固太り気短か             森岡忠志
皐波背に坂駆け上る島の馬           横浜風
大岩の馬頭観音さみだるる           ミサゴン
騎馬戦の少女は紅し運動会           西方来人
人参をねだる馬蹄の地団駄よ           華子
馬刺し食ぶ白露の宿の奥信濃          岩田 勇
藤椅子に司馬遼開く昼下り            宮島 千生
茄子の馬帰りの時刻はグーグルで       さわこ
馬乗りの毛虫二度轢く三輪車           隠岐灌木
馬なくて誰を酔わせる馬酔木花          小夜
馬塚に供花一輪や田水沸く           岩田  勇
子ら乗せて驢馬悠々の猛暑かな          acacia
夏神宮クラブの白馬子等はしゃぎ         acacia
暗がりに馬追い鳴くやススイッチョ        半右衛門
蝉時雨馬の耳なら何と聞く             横浜風
馬集め来て夏の夜の映画館            阿愚林
流鏑馬の土ぼこり舞う夏祭り            ミサゴン
雷鳴に聞き耳立てし仔馬かな           西方来人
茄子の花馬の耳持つ十七歳            恵
炎昼や馬蹄の焼ける匂ひして           森岡忠志
皐波背に坂駆け上る島の馬            横浜風
牛馬のつなぎの標赤とんぼ             西方来人
父の背を馬跳び越ゆる子の涼し         隠岐灌木
軽雷に種付馬の耳うごく               たかはし水生
炎天や馬蹄擦れたるアスファルト          玉裳
馬の耳釘付けにする南風かな           さじ太
大岩の馬頭観音さみだるる             ミサゴン
水馬はがねの水を蹴りにけり            中村光声
馬歯馬歯と馬齢を加ふ昼寝人          横浜風
長々と馬の尾ゆるる夏野かな           さじ太
こんな時馬の嘶き草蛍                 ミサゴン
馬跳びの子等の歓声片陰り              中村光声
馬小屋の匂ひ消さざる扇風機           ハジメ
馬だつて淋しい梅雨でありにけり          中村光声
風青し白馬重賞初制覇                宮島 千生
馬の耳釘付けにする南風かな             さじ太
登山馬帰路の値引は知らぬまま           隠岐灌木
有蹄の欠けても牝馬夏奔る              幹夫
荷馬車降り家路は遠し秋の暮             富沢
空を斬る立派な尻尾とたてがみよ          桐原 恵
終戦日遠き記憶の軍馬かな            中村光声
海風の通る馬車道夾竹桃               中村光声
二つ三つ馬と戯る夏帽子               西方来人
一つ木に馬の集まる青嵐               たんぽぽ

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