梅田晴夫って?

日本のフランス文学者劇作家小説家随筆家。本名は梅田晃(あきら)。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。また、パイプ万年筆などの収集家としても知られる。経営コンサルタント梅田望夫脚本家梅田みかは子。

梅田晴夫を紹介したいのではない。手許に60年ほど前の鹿火屋誌からのコピーがある。「1951年に望むこと」と題して、俳句への所感を書いている。鹿火屋30周年のときのもの。受贈雑誌欄に「句品の輝き」を書いたので、関連があるので、書いておこうと思う。

梅田晴夫を俳句誌に書くのは、決して俳句を詠んでいる人だからではない。母親が鹿火屋の同人だったからである。その梅田は自由に物を言っている。ーー僕はあまり俳句雑誌を読まないので大きな口をきく資格はないのだが、少なくとも「鹿火屋」を毎号拝見するかぎりでは、どうも俳句に無関係乃至は局外敵立場に立つ人達に対して、不親切のような気がする。

とりつく島がない感じがする。俳句雑誌が自ら自己の限界を狭く区切ってしまうことによって損のような気がする。ではどうすればいいのか即座に答えられないが、例えば、文芸誌の中間的よみものというものが俳句誌にあってもいい。

例えば僕の師匠である川端康成は、来年の懸案 として「東海道」を小説に書きたいと云われたが、これなどは俳句雑誌が企画してしかるべきプランではなかろうか。ーー60年前のものだが今も通用する論である。晴夫はさらに

ーー詩人とは健全な市民として他者と中和しがたい何かを見につけた。あるいは、調和に必要な器具の何かを全く欠いているものである。だから、芸術活動によってそれを磨り減らしたり、或は補習したりするのである。--

ーー従来色々云われて来た詩人に対する俗説は全ての詩人の仮面に過ぎない事は茲に云っておきたい。
情に厚くて涙もろい人・・・・・・・・・・・嘘である。
頼まれるといやと云えない・・気が弱い・・云いたいことが云えない。・・・・・・皆嘘である。
もしもそんな人が詩人と称していたら、これも嘘である。そしてきっとその作品だってよく見れば嘘であろう。
1951年は嘘の詩人が追放されてほしい年だ。--

石鼎などは、まさに梅田晴夫のいう詩人の質そのもしかなかったのである。

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