2006年11月 のアーカイブ

 家族

2006年11月24日 金曜日

家族となった猫には「ルリ」という名前がついた。どんな内容だった忘れたが、娘が読んでいた童話にルリという名の猫が登場したのではなかっただろうか。

 偵察にきて、この家が安全と思ったのは、子猫のためではなかったか。夫と娘もその子猫にほだされて飼うことにしたのだ。子猫が胸にすがり付いても、突き放すような仕草をした。私たちが猫を胸に押し付けてみても、無感動な対応で、少しもお乳をやろうとする気がないようだ。人間が押さえているから、身を横にしているだけで、手を離すと身を翻して何処かへ行ってしまうのである。
 仕方がないので、ミルクをあげてみた。舐めることを知らないので、スポイトで口に入れてみた。 母性本能欠落は、動物世界にもあるんだなー、と妙に感心してしまった。子猫は三日目の朝死んでいた。鼠ほどの大きさで、廊下に投げ出したように転がっていたので、庭に葬ったのだが、名前をつける間もないような出来事だった。

 ルリは悲しがるふうもなかった。それよりも、ずーっと前から棲みついていたかのような生活習慣を発揮した。躾けたわけでもないのに、風呂場の窓を自分の出入り口と定めて、人の世話にはならないことにしているみたいだった。確かに、風呂場の窓は留守の時でも、就寝のときでも、開けておいて差し支えの無い唯一の場所だった。とはいっても雨の日は、風呂場から廊下のあたりに猫の足跡がしっかり付くのである。それは人間に世話を掛けることなのだと言っても通じる筈がない。雑巾を置いてあげても、何のためか理解しなかった。

 ルリの写真

2006年11月24日 金曜日

夕べふとおもいつたブログのテーマ。十七年いた飼い猫ルリの話で繋げようかとおもう。褒めてもらった話題の犬は行きずりだったので、とても千日続くほどの中身がないだろう。しかし、猫のほうは、十七年も一緒に暮らしたのだから、千回くらいの話題はあるに違いない。十七年といえば、六千日をこえる。とはいえ、飼い始めたのが三十五年ほど前。死んでからも、十八年くらいになる。どのくらい覚えているのか。 

 猫を愛した作家は多い。その筆頭が内田百?の『ノラや』である。晩年に飼った猫のノラが失踪したときの嘆き方は尋常ではない。わたしは別に百?のような猫好きでもなければ犬好きでもない。近くにいるので、他の犬猫よりは可愛く見えたに過ぎない。

 清少納言の「理想の猫」についての一がある。それによれば、背中だけ黒くて、腹の部分がたいそう白いのが良い猫相なのだそうである。我が家に居た猫はそれに近い。グレーの濃淡の縞模様が頸で途切れて、そこを白い毛並みが取り巻いているのが上品だった。『わたし猫語がわかるのよ』に原稿を出すときに、ルリの写真を探したのだが、たくさん撮った筈なのに、ピントのずれた写真が一枚しか見つからなかった。仕方が無いので、その一枚を光文社に送ったので、手元にルリの写真がないことになる

 猫のことなら

2006年11月24日 金曜日

猫好きでもないのに、我が家には長い年月にわたって猫がいた。
今、思い出しても頭のいい猫、というか言葉をよく理解する猫だった。
その猫のことだったら、きり無く話題がある。なにしろ十七年も一緒に暮らしてきたのだから。
その猫の断片を文章にしたものが、光文社の「わたし猫語がわかるのよ」に収録されている。だが、なぜかこの本はあまり売れなかったような気がする。
それよりは、同じ光文社刊「犬に日本語はどこまで理解できるか」のほうが売れた。犬好きのほうが多いのだろうか。この本を読んだ人のブログに出会った。なんと、そこにはわたしの書いた(あの日から)が一番面白かったと、書かれてあった。お礼をと思ったが、誰なのかからなかった。犬の話は行きずりの犬だったから、その一篇で書くことは尽きているが、猫は十七年も一緒に暮らしていたのだから、書くことには困らない。考えたら、「猫と暮らした日々」などはこうした日記形式で季節に合わせて書き込んでいけば、書き溜めることが出来そうな気がする。

  シンデレラの継母

2006年11月24日 金曜日

(67)・・仏の顔も三度まで・・   
朝の洗面所で連れ合いの大声がした。
 突然、前日の朝の光景を思い出した。ルリにまで整髪料を買っておくようにと託していたのに、連れ合いが出かけた途端に忘れてしまった。言われるまで全く思い出しもしなかった。
 今なら、コンビニがあちらこちらにあるのだが、当時は、そうした店など皆無だった。三度目の正直、仏の顔も三度まで、という言葉もあった。連れ合いは三度目に怒り出した。昨日までは、辛うじて指で壜の内側をなぞるように掬い取ることができたが、今日は全く無かったのだろう。
 「全く、愛していないからだ」
 と喚きだした。昨日までは、忘れてしまった事実を変えようがないのだから、黙って頭のうえを通り越してゆく文句を受けていたが、今日は私のほうが、居直ってしまった。
 「なによ!たかがヘアートニックを買い忘れたからて、愛していないなどと、大袈裟なことを言うのだった、もうヘアートニックを買う役は引き受けない!!」
 ルリは猫用の缶詰の魚フレークを文句も言わずに振らずに食べていた。
ーーなんだか雲行きが怪しいーーとばかりに。

(67)・・玉子焼き・・   
 われながら、なんと小気味のよい仕返しが出来たことかと、感心した。
 論理というものの威力と便利さも味わった。
 「人間関係は論理の強いものが勝である。」ということを、肝に命じておこう。
 だが、ずっと以前に、この論理をもって、わが娘に
 「おかあさんは、玉子焼きが下手」
 というレッテルを貼られた。
 「おかあさんのも、堅いところと焦げたところがなければ美味しいのよ」
 と五歳の娘は気を使いながら、納得させるための論理を掲げたのである。
 一回成り立った論理は覆せない。
 それ以来玉子焼き作りは連れ合いの分担になった。

(68)・・海苔巻き・・  
 もう一つ連れ合いの分担があった。
 それは娘の遠足のときのお弁当作りである。
 私の留守のときに、海苔巻きを作ってあげたらしい。
 私が作ったって感動しないのに、父親が作ると感動するのだ。
 それ以来、娘は遠足の度に
 「お父さん、何時もの海苔巻き作ってね」というのだった。
 それは高校生になっても続いていた。
 連れ合いはといえば、
 「明日は早起きをしなければならないなー」
 なんて言いながら、嬉しそうだった。
 私はそんな朝は不貞寝をしていた

 嫁入り

2006年11月23日 木曜日

  神社のような農家に花嫁さんがやってきた。
 車から降りた花嫁さんは、欅の影を潜って門を潜った。
 玄関の前で、大きな傘を差しかけたのは、そこの母親だったろうか。傘と言っても、雨傘ではない。三度傘といったら分かりやすいのか、田植傘といったらいいのか。その傘を高くさしかけた下を、花嫁さんが潜って家の中に入っていった。
 都会から越してきたものにとっては、何だか狐の嫁入りを見て居るような遠い景色だった。

 二度目に身籠ったのは数ヶ月後だった。まだ最初の出産のショックも覚めていなかったので、避妊の手術にも行かなかった。
 一番先に気がついたのは、何時も膝に乗せている連れ合いだった。
 「そんなー、たいへんだわー」
 猫の恋は年に一回ではないのである。三回くらいは妊娠可能だと分かったときには、もう手遅れだった。春には、家の周りをうろついた雄猫の声で、用心していたが、今回はいつ何処でそうなったのかも気がつかなかった。  前回、わたしの箪笥の抽斗で出産してしまった失敗があるので、早々と大きなダンボールにタオルを入れて、ルリの落ち着けそうな物陰をえらんであげた。

前の妊娠の時に、二、三の心当たりがあったので、子猫の貰い手には心配しなかった。以前の経験でいけば、胎児が母親のお腹にいるのは二ヶ月 くらいだ。傍目にも妊娠とわかったのなら、すでに一ヶ月は経ているのかもしれない。
 欅が少し色付きはじめて、窓からの風景が心なしか明るくなった。欅は私の大好きな木である。春のあわあわと枯れ枝に纏う木の芽の赤み、夏の鬱蒼と茂る葉擦れの音。そして秋の激しい落葉ののさま、そして箒を逆さまにしたような冬木立の樹相。どの季節も楽しめる木。その欅を一本植えた庭があればいいと思っている。そうしたら、ルリの一匹や二匹は庭で飼って上げてもいいと思った。

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