家族となった猫には「ルリ」という名前がついた。どんな内容だった忘れたが、娘が読んでいた童話にルリという名の猫が登場したのではなかっただろうか。
偵察にきて、この家が安全と思ったのは、子猫のためではなかったか。夫と娘もその子猫にほだされて飼うことにしたのだ。子猫が胸にすがり付いても、突き放すような仕草をした。私たちが猫を胸に押し付けてみても、無感動な対応で、少しもお乳をやろうとする気がないようだ。人間が押さえているから、身を横にしているだけで、手を離すと身を翻して何処かへ行ってしまうのである。
仕方がないので、ミルクをあげてみた。舐めることを知らないので、スポイトで口に入れてみた。 母性本能欠落は、動物世界にもあるんだなー、と妙に感心してしまった。子猫は三日目の朝死んでいた。鼠ほどの大きさで、廊下に投げ出したように転がっていたので、庭に葬ったのだが、名前をつける間もないような出来事だった。
ルリは悲しがるふうもなかった。それよりも、ずーっと前から棲みついていたかのような生活習慣を発揮した。躾けたわけでもないのに、風呂場の窓を自分の出入り口と定めて、人の世話にはならないことにしているみたいだった。確かに、風呂場の窓は留守の時でも、就寝のときでも、開けておいて差し支えの無い唯一の場所だった。とはいっても雨の日は、風呂場から廊下のあたりに猫の足跡がしっかり付くのである。それは人間に世話を掛けることなのだと言っても通じる筈がない。雑巾を置いてあげても、何のためか理解しなかった。