石鼎評伝

この夏は、「石鼎評伝」に掛りっきりになってしまった。もう、そろそろけりをつけておかないと中途半端で終ってしまうかもしれない懸念が出たからである。健康にも自信がなかったし・・・。

石鼎を書き始めたのは、六・七年前だった。どうするともなく書き始めたので方向が定まらなかったが、途中でいろいろな情報が得られて、以前の文章は随分書き直した。評伝の構成もしなおしたので、最初から読んで下さっている方は、ちょっと違う、と思われるかもしれない。

出版社のオファーもあったのだが、私はなんと云ってもはじめての長い文章で全く自信が無かったので、編集者が必要だった。「うちにも居ますよ」と言ってくださった出版社もあったが、その後何にも言ってこなかったので、S社に決めてしまった。明日手渡すことになった。

と云っても、それをもう一度書き直す覚悟で見てもらうことにしている。評伝を書く前は、全く石鼎が摑めていなかったが、このごろようやく全様が把握できたような気がする。把握してみると、石鼎がいかに純粋だったかがわかる。世情の一切を妻コウ子にまかせ、理想だけで生きた人物である。

前田普羅がそれをとても羨ましいと呟いている。「石鼎が病気でなかったら」と云ったのは水原秋桜子である。ほとんど忘れられかけながら、65歳まで生きたのは奇跡とも言える。昨日は石鼎のお墓参りに二宮まで行ってきた。

隣に原裕先生のお墓もできたので、崖のお墓が狭くなった。その墓地から昔は海が見えたのではないだろうか。

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