秋山巳乃流さんのお別れ会

今日は秋山さんのお別れの会。250人くらいの人が集まったらしいが、あまりいろいろな人とお話する機会が無かった。というよりも、あまり知った人が居なかった。「河」の会員なども多かったせいかもしれない。

それに、出合った元鹿火屋の会員だった年輩の方が目が悪くて、あまり物がよく見えないらしいので、そのそばを離れられなくなっていたせいもある。だからかえりも彼女を促して早めに地下鉄の駅まで送っていった。

偶然だが、私の三回の中国旅行は、いつも秋山実さんがご一緒だった。始めての中国は何年前だったか。最近「ににん」に上田日差子さんのその中国旅行の寄稿を頂いたのを見ると、昭和63年だった。20年前だ。句集「花西行」の年譜で見ると47歳だった。

四十代だったのだ。あたりまえのことだが、しみじみと若かったのだと実感した。秋山さんの一番輝いていた時代。一番実力を発揮した時代である。その年譜の平成十四年度の上海旅行にはなんと同行者として私の名前も記入してあった。

年譜にはなかったが、上海行の前年、平成13年度にはトルフアン・ウルムチ・そして天山山脈の途中まで登るという大規模な旅をした。一句だけ覚えていた句が収められていた。

   鳥けものあはぬ秋なり絹の道    巳之流

旅も吟行も随分一緒にしたことのある秋山夫人にお目にかかったら、ご子息を紹介してくださった。端正な青年。秋山素子さんからいつもお話を聞いていたので、初対面とも思えない気がした。それはご子息のことだけではなく、秋山実さんの話題もよく上ったので、なんとなく、秋山家の空気だけはずーっと感じていたような気がした。お別れの会の一日は、降ったり止んだりの天候だった。、

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