かはほりのうねうね使ふ夜空かな
幼い頃、暗くなりはじめた屋根の周辺にこうもりはどこからともなく現れた。こうもりの羽根の被膜は背中と脇腹の皮膚の延長で、長く伸びた指を覆うようにして翼となったそうだ。肘を少し曲げたねずみが両手をぱたぱたさせて空を飛んでいるようなもので、鳥のように直線的な飛び方でなく「うねうね」という形容がぴったりだ。
夜空を浮き沈みするように飛んでいるこうもりを生け捕りにしようと兄は丸めた新聞の片端に紐をつけこうもりめがけて飛ばしていたが、子供の投げる新聞玉が命中するわけもなくあたりは暮れてゆくばかりであった。深い軒や屋根裏や、瓦の隙間に住んでいたこうもりは住み家がなくなってしまったのか。
長い間こうもりを見ていないように思う。夜空をうねうね使いながらこうもりは何処へ飛んで行ったのだろう。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(三宅やよい)
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我家から五分ほど歩くと黒目川に出る。橋のあたりの外灯の周りに、あきらかに鳥と違う飛翔で群れている。それを見るためとも、夕涼みのためともなく出かけることがある。蝙蝠とも書き、蚊喰鳥とも呼ぶ。字のごとく蚊のような小さな虫を食べるのだろう。
昼間は何処に潜んでいるのか見たことはないが、俳味があるといえば、その存在そのものが俳味のような動物だ。 それでも、私が目にするのは燕ほどの小さな蝙蝠だから、少しも気味悪さは感じないが、これが、羽が一メートルもあるような大蝙蝠だったら、とても、近くには居られない。
蝙蝠やうしろの正面思い出す
多分第一句集だったと思うのだが、蝙蝠の句はこの2句しか作っていないような気がする。