鷹鳩と化す掌を器とす 岩淵喜代子
「俳句四季」四月号、「わが道を行く・白亜紀」より。
「鷹化して鳩となる」、穏やかな春爛漫の季節には鷹も穏やかになり鳩と化してしまうと言う。 季語だけで十音を使ってしまう驚きの季語のひとつである。作者はこの季語を短縮して使っているが、これほど穏やかな日には掌を器として使うと言う。
私は春爛漫の朝、少し遅く目覚めた作者が庭の咲き乱れた花を見て、両手で水を受け顔を洗っているのだと解釈した。
揚句とは全く状況が異なると思うが、尾崎放談の「入れものが無い両手で受ける」を思い出した。