龍土町

石鼎の二度目の新居になり、鹿火屋創刊の地でもある竜土町を訊ねる準備をしつつある。準備と言っても、誰か案内してくれる人があるわけではなく、麻布龍土町五十四という住所だけがたよりなのである。

よほど狙いをつけていかなければ、歩けない。例の古地図がインターネットから消えてしまい、コピーもとっていなかったのが無念である。
スパイ・ゾルゲの仲間であった宮城与徳が麻布区竜土町二十八、現在では港区六本木6−8辺り、六本木の旧防衛庁前の路地とあるからかなり近い位置である。そんなところから探ろうかな、と思っている。もっとも、その片鱗さえないほど変わっているのだが・・・。

     打水に浮き出て暮れぬ苔の花   コウ子

その竜土町で作った句である。
大正十一年作・『原コウ子全句集』・季語は「苔の花」で夏の季語。実際には苔は隠花植物だが、梅雨のころから白や薄紫の胞子を入れた胞子嚢が花と呼びたいような美しさになるのである。
「大正七年秋に石鼎と結婚、麻布龍土町に一軒を借り受ける。大家は植木職のこととで、庭は見事な苔むす石組であった。その苔の花を見て。」という作者の自註がある。
夕暮れの打水に色を深くした苔から浮き上がるように、苔の花もあざやかに甦った。(浮き出て暮れぬ)はそうした花のありようであると同時に、一日の暮れようとしている瞬間の感慨でもある。
とは言っても、いつものような一日であるに過ぎない。特別な事柄があったわけでもなく、ことさら振り返ろうと思ったわけでもない。ただ、打水に浮き上がった苔の花の鮮やかさが、一日の終るという意識を浮き上がらせて「暮れぬ」のことばを引き出したのである。

石鼎は妻であるコウ子を俳人にするつもりは全くなかったようなので、大正十年に創刊された「鹿火屋」に俳句を出してはいない。この作品は、創刊一年後の「鹿火屋」にはじめて発表した句である。ここから俳人原コウ子としての歩みが本格的にはじまったようである。                                                                          

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