『山暦』30周年祝賀会

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青柳志解樹さんの主宰する『山暦』が30周年を迎えた。わたしが鹿火屋に入会したときには、もう大先輩で、それから5,6年ほどは同門としてご一緒だった。だから、わたしの俳句歴も30数年になるということだ。鹿火屋主宰の姿はなく、『にいばり』主宰の茨城の神原栄二さんのお顔があった。神原さんはご夫婦で、10代からの『鹿火屋』門生下だった。

写真の中でご挨拶をしているのは『未来図』の鍵和田氏、同じテーブルだった。鍵和田氏とはこうした祝賀会で同席したことがあった。『鹿火屋』800号だったか。原コウ子もお元気で、裕先生も50代。『鹿火屋』がいちばん輝いていたときだっただろう。仲間が隣同士で座っている写真を写してくれたのが今もある。

『貂』の中でも鍵和田さんは身近な印象だったのは、鈴木幸夫教授が鍵和田さんと連句を捲いていたからである。そんなお話をしたら、懐かしがっていらっしゃった。鍵和田さんが懐かしがるもう一人に、『鹿火屋』の編集長だった北澤瑞史さんがいた。『鹿火屋』祝賀会のときも、司会を担当していた。

北澤さんは俳人協会の幹事などとして、外側の俳人にも好感を持たれていたようだ。俳人協会中国訪中団の一員として旅をしていたときに、「北澤さんって素敵な方ね」と鈴木榮子さんがおっしゃった。そう、内外で人気があった。その北澤さんが突然、「除名」になった原因は、いまだにみんな分からない。原裕主宰の嫉妬ではないかという人もいた。苦しい想いで立ち上げた「季」も、これから専念できるという60歳で逝ってしまった。

雑誌を作ると、どうしても、結社内にいられなくなる雰囲気ができる。青柳志解樹さんのときにも、最初は姉妹誌のように主宰も紹介して、青柳さんのご夫婦も暫くは、鹿火屋に在籍していた。神原栄二さんもそうだった。ついでに言えばわたしも「ににん」を立ちげる承諾を受けて、その後も『鹿火屋』に加わっていたのだが。

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