社会主義

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の中の背景は社会主義である。米原万里の父親は鳥取の資産家だった。その家を捨てて社会運動に走った父親を万里は尊敬していた。成人してからアーニャを訪ねる旅で知る社会主義は日本のそれとは大きく隔たりがあって戸惑っていた。

なにしろ、アーニャは特権階級で、それは宮殿のような屋敷に使用人をおいて生活していて、それをごく普通のこととして受け止めていたのである。それを目の前にしながら万里は「日本の共産党は違うのよ」と何度も心の中で叫んでいる。その日本の共産主義にも、私は否定的だった。

20代のころ、男友達が社会主義だといった。「でも社会主義の究極の理想は共産主義なんだ」と付け加えた。当時のわたしはその社会主義は、人間の根源的な自由を奪うようなもの、という恐怖を密かに抱いていた。それを、どういう風に説明していいか分からないまま、とにかく嫌であった。

人間は欲望の生き物である。そういう人間をすべて同じ一並びに出来ないのではないかと思えたからだ。必要に応じた収入を確保すること一つにしても、人間の要求は千差万別なのである。それを平均で慣らして享受しなければならない社会のほうが怖いと思った。当時、この一言でも説明できたらよかったのだが。

安保闘争などの兆しは、かっての男友達のような発言から燃え上がっていったのだろう。個々には極めて純粋な人達だった。ごく最近でも、そうした共産主義の、それも幹部的な位置の人との日常的なお付き合いのなかでも、社会主義に話が及ぶと、20代のときと同じ返答をしている自分がいた。

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