友岡子郷著 『天真のことば(わたしの実感的俳句論)』 本阿弥書店

  跳箱の突き手一瞬冬が来る 
   
友岡子郷といえば上記の句を思い出す。事実、作者自身も気に入っているようである。この句の出来たときの実感は今も鮮明だという。そうして、ハイデッガーは「存在の明るみ」と表現しているが、それは「物の見えたる光り」と同義ではないかと言うのも、実作者の実感である。

作者を随分古い人だと思ったが、そうでもない。昭和九年生まれであるから、多分若いときから俳句に関っていたのだろう。この著書は、これまで各誌に発表したエッセイを一集にしたもの。長い年月にわたるもので、いづれも俳句という現場に足をつけたことば。俳句の方向、実作の方法などなど、副題のとおりの実感的俳句論であるから、説得力がある。

たとえば、俳句結社についての言及は、岡田日郎の俳句結社の連衆とは類想集団の代名詞であり、主宰者とはその類想集団のもつ一切の発想をしぼりとって存在する第一人者ーーそして、そこが物足りなくて外へ出たものも同じ類想集団をつくるというような箇所を引用しながら、結社は主宰者を先頭にして、俳句を追求する場を築くもの。そして、つらい修業の道の向うに、これが真実なのかと感じるものが見えたときに個性が生まれる、と述べていることばがすんなりうべなえる。

実際、初心者は脚光を浴びると、自分は周りのものを飛び越えた才能があると思いこんでしまう。それが、友岡氏のように、「つらい修業の道の向うに、これが真実なのかと感じるものが見えたときに個性が生まれる」よいう道を踏んだ俳人は、決してそんなことを思うことがない。どんなに賞賛されるときがあっても、明日も食べられるのだろうか、という飢餓感に似た思いで俳句を作り続けるのである。 なぜかといえば、昨日の作品を追っても仕方が無いからである。

コメント / トラックバック4件

  1. 電車 より:

    電車です。
    子郷さんは小生が「青」に参加したときの編集長で、既に眩しい存在の若手スターでした。
    本書は書店に溢れる入門書・テキストではなく、一歩一歩確かめながら考察を深めた実感的俳句論であり、著者の誠実な体温が伝わってくる好著である。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思う。

  2. 電車さん、お立ち寄りありがとうございます。

  3. ひなこ より:

    神戸じいちゃん頑張って(≧▼≦)
    神戸じいちゃんすごい人だったんだね

  4. ひなこさま
    お立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。
    おじいちゃま、すなわち友岡さまにお会いになりましたら、
    よろしくお伝えください。

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