お茶が飲めなかった。

★俳句をはじめて その1 
 
なにかの話の延長だったか、句会でお茶が飲めなかった話になった。生まれて初めて参加したのは鹿火屋の句会。その席で、目の前に配られたお茶を手に取って口まで運ぼうとするのに、口まで茶碗が届かないのだ。茶碗が口まで運べない、と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

仕方がないから茶碗をひそかに、テーブルに置き直した。それからまた暫くしてお茶碗を口の高さまで運ぶのだが、口に届かない。そうしたら、Sさんが「そうそう、なんだか首が硬直して飲めないことがあるのよね」と言った。そうか、首が硬直してしまうのか、と思ったが、最後には茶碗は空になっていたと思う。

なにせ、緊張していた。机に向かい合わせに坐った人達は鹿火屋誌上で上位で活躍している大先輩ばっかりである。腕がそれ以上に引き寄せられないのか、首が前に曲らないのか。まさに呪縛のようなものだった。そんなことが半年くらい続いたかもしれない。誰も回りの人は気が付かなかったが・・・。

目の前に坐った人で一番印象的だったのは、現在の『山暦』主宰夫人である。牡丹のような印象がある。ふくよかなどというのはあまりに控えめ、豊満な方だった。もう亡くなってしまった。『にいばり』主宰の夫人は十代から、鹿火屋に参加していた人だとか。とにかく天真爛漫に家のこと、子供のことなどを、前後左右の人にしゃべっているのを、私はそこに存在しないごとく坐っていた。

それから数年のち、もうお茶の呪縛からも逃れて、ぼつぼつ見知った人も増えてきたが、相変わらず、往きも返りも1人だった。会場は東京タワーの直ぐ隣、機械振興会館とか言う名称のビルの中だった。浜松町の駅から増上寺の山門を潜って、本堂の脇から東京タワーの真下に出るのだが、寺の端に並んでいるお地蔵さんの風車がいつも賑やかだった。

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