龍土町2

原コウ子著「石鼎とともに」を読み返していたら、面白い箇所に行き着いた。面白いと言ってもきわめて個人的な興味である。以下の文章は龍土町に住んでいた場所をコウ子が辿っているのだが、「洗濯屋の前の高い崖の上にぽつんと建っていた。」の箇所がある。
             
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  ---龍土町の家は、六本木から電車線路に沿って乃木神社の方へ向かって歩くと、右側一連隊に向きあった三連隊の正門通りの一つ手前の通りの三つ目を左に折れた、洗濯屋の前の高い崖の上にぽつんと建っていた。勿論安普請であるが、南側の家主の石庭には楓の大木や珍しい植木が枝を張り拡げ、北側玄関わきの小庭を隔てた垣根越  しには、隣屋敷の栗だの柿だのの生物の樹が枝をのぞかせていてちょっと都会ばなれしていた。その上二階から見下ろすと洗濯屋の裏あたりから三連隊の土堤が見透かされ、小さい借家にしては珍しい環境で、麹町の家のようにどこを開いても人のくらしを覗くような気づまりはなく、伸びのびと青空を見上げられることに、わたしの肺活量が俄に増大する思いがした。ーーー
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この洗濯屋とは、以前に書いた荒潤三さんから頂いた龍土町の地図に、「私の父親と同業のクリーニング店が52番地にあります。子供の頃行ったことがあります。」と書いてあったのを思い出した。まさにコウ子が書いている洗濯屋である。それがなんだというほどのものであるが、同じ空気を吸っていた人が健在というのも感動する話である。大正十二、三年のころだ。

この荒潤三さんは昭和四年にドイツの飛行船ツエッペリン伯号を見ている。八月十一日だったというから、石鼎も東京に出てきていたが、ホトトギスの周辺でこの飛行船のことは話題にならなかったようだ。荒潤三さんにコウ子の文章をコピーして送った。元気だといいのだが。 ににん

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