60歳のラブレター

どうしてだか、パソコンの瞬きが止んでしまった。もう10日くらいになるだろうか。少なくなったというのではない。全く、そんなことがあったかしらというよにぴたりと止んだのである。あのとき、慌てて買替えなくてよかった。瞬きの原因がわからないのだから、しなくなった原因もわからない。なんでもいい。よかったのだから。

今日は一日パソコンの前に居た。食事時になると、のそのそとキッチンに行って、食べたいものを食べて、またパソコンの前に坐る。連れ合いはどうするのかと言えばやはり勝手に食べたいものを食べている。たまには息があって、同時にテーブルに向き合うときもある。結局、毎日同じ屋根の下にいても、正式な食事は夜の一回だけ。その夕食だけは私が作る。というより、連れ合いの作ったものでは気に入らないからだ。

8年くらいまえだったろうか。里帰りをしていた娘と連れ合いがこそこそ話しあっていた。連れ合いはそろそろ仕事を辞めようと思うんだ、と言っているようだった。娘が「だめだめ、そうしたら食事も洗濯もお父さんがやらなくてはならなくなるわよ」といっていた。その当時、どこかの信託銀行で「60歳のラブレター」というのを募集していた。一人だけ100万円の賞金が出る。

それで私は、その賞金につられてラブレターを書いた。字数の制限などはなく、ハガキに書くのだから、随分気楽に応募があったみたいである。その後、なんとそのラブレターをNHK出版が買い取ったのである。著作権は信託銀行にあったのだ。出版社が本にしたものが送られてきた。計算すると、本に収録される作品の競争率は100倍であった。それで、悪妻の見本のような私のラブレターも掲載されていた。

大方は一ページに収まっていたが、私のは、見開きになっていた。パソコンで印字したから、文字数が多かったのだろう。HNKだから、夕方の番組で何回も紹介された。病気の夫が妻に隠れて書いたラブレターを娘に託して応募したものもあった。作者はすでにその時亡くなっていた。娘さんがあー、コピーをしておいて母親に見せればよかったと、思っているときに活字になって感動した、というようなものが紹介された。

一回目のこの本は、そうした宣伝が効いたのか、6、7版くらい重ねた。その後も毎年その企画は続いているようだが、第一回目のようには売れないようで、店頭でも見かけない。その中の何篇かがオペラにもなったらしい。今年が7年目だということである。まだ企画は続いているんだー、とはじめて認識した。そのラブレターを書いた人達で集まろうよ、と立ち上がった人がいたのである。

来週その集まりがある。立ち上げた女性は横浜の住人。「何人くらい集まったと思う」と私に言った。「100人くらいかしら」と言ったら当りだったようだ。北海道からはせ参じる人も居るらしい。「だから私は前日から都内に宿泊するのよ」と、彼女は言った。集まってなにをするのか、どうなるかもわからない。近いから幹事になって言われて早めに行かなければならない。

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