源蔵さんの坂

買い物の帰り道にある渡辺源蔵さんの家の門に、葬儀の式次第が張り出してあった。「あー亡くなったのだな」という思いより、あれまだ生きていたのだ、という思いのほうが先に立った。この地に引っ越してきてから、平成元年まで、朝霞市は渡辺源蔵市長だった。

戦後間もなくから町議を務めて、昭和40年から昭和の終りまで在任したのだから、市長の年月は希な長期にわたっていた。辞める経緯のときに、あと一期つとめると市長在任年月が日本最長になるような話も聞いた気がする。色黒の中肉中背の何処にでも居そうな風貌というくらいの印象しかなかったが。

それでも辞めてから19年目になるのだから、「あれ、まだ生きていたのだ」と思っても無理ない。92歳だったとか。強固な保守派だったが、黒字財政を守ってきたのは、終戦後の貧しい生活の延長で堅実な財政管理がなされてきたのかもしれない。現在の市長は渡辺市長引退以後、何代も替わっている。その渡辺家を基点に道は急な下り坂になる。人はみんな「源蔵さんの坂」と呼んでいた。

引っ越してきた頃は勿論この坂も舗装はされていなかったので、雨の日はタクシーも滑って通れなかった。坂を下りきったところに「洗い場」と呼ばれる水場があった。そのあたりに「滝の根」という地名がついているくらいだから、水が豊富に湧くところだったのである。まわりの農家が野菜を洗う場所だった。その洗い場が何時のまにか消えていた。源蔵市長引退と洗い場の消えたのとは、どちらが先だったのか。

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