2009年11月 のアーカイブ

『遠嶺』11月号  主宰・小澤克己

2009年11月2日 月曜日

現代俳句批評(5)      評 浜田はるみ

次郎より太郎のさびし桐の花      岩淵喜代子

 丈高い一本の「桐の花」を目印にした旧家がある。家督を継いだのは〈太郎〉。一族の要として常に縁者に囲まれ、父祖の築いた地位を守っている。そこから一歩も動けない。一方、〈次郎〉は自由ではあるが一人で人生を構築しなければならない。その厳しさ、哀歓はそれぞれの筈だが、「桐の花」と背中合せの〈さびし〉さは、時代の新しみを見据えつつも守るべき伝統を負った者の一種の疎外感か。受け取った財産が大きければ大きい程、責任も重い。『俳句四季』八月号、「螢」より

増成栗人句集『逍遥』角川平成俳句叢書

2009年11月1日 日曜日

昭和8年生れ 「河」を経て「鴻」主宰

   去年今年耳を冷たくしてゐたり
   蟇老ゆるといふは面白き

 一句目の決して声を張り上げて主張するのでもなく、過ぎ去る時間を、あるがままに享受している姿。二句目はそれをさらに積極的に生きる姿に繋げている。いずれも好感の持てる老いの詠み方である。

   末枯に二羽の雀を加へけり
   近付いてしまへばただの一冬木

 一句目、ただ眼前の風景だけなのに、この温みはどこから来るのだろう。何気なく見ていた末枯の風景に雀が降りてきた。というよりも、視野の入ってきたのだ。それを「加えけり」と自動詞にすることで、わが風景にしている。
 二句目も捉え方としてはい「末枯」の句と同じ視線だ。何気ない視野、その中に映し出される映像の変化のあるとき、ある瞬間に視点を留めている。自然諷詠がそのまま詩になるというのは天性の詩人である。

   溶けさうな母を春野に置いてくる
   裸木の空を一重にしてゐたり

感覚的な捉え方の作品も随所に見られて、癒される作品集である。

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