句集『嘘のやう影のやう』の鑑賞   吉原文音

「ににん」代表の第四句集。感性の刃がきらりきらりと句の森に閃く印象を受ける。じっくりと対象を句眼が解析し、確かな感触を得て、すらりと詠まれた俳句の数々は、読み手の心を立ち止まらせる魅力にあふれている。まずは句集のタイトルになった一句。

 嘘のやう影のやうなる黒揚羽
その翅に漆黒の闇をもつ黒揚羽。その闇の翅はゴージャスな雰囲気をあわせ持っている。黒揚羽に虚栄と虚無を見た作者は、ネガティブな表現で対象を捉えた。 

 白魚を遥かな白馬群るるごと
ちょっと見たところ、白魚と白馬には何のつながりも無い。しかし、ずーっと心の眼を引いて白魚の群れを見たとき、その群れは白馬となったという。実景とイマジネーションの合わせ目に生れた句である。

 春眠のどこかに牙を置いてきし
「牙」とは怒りのような感情だろうか。春眠から覚めてみると、眠る前のその牙的な気持ちが無くなり、平常心に戻っていた。「春眠」ならではのほのぼのとしたやさしさを味わえる一句。

 一生のどのあたりなる桜かな
若木ではなく、老木でもない一本の桜が見える。桜の木の寿命は何年くらいあるのだろう。この桜はそのどのあたりで今、咲いているのだろう。自分の一生の位置もおのずと重なってくる。読者によってさまざまな響きを発する句であるに違いない。

 瞬間の打ちかさなりて滝落ちる
滝を見上げる。次から次へと水が重なって落ちてくる。作者の脳は、即座にその水を「瞬間」という時間に置き換えた。時間を見えるものとして出現させ、読者の脳裏に焼きつける。そして、その瞬間は一句の中に永遠となってとどまる。

 水澄むや鏡の中に裸馬
秋の澄みきった池か湖の水鏡に映る姿が見える。水を飲んでいるのか、ちょうど水鏡をのぞき込むような姿勢の裸馬。それを客観的に見守る作者と、読者は同じ位置に立ち、作者と同じ構図の絵を見ることができる。

 地芝居に集いてみんな羅漢めく
観客のさまざまな顔の表情、姿勢の百態が、ユーモラスな視線で描かれた句。「地芝居」と「羅漢」の言葉の取り合わせが、風土の味わいを引き出している。

 運命のやうにかしぐや空の鷹
空を飛ぶ鷹の傾きを「運命のやう」と言ったのは作者以外にないだろう。ここに、この人の詩の力を感じるのである。こんな一句を得たいと切に願う私である。共鳴句は多数あるが、紙面の都合で紹介しきれないのが残念である。これらの句をみれば、吟行で見たものに捕らわれた単なる写生句がすべて色を失ってみえることことが分かるだろう。今後も「詩」としての俳句を俳壇に示し、俳句の未来を照らしていただきたいと願っている。
                                                          筆者 『太陽』同人 

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