『河』七月号 主宰・角川春樹 (2)

岩淵喜代子句集「嘘のやう影のやう」 選考過程

堀本  では、第二回日本一行詩大賞選考会を始めさせていただきます。今年は句集が41篇、歌集が20篇、総数61篇集まりました。その中から日本一行持大賞の句集が36篇、歌集が16篇、合計52篇、新入賞が句集5編、歌集四篇、合計9篇ということでした。
 今回もオブザーバーとして角川春樹代表に参加していただきます。選考には参加しないということで、あくまでもオブザーバーという形でよろしくお願いします。まず、大賞からお願いします。 句集、歌集関係なしに上位三位を挙げていただいて、一位二点、二位三位を一点として、合計で、二点以上を論じるということでお願いいたします。
  * * 
堀本  もう一つの二点は、「嘘のやう影のやう」岩淵喜代子さんです。加藤先生が二位、福島先生が三位で推していらっしやいます。
加藤  この人はしっかりしていますね。一番素養のある人ですね。助詞の使い方が群を抜いていました。いろいろ申しあげますけれども、「箒また柱に戻り山笑ふ」というのがあるんですよ。不思議な句だと思ってね。「山笑ふ」といえばだいたい決まっていますからね。箒が柱にまた戻るんですよ。
角川  柱にかけただけだけれども、そうは言わずに柱に戻ったというのは面白いですね。
加藤  日常俳句の典型みたいなものですね。これは驚きました。
 それから、「春窮の象に足音ながりけり」。象の句はほかの俳人も何人かつくっていますが、ご存じのように、「春窮」というのは食べ物がない時期のことを言います。この句は、気味の悪いようでいて、象というのは滅多にいるものじやないから、自分のところで飼うわけにいかないから、動物園だろうと思うんですけど、春窮の句でこんな句は見たことありますか。
堀本 ないです。不思議な句ですよね。
加藤  不思議な句なの。それで驚いたんです。 それから、不思議といえば、「龍天に登る指輪の置きどころ」というんですよ。
辻井 不思議ですね。
加藤  面白い句ですね。この方は、もちろん既婚者でしょうけれども、指輪の置きどころに困っているのか。亭王に返すのか、恋人に返すのか知らないけれども、年配の方ですよね。源義先生に習った方ですか。
角川 違います。
加藤  それから、清和の句をつくっているんですよ。「船べりに街の流れてゆく清和」。船で大川を上ったりしますと、街が流れていくように見えるんですね。それをご存じの「清和」という、いわゆる季語にもたれるけれども、私驚いたの、清和でこう言う女の人がいるというのは。うれしくなりました。
 それと、羅漢の句は多いんですけれども、「ひとつづつ羅漢に頂けしけんぼ梨」というのがあるんです。ケンポナシというのは仏手柑みたいなもので指の格好をしているんですけど、これがなぜ使われずにきたかというと、ハンセン氏病の人の指が欠けたりするでしょう。それがケンポナシに似ているといって忌み嫌ったんですよ。江戸時代そういうものがあったんですね。ところが、あえてこの人が使った勇気というか、俳句的素地としたらすごい句で、ご承知のように、羅漢といったら、五百羅漢寺があるように、あれだけ形相の変わった人のところにそれをあえて入れたというのは、場合によっては原爆忌の句より怖いですよ。すごい女性ですよ。私は、源義先生のお弟子さんだとばかり思っていました。
堀本  「けんぽ梨」が効いているということですね。       
加藤  効いている。まず玄圃梨を詠ったのは見たことない。
角川  私もない。
加藤  あなたは歳時記をおつくりだからおわかりでしょうけど、ないと思うな。これはえらい人だと思った。
 それから、何でもないけど、子規よりすごいと思った句があるので驚いた。子規なんかすっ飛んじゃう句があるんですよ。「鶏頭は雨に濡れない花らしき」というんですよ。あれ、雨を弾くんですよ。子規もうっかりしましたね(笑)。これはもう一行詩ですよ。「鶏頭花」ともいいますけど、鶏頭を詠む場合、普通、「花」は入れないんですよね。あえて入れている。いや、驚きました。
 ついでに言ってしまえば、瓢の句だってそうですよ。「それぞれの誤差が瓢の形なす」(笑)。誤差があるから瓢箪になる。これもすごい。会ってみたい人ですよ、この人は(笑)。
堀本  「誤差」というのは、成っていく時問差です。
加藤  そうですね、大きくなるとか、小さくなるとか。いや、教えられました。
堀本  ありがとうございます。
 それでは福島先生、三位に推していらっしやいます。
福島  「多喜二忌の樹影つぎつぎぶつかり来」これはそんなでもなかったんですが、一番驚いたのは、「釦みな嵌めて東京空襲忌」。
辻井 これはすごいね。
福島  なんていうのかな、端正な詠いっぷりの中に、学童だとか死者たちの顔が浮かんできますね、特に幼い子どもたちの。また生者たちが謹んで東京大空襲の日を迎えているというイメージ。これはすごいなと思いました。 それから、これも佳いと思った。やはりこれも戦争を反映している句だなと思いました。「黒板に映りはしない春の雲」。この二句が、僕は三位に推した理由です。
 出だしの句「草餅をたべるひそけさ生まれけり」を見たら、優雅な、まあまあと思って読み始めたんですけど、こういう句に出会って、非常に驚きました。やはりこの人の生きてきた歴史、昭和を生きてきた人間の凄まじさというか、体験したことの真実性というか、そういうものを深く感じました。
辻井  実は、いいなと思った句が一番多いのはこの人の句だったんです。今の「釦みな嵌めて東京空襲忌」というのは、僕がひねくれているのか、空襲忌ということで、生徒なんかを勢ぞろいさせて儀式としてやっているんだけど、ほんとに空襲の悲惨さをどれだけの人が実感しているだろうか、儀式になった途端に、これはやっぱり形式にすぎなくなるんじゃないかという、そういう批評まで入っているかなという気がして、私はいいなと思ったんです。
堀本  深いですね。
辻井 それから、「暗がりは十二単のむらさきか」なんていうのは、変な句なんだけれども、やっぱりそういうことかなと思ってしまったとか、「三月のなぜか人佇つ歌舞伎町」というのも、これは加藤さんが立っているのか誰が立っているのか知らないけれど(笑) それと、「花果てのうらがへりたる赤ん坊」。「うらがへりたる」というのは、仰向けになって手足をバタバタさせて泣いているのかもしれません。同じページの「花吹雪壷に入らぬ骨砕く」。これはちょっとすごいなあと思ってね。誰でも経験があると思うけれども、焼き場へ行って、大腿骨とか頭骸骨は入らないですよね、それを砕くわけ。花吹雪の中でそのことを思い出すというのは、桜の花の持っている美しさの中に潜んでいる死の影というものを、こんなふうに感じ取っているんだなということを感じました。
 そういう点では、「水引の咲きすぎてゐる暗さかな」。確かに水引が群生していますと、何でもないような花が群生していると、咲きすぎている感じが出てきて、影が見えてくるんですよね。
加藤  水引草はそうですよね。一つずつ見ると、ひそっとした花なんだけど、怖いんだね。
堀本  明を暗に転換させているんですね。
加藤  なるほどね。私、これを落としました。うっかりしました。
辻井  それから、「冬日濃し先に埴輪の暖まり」。埴輪というのは、古い時につくられて、そのまま壊れずにきて、掘り出されて、冬日が濃くなって先に埴輪のほうから暖かくなってきたと、作者は歴史を感じているんだなという感じがしまして、相当すごい句集だなと思いました。僕は入れてないんだけど(笑)。
堀本  それでは、決戦投票ということで、二点以上の中から三位までお遊びいただければと思います。

コメント / トラックバック5件

  1. じあん より:

    見てくれている人は、ちゃんと評価してくれていると思うと、自分の目もまんざらじゃなかった、と言う気持ちとともに、嬉しいです。
    でもなあ・・・! でもでも。

  2. じあんさん。飛島という離れ小島に行ってきました。
    お目に留まってしまいましたね。

  3. acacia より:

    ににん35でゆっくり「原石鼎を語る」を読まして頂いたり、
    (私だけですが)知られざる俳人石鼎を知り、
    頂上や、、秋風や、、の句の深い意味を知りました、
    私の俳句開眼?は中村汀女だったのか、、
    昔(昭和51年頃)買った中央文庫の日本の詩歌30・俳句集に
    原石鼎が載ってて嬉しくなりました、これを機にににんを通して俳句に励みたいと、、
    岩淵先生、怠け者の生徒ですが、宜しくお願いします。

  4. ににんにお目を留めていただいて有難うございます。
    このところ、caciaさんの地域に近い所までいきました。次は
    出羽三山などに行くかもしれません。そのときには、お声を掛けます。

  5. 一千个人就有一千种生存方式和生活道路,要想改变一些事情,首先得把自己给找回来。

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