夜の蝉

真夜中になっても蝉の鳴声が衰えない。たぶん蝉には眠るという行動はないのだろう。それはそうだ。脱皮してから生き永らえるのは十日も無いのだから、寝てなんていられない。
パソコンをやっている背中で突然一際はっきりと鳴き声がするので振りかえると、蝉が網戸にしがみ付いていたた。硝子越しに近々と油蝉の顔があった。

正面から眺めるとつくづく蝉の目が大きい。というよりも、しっかり瞳をガードするような露雫のような円い突起が二つあるが、それ全部が目なのか、円い覆いの下に瞳があるのか。とにかく表情がみえない。ときには別の窓硝子に礫の当ったような音がする。多分、蝉が明り窓にぶつかってしまうのだろう。朝になると仰向けに死んでいる蝉を何匹も目にする。

    いつち先になく蝉涼し朝の庭   石鼎

数年前に取材で出雲に出かけたときに、出迎えてくださった板倉氏の家で出会った句。地元の小豆澤禮の画集「原石鼎句抄絵」の中である。画集の中では、柿の幹に張り付いている蝉。正面からしみじみと眺めた油蝉と同じだ。掲出句の「いつち先に」とは一番先にという意味。鹿火屋誌では大正十三年三月号が初出。関東大震災の直後での作。晩年の身体が衰弱してからは、出雲弁で、コウ子夫人の通訳なしでは、会話が成り立たなかったと語る人は多い。掲出句もまた、震災のショックで石鼎は精神不安定な時期であった。そうした時期には、出雲弁に戻るのである。同じ言葉を使った俳句が、その年の五月号にも(いつちさきの初筍の小さゝよ)があるが、どちらも『花影』には収録されていない。

だが、昭和23年の「石鼎句集」・昭和43年の「定本石鼎句集」・平成二年の「原石鼎全句集」のいずれもが

     いちさきになく蝉凉し朝の庭

となっている。大正十一年の出雲生れの画家小豆澤禮氏はあえて、「いっち先になく蝉凉し」の表記を採用しているのは、地元のことば使いだからなのだろう。この画集は平成九年刊。当然、石鼎句集を見ながら、絵にする俳句を選択したのだろう。それでもあえて「いち先に」ではなく「いっち先に」でなければ、地元のことばではないのである。

当時の病弱な石鼎がいかにまわりから管理されていたか。そして、いかに石鼎を整えることに、弟子たちが奮闘していたのかがわかるのである。    (ににん)

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