月曜日句会のあと「ににん」の校正。そのあと飯田橋の八車に遅くまでいたのが祟ったらしい。その夜から鼻水が出初めて、翌日はそれを抑えるための薬を飲みながらのカルチャー教室。
このあたりまでは、鼻水だけで、薬を飲むと止まっていたので、軽く考えていたが、夕方から喉も痛くなって、完全に体の中に風邪の菌が入ってしまったのかもしれない。その後の3日間は用事がなかったが、その間中、体が熱っぽくてごろごろしているしかなかった。
夕方やっと熱が取れたような感じがしたら、なんだか体を取り巻いていた鎖が外されたような、身の軽さを取り戻した。やっと風邪の神が退散してくれたらしい。
山陰の寺本喜徳氏が原石鼎の吉野以前についての冊子を送ってくださった。寺本氏は石鼎の吉野以前についての探求をずっと行なっている。おかげで、大いに役立たせてもらっている。
今回の冊子で寺本氏が句集『花影』の年譜のことで、気が付かなかったことを指摘している。それは年譜の長さである。昭和12年に上梓した『花影』の年譜は大正2年までに、年譜の半分近い頁数を費やしているという指摘である。寺本氏は、年譜の半分の頁を使っている大正2年までが、俳句の基礎を作っていると主張しているだ。
わたしはそのあたりのことを、初めて活字になった「七草に入りたきさまの野菊かな」から「頂上や殊に野菊の吹かれをり」までの期間が石鼎の文学素養の基礎だったことは書いたが、物理的な年譜の頁数にまでは及ばなかった。
おおー、写真もすてきですー!!
むかし新潟の人に、美女林だか、美人林だか言うぶなの林に連れて行ってもらったことがあります。たぶんそこじゃないかなあ。
中に一二本朴の樹もあって、とーってもいいところでした。
これを機にぜひ一度、訪ねて下さい。
コメントする場所を間違えました。すみません。
じあんさん 空気がいかにもおいしそうな感じですね。お風邪に気をつけて。