俳句αあるふぁ2009年4、5月号

2,3日前の夕方、受話器を取ったら「俳句αあるふぁ」の石寒太さんからだった。
「石寒太です」という声は聞き覚えのあるものだった。「お元気ですか。風邪などひきませんでしたか」というのもいつもの口調だった。

何かと思ったら、グラビアの「俳句の生まれる現場」への依頼だ。そうして今日、以前のページのコピーと今までの吟行場所のリストが送られてきた。私が近くなら平林寺しか思いつかないけど、と伝えておいたが、まだそこは未踏の地だった。

他人事として読んでいるときには、たいして把握しないものである。この企画の一番新しいのは、2008年10・11月号で鹿火屋の原和子主宰だったので覚えていたが、風景の中に収まればいいのだと思っていた。ところが、コピーを見ると、結構写真というより、活字の部分が多い。全部で六頁です、と寒太さんは言っていたっけ。

歩きながら、句を作ったり句について語ったり、略歴を語ったり。「ヒヤー、その語るところなんて、原主宰のページにあったの」というほど覚えていない。日程もこちらの空いている日を伝えておいたから、「1月8日はいかがでしょう」と書き添えられていた。

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