麻布本村町 9

なんとなく石鼎の最後の住居を追っているうちに、家のありかも間取りもつかめそうになってきた。コウ子が、手ごろな家が空いているからと、木下蘇子にいわれて、タクシーで見にゆく道筋を記録してある。

龍土町から材木町を抜けて有栖川公園の角を曲り、鷹司家の前を通り抜けると直ぐに左に折れてゆきどまりの前でくるまが停まった。

 この鷹司家というのが分からないでまた、携帯で荒潤三さんに問い合せた。先日は戦争で全部焼けたのかどうかを問い合わせて、荒さんは図書館に行って戦争焼失地図なるものを探してきてくださった。まったく、変な人に取り付かれてしまったと、思っているかもしれない。午後になって返信がきた。今のフィンランド大使館・・・と。最後の行き止まりのところは実際に先日、荒さんに案内して頂いた。

かなり近くまでは追い詰めたので今度は、須賀敦子の文章からその位置をさぐる。

高台の家の窓からは、冬の夕方、赤やうすむらさきに染まった空のむこうに、逆光のなかの富士山が小さく見える日があった。家に近い、もう暮れかかった光林寺の境内には、ささらを逆さにしたような欅のこずえがしらじらと光っている。すこし顔をうつむけると、ほとんど真下に、勾配を上手に使った隣家の庭があって、着物姿の小柄な老人が、腰に手をあてたかっこうで空を見上げていた。

この小柄な老人が石鼎である。この文章から、光林寺と須賀敦子の家を結ぶと石鼎の家が自ずと想像できてくる。その上に八歳の少女は近所にもの凄い蔵書を持つ家のマサ子ちゃんと遊びまわる。そのマサ子ちゃんの家というのが。

ーー私たちのまえの私道を三軒ほど奥に入った突きあたりの家に、---
ーー勾配に建っているために、じつは二階建てになっているーーー
ーーそのころ近所に空き家があることがわかった。その家の門は、私たちの家とはまったく関係のない、光林寺坂という私と妹の通学路に面していたのだったが、---
ーーある日マサ子ちゃんが、うちの庭から、おとなりの庭にはいれるかも知れないよ、といったのでーーー

こんな具合の文章の中から、おおよその位置がつかめてきた。楽しい作業である。

コメント / トラックバック1件

  1. かぐら川さま
    コメントありがとうございました。
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