煥乎堂書店

昨日は煥乎堂内の俳句教室の新年会だったので、またはるなさんの思い出話になった。
もともとこの教室ははるなさん、すなわち現在の煥乎堂書店社長の母堂が、ご自分が俳句をしたくて設立したもの。私はなぜか随分昔からはるなさんとご縁があったが、ついぞ「俳句をやりませんか」なんて言ったことが無かった。別に誘いたくないのではなく、俳句をマイナーな分野と思っていたので、他人は興味がないだろう、というくらいの気持ちしかなかった。それは今も変らない。

当時、北関東一の規模を持ち、創業百年の歴史をもつ書店のオーナーである小林家には、著名人がたくさん訪れていた。そんな環境の中で金子兜太さんに俳句を勧められたり、自宅をよく訪れていた当時の角川書店の社長だった角川春樹さんなどから、俳句を勧められて、次第にその気になったようである。或る日私に俳句をしたいから、という電話があって、前橋から東京に通い出だしたのである。そんならもっと早く進めればよかった、と思ったものである。

彼女を原裕主宰直接の句会に紹介しておいたが、その熱心さも手伝って際だって上進した。癌で亡くなったのは、2001年早春だった。「ににん」の創刊号には作品を出していた。お葬式は上州のもっとも上州らしい風の激しい日で、黄沙が舞っていた。残された私たちは、彼女の12年間ほどの作品を鹿火屋の雑誌から手分けをして拾い出した。400句以上はあったろうか。それを手造りの一集にまとめた。

    湯畑にいきなりつよき秋の雨
    母の日の母のいつもの割烹着haruna.jpg
      みことばを包んでおりぬ朴の花
       結納を収めて帰る麦の秋
    春の星あひるを土間に眠らせて
    かりんの実ひとつもなくてただの木に

ことに湯畑の句は鹿火屋主宰が、当月の一句として特別に鑑賞していた。 ににん 

 

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