天川栃尾村 その1

慈庵の雅子さんに誘われて桜を訊ねた。
それは、天川栃尾村である。
天川村と言えば天川弁財天が有名だ。そこへいくにも京都から近鉄特急で一時間半以上かかり、さらに村営バスで一時間奥に入る。
栃尾村は、それよりさらに奥まったところにある。
少し前までは、70軒ほどあったが、今は50軒足らずとか。そんなところにも民宿があった。
夏は鮎釣りやキャンプに来るらしいが、あとは、どんな人がくるのだろうか。想像できない。

観音堂 には円空仏が4体祀ってある。
とは言っても、少しも有名ではない。
単に都合つく日に桜のまだありそうな所を探っているうちにゆきついたのが栃尾だった。
 祭りの前日到着した私たちは観音堂を開けて貰って円空仏を間近に拝顔させて貰って、胎内仏も堪能させていただいた。円空仏に特別な執心があるわけでもなかったが、そんなに優遇されると、なんだか特別な仏さまに思えてくる。
御堂は10人全部が入るには狭かった。

御堂の隣に一本の八重桜が二分咲きになっていた。結局その一本のために、岐阜、仙台、埼玉、東京からはせ参じたのである。見渡してみても、他に桜はなかった。
祭りは1日かぎりで、予報は雨だった。
だからと言って予定を変更するわけにはいかない。村人も御堂の庇から青いビニールシートを張り巡らして雨の明日に備えていた。
管理人の谷川俊太郎そっくりのおじさんは、ひどく親切だった。

祭りの日、空は暗かったが「何とか持ちそうじやないか」と言い合った。
11時30分に近くなるとお坊さんがやってきた。それとて村人。みんな顔見知りのようである。
村人の間を通りながらあちらこちらで会釈が行き交う。
それどころか、わが仲間も会釈をして
「先ほどはどうも」
なんて言っている。寺まで散歩の足を延ばした人がいるのだ。

法要が終わると境内いっぱいに花ムシロがしきつめられた。
例の谷川俊太郎さんが私たちを手招いた。御堂の横の特等席が設けられた。雅子さんがお願いしておいたお弁当も一緒になっているのか聞いても「いいよいいよ」と言うばかり。

村長さんの挨拶がおわるとみんながいっせいに花見弁当を開いた。私たちも、ともかくは、村人と席を並べてお弁当をひらいた。
皿に盛られたおつまみが回り、婦人たちが揚げた精進揚げがまわった。食事の途中で雨がふりだした。私たちはシートの下だったが境内の真ん中に敷かれた花ムシロの人たちは傘をさしたり軒下に避難したのだろう。堂の裏手にまわった親子を呼びいれた。親子ではなく孫だということだった。今日の祭りのために近在からかけつけたのだという。そういった人も合わせても200人くらいだったろうか、250人くらいだったか。
幸い、雨はすぐにあがった。

そのあとが大変だった。また、散歩でもしようかと思って立ちあがった我等一行に、もう少しで餅撒きがあるからというのだった。
餅はともかく、そのまえに奉納した品物がジャンケンでみんなに分配された。
いくらなんでも私たちは遠慮したほうがいいんじゃないの、と思っていたが、何時の間にか私も参加していた。

そのあと餅が撒かれたが、撒かれるのはそれだけではない。奉納されたお菓子がたくさんあって、拾えば帰りの処分に困るのに拾っていた。そのうえに籤引きがあり、わたしはベチュニアの鉢を貰った。どこの場面も、そんなよそ者なんていう顔をする人は居なかったし、みんなも村人になりきっていた。  (つづく)

コメント / トラックバック2件

  1. 義風 より:

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    名も知らぬ村なのに読ませていただくうつに何だかとても懐かしい気持になりました。昔どこかで出会った村人さんたちの顔も浮かんで来たりして。
    さくら祭だったのでしょうか。偶然行き合わせたかのようですが。続きを楽しみにしております。

  2. 匿名 より:

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    儀風さま
    特別なものはなにもない村です。でも、桃源郷のような気分が味わえたのは、三日をどこにも駆けずり回らないで、滞在していたからでしょう。
    来年是非。

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