天川栃尾村 その2

村中の畑は猪垣のなかにあった。
夏から秋にかけて猪が薯など食い荒らすらしい。

籤引きで貰ったベチュニアは民宿の花壇に並べて、祭りの夜は猪鍋だった。豚肉よりもはるかに赤い肉で脂身も厚いのだが、鍋の中は不思議とぎらぎらしなかった。一行の一人がワインとワイングラス、シャンパングラスを宅急便で宿に送りつけてあったので、夕べも今夜もワイン攻め。

ひとしきりは昼間の祭りの話になった。じゃんけんで唯ひとり景品が当ったのが、滋庵の雅子さんだが、なんとそれが農作業に使う鍬であった。それを手にしたときから、ドースルノヨと眺めていたが、彼女はしっかり持って帰ると意気込んでいた。

食事どきに、例の俊太郎さんが大きな籠を持って入ってきた。わたしたちへの、銀杏のお土産であった。御堂の横に円空銀杏と名付けた大銀杏があって、その管理人の家で村中にわけるのだという。その銀杏の実がまだあったのである。

猪肉は食べても食べても減らないで、ワインも飲んでも飲んでも減らない感じだったが、下戸組から部屋にもどった。結局五人は下戸組で自室でほとぼりを冷ましていた。

上戸組みはそれから何時間も飲んでいたような気がする。ここの民宿の女主は八十歳。片付かないから、気の毒だと、ときどき誰かが見に行くのだが、「話は佳境に入っているから、とても腰を上げそうにない」と戻ってきた。その次に見に行った人は、民宿の女主人も一緒になって騒いでる、ということで戻ってきた。

部屋にみんなが戻ったのは十一時ぐらいだったらろうか。酔っているようでも、しっかり宿の女主人の語る半生を聞いてきた。60歳まで教師をしていて、そのあと、親のやっている民宿を継いだのだそうである。
翌朝、最後の観音堂にお参りをすることになった。幹事が

「短冊が用意してあるからみんな一句づつ書いてくるのよ」

と、言うのだった。それは大変とばかりに、みんな句帳を開いて、どの句にするか物色していた。観音堂に入って、短冊はと聞いたが

「えっ、なに短冊って」

と俊太郎さんがいった。
幹事が妄想を抱いていたのだろうか。なにしろ天川は不思議なことの起こる場所だから気にしない。短冊ではなく、また来年来るようにと、住所と電話番号を書かされた。

「きっと、来年お誘いの案内が来るわよ。今度はににん御一行さまで行けばー」

なんて言われて、「そうね」と、思わず言いそうであった。
観音堂の桜は昨日よりもだいぶ開いたが、雨に濡れているので、牡丹桜の豪華さを発揮できないでいた。(つづく)

コメントをどうぞ

トップページ

ににんブログメニュー

アーカイブ

メタ情報

HTML convert time: 0.114 sec. Powered by WordPress ME