2007年9月 のアーカイブ

歳時記異聞

2007年9月7日 金曜日

榎本好宏著『季語の来歴』 平凡社刊
「諸説楽しき歳時記異聞」と副題があり、季語成立の背景を示して俳諧の深奥に導くとともに、古きよき日本の暮らしぶりを伝える〈ものがたり歳時記〉と、帯に書き込まれている。
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以上のような、魅力的な言葉によって思わず手にとってみたくなる本である。目次は大きく分けて春夏秋冬と雑に分かれて、最初の項目は「たかが凧、されど‥‥‥」とある。ものがたり歳時記と帯にあるのが直ぐに頷けるのは凧の項目だけで四頁の文章が付されているからである。そのほかにも、初午と稲荷・灸好きと「二日灸」・桃の節句の周辺・、などとすべて一つの季語にしては長文の解説がある。このあたりにも榎本さんらしい綿密さを感じる。

例えば「桃の節句の周辺」などは、ひな祭りから入って、全国の主な雛まつり行事を網羅している。そこまでは想像できるのだが、そこから、「曲水の宴」・「磯遊び」・「野遊び」「踏青」などへ繋げて進んでいくと、興味がさらに広がっていく。

そうした項目が並んでいるだけでは、季語の数はそんなにないのではないかと思ってしまうが、巻末に付した「季節の言葉」の索引には膨大な季語がならんでいることに、ふたたび驚いてしまう。それほど、一つの季語からの派生があるとも言える。あらためて、『ものがたり歳時記』と名付けたことを納得しながら、遠い旅から戻ったような気分にさせられる一書である。

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ににん28号編集

2007年9月6日 木曜日

「ににん」の秋号の初校が終わった。句会の終わった席で残れる人の全部で関ってもらうのも、このごろは慣れてきた。その赤の入った原稿を、わたしのパソコンで直して完了。そうすれば、印刷所に送れるのである。後一日くらいすれば、全ての初校が戻るはずである。

なんとなく一段落というところである。だが、つぎつぎ問題が起こってくるものである。パソコンに不具合があるのだ。昼間はににんの会員の一人がPCが動かなくなったから、連絡は携帯に入れて、という連絡があった。

私のは、もっと以前からで、ときどき画面が真っ暗になってしまうのである。慌てていると、瞬きするような間でもどる。しかし、どんなときに、真っ暗になってしまうのかが分からない。マウスを使っているときかな、と思っていたが、そうとも限らない。真っ暗になるのも、気紛れで、一日平常に動いているときもあって、なんだか遊ばれているような感じだ。PCのお店で聞いても、原因はわからない。なるべくならビスターにはまだ移行したくはないのである。やはり使い方にまごつくからだ。

28号の編集が完了するまでは、なんとか故障はしないで貰わなくては大変なことになる。それを予想して、完成した原稿は、随時仲間に送って預かってもらっていたが、なんとか今のパソコンから印刷所に送れそうである。まったくひやひやさせられる。

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祝賀会

2007年9月2日 日曜日

秋は各結社の祝賀会日和と言ってもいいほど、祝賀会が並んでいる。5年ごとにお祝をしていれば、土日が祝賀会でびっしりなんていうことになりかねない。わが「ににん」もそうした祝賀会を行なった身だから、批判するのはどうかと思うのだが、それでも、あえて提言したい。

もっと簡素でもいいのではないだろうか。わたしも結社にいるときに、こうした祝賀会があるたびに、寄付の要望があった。「一人2万円くらいは出さなくては」と大御所が言うので、そんなものかと思い込んだが、ひとり2万円の会費が結社で集まったら、かなりな資金になる。今考えると、あのお金は何に費やされたのかと思うのである。会計報告なんていうものもなかったから、足りたのか余ったのかも不明。

「ににん」だって結構派手にやったではないかと思う人もあるのだが、わが会では、まず5周年のために寄付など募らなかった。言わなくても寄付が集まったなんていうこともない。当日の会費制というのは、来賓も会員も同等で、それ以上の金額は使っていない。それでも、いちおう都心の名のあるホテルで、着席正餐、お土産付きという形式にはなった。

会費制にしようとはいうのが最初の計画だった。そして立食でいいのではないかというのも立案しはじめたときの、計画だった。

「そうよ、ににんなんてそれでいいのよ」

と友人はににんという小さな器にはそれが相応しいといった。しかし、会費をわずか計画よりも値上げするだけで、着席正餐が成り立つということがわかって、壱万円という金額がきまった。端数があるよりも、会計も楽だったし。

それじゃー10周年も同じ形式で行なうのかとみんなは思っているようだが、それはない。5周年だから実行したのである。五年経てばなんとか同人誌としても方向も定まるし、同人としての仲間の繋がりも濃くなってきている。その時期に到って、本当の意味の発足式になるだろうと考えていたからである。だから、五周年とは言いながら、創刊祝賀会を密かに兼ねていたのである。

そのあと何処かの雑誌に筑紫磐井さんが「こんな豪華な祝賀会はなかった」と書いていたが、豪華とは顔ぶれのことだろう。なにしろ。150名ほどの中で会員が30名ほど。あとはみんな来賓だったのだから。あのホテルは、創刊号しか参加しなかった友人小林はるなさんの東京に出てきたときの常宿。生きていたら、いまごろ活躍していたのではないかと思う。

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