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★馬の投句最終回

馬上から人も乱すや多度祭り    石川順一

★固有名詞を使いこなすことは難しい。多度神社の祭神 雨乞いの霊験あらたかな神様と聞く。雨乞いであり、祭りであることから本来の夏の句と容易に理解した。馬が駆けるだけでも遠巻きになるのに、乗り手がどんな行為をするのだろうか。わくわくさせる作品であり固有名詞が生きている。(恵子)

惜春や祖母と乗馬の幼き日     石川順一

★乗馬といえば農耕や使役に用いる馬ではないはず。軍馬を承知している世代も居られる時の流れの中で、おばあさ まとの乗馬の幸せな想い出を詠われた。祖母も幼き日も遠い日の事であり、惜春という季語がすべてオブラートに 包んだような情緒を漂わせた佳品。(恵子)

★幼い頃、お祖母さんに馬に乗せてもらった思い出だろうか。お祖母さんの暖かい体温に包まれ幸せだった日を、惜春という季語で懐かしんでいることを思わせる(禎子)

海風の通る馬車道夾竹桃     中村光声

★横浜に馬車道というところがある。海からの風が夾竹桃を揺らし、かすかに居留地の面影が感じられる街の中を吹き抜けている。炎天でも涼しさのある港町らしい情景(禎子)

半身は闇の中なる竈馬かな 坂石佳音

★「竈馬」は「いとど」と読むが、「かまどうま」ともいう。コウロギと混同されるが、竈馬には発声器官がない。美しい虫でもないのになぜか古歌にもよく詠まれている。小さな虫なのに半身と表現することで、にわかに竈馬の存在感が生まれるのは言葉の威力である。そこには作者と竈馬だけが共有している闇があるのである。(喜代子)

馬上にて晩夏の原の波状見ゆ     隠岐灌木

★草原の波状、すなわち草のなびくさまが描かれているのである。しかも、作者は、馬上といういちばん気持ちよく見える位置にカメラアングルを据えて、読み手の視線を誘っているのである。(喜代子)

終戦忌馬糞拾いを競いけり    平田徳子

★こう言っても現代の人には伝わりにくいかもしれない。当時の荷物を運ぶのは馬が主役だった。その馬がこぼす馬糞もまた、当時は肥料として役に立ったのである。(喜代子)

絵の馬の風鈴聞き入る素振りかな    西方来人

★ 馬が描かれている風鈴を眺めながら、作者の中にはかすかな屈託があったのだろう。それ表現するのに、「素振りかな」の措辞が置かれたのである。(喜代子)

大夏野馬は開放されてをり    ハジメ

★広々とした夏の野原を自由自在に雄雄しく駆け回る馬の様子が、「開放されてをり」によって鮮明度を増す。人間どもは、夏ばてを気にして、家の中に閉じ籠り勝ちな猛暑。平明な佳句・・。(竹野子)

種馬の男根凛凛し夏の雲     中村光声

★馬の繁殖・改良のために飼う牡馬のことを「種馬」といゆが、競争馬として強かった牡馬は種馬として高値が付く。馬の生殖器は馬体に似合って大きな物であるが、揚句の「男根凛凛し」の措辞によって、良質の種馬であることがイメージされ、季語の「夏の雲」と呼応して、やがて生まれるであろう子馬への期待に胸が膨らむのである。(竹野子)

瓜の馬教わりしまま子に伝ふ    西方来人

★迎え火を焚いて迎えた精霊を供養して、盂蘭盆の終わりに精霊を返すことを霊送り・精霊送りという。瓜馬は、胡瓜(茄子のこともある)に脚や尾などを付けて馬の形に仕立てたもので、これに乗せて返すのである。 親から教わった瓜馬の作り方を確かに子に伝えた安堵感が感じられる。伝承文化の継承に欠かせない佳句。平明な句風の仲に奥ゆかしさがある。(竹野子)

楽団をお馬が先導春うらら     小夜

★「楽団をお馬が先導」このフレーズからは、いろいろな場が想定できる。何かのパレード、例えば謝肉祭のようなもの、鼓笛隊のようなもの。先導されているものは何でもいいのだ。先導している馬に作者の視線が止まっていることが、表現の中心なのだから。きっと沿道の観客も楽団の音楽に耳を貸しながら、視線は馬からはなさないのだろう。(喜代子)

 山開き馬の背中に揺れながら    小夜

★山開きは、もともと霊山に対する信仰から卯月八日にその年初めての登山を許すものであった。今ではスポーツとしての登山が盛んになったので、山開きの意味も変わってきている。ちなみに富士山の山開きは七月一日だそうである。この句は山開の行事のあと、登山馬の背に揺れながら、山登りを楽しんでいるのであろう。さりげない情景だが楽しさがあふれている。(長嶺千晶)

馬方の居そうな木曾路草いきれ    西方来人

★訪れたことがない人にとっても木曽路と言われれば浮んでくる風景がある。その風景に多少の違いはあっても、馬はかならず現れて、その馬の手綱を持つ馬方がいるだろう。この句の良さは、只今の風景のなかに馬を、そして馬方を呼び込んでいる巧さである。辺りを満たしている草いきれが快いものとして描かれている。(喜代子)

馬が茄子食べたよ食べた砂が舞う    月湖

★いろんな場面が思い起こされる。たとえば動物園の馬の前で、子供が自分の与えた茄子を食べたことで、はしゃいでいるような場。たとえば、祭りのために曳き出された馬に茄子を与えて喜んでいる子供などなど。いずれにしても馬が泰然と中心に坐って、その周りを人間が取り囲んでいる。「砂が舞う」の措辞がその光景の賛歌のような役目をしている。(喜代子)

シャガールの馬は夏空飛びにけり   ミサゴン

★シャガールはどれほど俳人に詠まれていることだろう。それは取りも直さず一般に広く親しまれている画家であり、版画家であり、波乱の時代を背景とする芸術家という経歴 かとおもう。面から盛夏の空へ飛び出す先は、吸い込まれるような平和な闇であって欲しい。句柄が大きくてよかった。(恵子)

馬の背のあまりに大き夏の空   ミサゴン

★馬には極端な寒さ、極端な暑さが似合う。それはかたわらに寄ったとき、馬体の大きさに感じる威圧からくるし、馬に跨る人に台が用意される場面からも想像がつく。優しさは 瞳にも代表されるが、広々とした夏野の馬に夏空を取り合わせた景は、絵になり、句になる。(恵子)

並足のリズムは涼し馬と風    ミサゴン

★並足は人が普通に歩く早くも遅くもない速さで、馬の場合一番緩やかな歩みを言うらしい。上五、中七まで非常に五官が働いてリズムが心地よい。ただミサゴン作の他の作品をみたとき、掲句の下五が軽くおもえる。(恵子)

走馬灯見つめる頬に色映り    小夜

★走馬灯とは、中に灯を灯して外側の絵を浮き上がらせる仕掛けを施したもの。眺めている頬に映った色が淡々と行過ぎては、また廻ってくる絵模様。頬に走馬灯の色を写している人と、それを見て居る人が、ここにはいて、しみじみと亡き人を、そして先祖を祀る心を寄せ合っているのである。(喜代子)

走馬燈老いて隙なき父の鑿    石田義風

★「鑿」とは石や木材の削るものに使用する。と言っても日曜大工に使うよりももう少し専門的な工具ではなかったかと思う。走馬灯と打ち出しているので、あるいはこの鑿は遺品なのだろうか。走馬灯のひと時前までの、蝋燭を灯すことで回りだす不思議さは、その絵物語をより深くする。その不思議さが読み手の父の、よれぞれの思い出へ導いてくれる。(喜代子)

沙羅の花おさなごゆらす木馬かな   曇遊

★幼子の深い眠りは大人の憧れ、沙羅の花も初々しい。(もとつぐ)

麦秋やかの日も聞きし馬頭琴    中村光声

★広々としたモンゴル高原そこには人の都会の喧噪を断ち切った風のが光る。(もとつぐ)

いなさ吹く馬の匂いの資料館    さわこ

★地方の資料館には、生活用具や農耕用具を展示しているものが多い。それらは、手ずれを見せながら、古人の魂を感じ取ることが出来る。「いなさ」の湿っぽい東南の風に匂うなら馬しか居ないだろう。この匂いの提示によって、資料館の情景を完結させている。(喜代子)

青嵐動き止まざる馬の耳     森岡忠志

★夏木立に囲まれた乗馬教室に行ったことがある。何頭のもの馬が乗られることを待っていた。窓から首をだしているのもいる。白いポニーもいた。馬は敏感でデリケートな動物、やや風の強い日の耳をそばだてているさまが目に見える(禎子)

新馬鈴薯のめくれる皮の香りかな    遊起

★新馬鈴薯をゆでて、あたたかい薄い皮をはがすときの匂い。お味噌をつけて食べた頃を思い出す。小粒の新じゃがが八百屋のざるに盛られて一盛りいくらで売られていた。初夏の季節感を感じたものである(禎子)

夏草に馬頭観音隠れけり     西方来人

★馬頭観音は大体が小さい石碑のようなものが多く、木下闇のようなところにあり、草で覆われている。探さないと分からないことが多い。かつては馬の守り神として大事にされていたことだろう。道しるべであったかもしれない(禎子)

梅雨の日の吾は司馬遼妻清張    岩田  勇

★梅雨に降り込められて、ご夫婦で仲良く読書の姿と思います。夫は司馬遼太郎の「坂之上の雲」、妻は松本清張の「砂の器」かもしれません。雨の日は心が落ち着き本を読むのに相応しいようです(禎子)

走馬灯会いたき人みなお国替え    華子

★国替えとは大名の領地を移しかえること。大名について家来も一緒に別の国に移る。現代ならば、転勤の家族といえようか。江戸時代に模して転勤の嘆きを詠っているようにもみえる。(禎子)

水馬の動いただけの波が起き    ミサゴン

★水馬は波紋を作りつつ水面をとんで行きますが、たしかに言われてみれば、その波紋は一つの動きに一つの波紋。波がない水面を(禎子)

名の由来は知らず馬珂貝鮨旨し     たか楊枝

★馬珂貝とは馬鹿貝とも書く。二枚貝で、ことに千葉の青柳村でたくさん捕れたことで、「あおやぎ」ともいう。たしかに食べるのに理屈は要らない。こんなおいしいものが、なんで「ばかがい」などと呼ばれているのか、と作者はふと貝に身をよせる思いが浮んだのである。しかし、充足感から生まれた思考は、答えなど必要としないのである。(喜代子)

曲屋に馬と暮らした青田風   ミサゴン

★かぎ形に曲がった平面を持つ民家で、突出部に馬屋などを設け、その正面を入り口にしたものを中門造りと言う。昔は、春の耕しから代掻きまでが、牛馬の働き手であった。青々と育ち始めた稲田を渡る爽やかな風を馬と分かち合う安らぎの風情である。「暮らした」の措辞を「過ごしぬ」と現代形にしては、いかがであろうか・・。(竹野子)

粉粉の外れ馬券や薔薇の門   ハジメ

★電話投票で、馬券が買えるようになって久しいが、やはり競馬場に行って、購入した馬券を手に声援を送りながらの観戦は、ハラハラ・ドキドキ、胸の高鳴りが聞こえてくる。ゴールの瞬間、合えなく外れた馬券を細かく破き、鬱憤とともに撒き散らす心の動きと、薔薇の艶めきと刺々しさが、呼応して、平常心に戻るのである。「薔薇の門」の『門』で救われた。 (竹野子)

木曽馬ののっと現わる霧襖   岩田勇

★中山道の一部、贄川から馬籠あたりまでを「木曽路」と言うが、この辺りの馬を「木曽馬」と称するのであろう。木曽川上流辺りの渓谷に、襖のように立ち込めて動かない霧の中から、突如として現れた馬の姿に、びっくりする旅人の姿もまた、霧襖の中なのである。(竹野子)

菜園に馬面胡瓜下がり居り    半右衛門

★馬面胡瓜とはユニークな発見である。課題「馬」の使用に対して素直な無理のない用い方も巧みと言える。商売では売り物にならない形に出来上がってしまった生り物の愛嬌ある姿を見出した菜園。世相では貸し農園が抽選や空き待ちの人気だそうである。(恵子)

馬冷す父子の会話はずみおり    さわこ

★一日の農作業を終わり馬を洗い冷やし馬にも憩いの一時であり、一日寡黙に働いた親子の会話の一時でもある。しかし、このような風景も昔のなつかしい風景でもある。(もとつぐ)

馬蛤貝を小筆で誘う浜辺かな    半右衛門

★あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ しのばるる 風の音よ 雲のさまよ よする波もかいの色も小さな貝の波の音(もとつぐ)

まばたきをしてる馬居て青葉風     acacia

★青葉風は秋風と対を為すようにも思える。どこか厚みのような重さのようなものがある青葉風は、身を潤してくれる。acaciaさんは岩手の方。この馬は実景として身近にいるのだろう。風の実感を馬の瞬きだけに集中させて、広大な土地をも感じさせてくれる。(喜代子)

一張羅の麻服で往く競馬場    宮島 千生

★最近の競馬場に行った人は、埃っぽいようなイメージを払拭するだろう。東京競馬場などは薔薇園やら日本庭園やら遊園地つきである。女性が優雅に競馬新聞を広げながら、入場券を買っていたりする。「 一張羅の麻服」のダンディイズムが通用するところなのである。(喜代子)


予選句

夏草を食む馬の居て雲の飛ぶ半右衛門
怪談に耳欹てる仔馬かな半右衛門
韃靼を還らぬ軍馬終戦日中村光声
馬へ行く姉に先んじ汗まみれ石川順一
草競馬魅入りてあつし砂煙幹夫
重馬場に牝馬末脚競り勝ちて幹夫
種馬の夏猛々しく牝馬泣く幹夫
有蹄の欠けても牝馬夏奔る幹夫
荷馬車降り家路は遠し秋の暮富沢
モンゴルの夏草原に馬駆ける半右衛門
終戦日遠き記憶の軍馬かな中村光声
海風の通る馬車道夾竹桃中村光声
二つ三つ馬と戯る夏帽子西方来人
牛馬のつなぎの標赤とんぼ西方来人
晩夏光襁褓干されし伝馬船中村光声
秋暑し馬車道に立つ占い師中村光声
暑き日や五輪馬術に知人の子西方来人
初秋や道標朽ちし汗馬坂西方来人
茄子の馬帰りの時刻はグーグルで さわこ
馬の鼻一筋白く目は光りacacia
瓜の馬孫飛び跳ねて弾みをり西方来人
たましいのひととき遊ぶ走馬灯 中村光声
盆の日の帰省の友と競馬論西方来人
騎馬武者の夜空狭しとねぶたかな西方来人
みちのくやねぶたの騎馬は大夜空西方来人
緑陰に馬一頭の憩ひけり中村光声
草原を白馬駆け行く夢を見るacacia
空を斬る立派な尻尾とたてがみよ桐原 恵
水馬バケツにいるよどこからや曇遊
駈ける馬嘶く馬や雲の峰 中村光声
馬の目の草に溶けこみ岩桔梗遊起
風死すや回転木馬止まる音中村光声
騎馬の子は悠然として夏祭り西方来人
馬の目にニッコウキスゲ宿りおり西方来人
駈く馬も寝そべる馬も芝青し宮島 千生
パドックに汗の駿馬や眼の光宮島 千生
大夕焼馬に乗りたる影法師中村光声
梅雨明の馬の鬣光りけり中村光声
馬追いの浅き緑に透き通る半右衛門
春蝉や榛名湖畔の馬車ゆたり華子
人参をねだる馬蹄の地団駄よ華子
子馬生れ立ちてはまろぶ若葉風華子
馬乗りの毛虫二度轢く三輪車隠岐灌木
馬なくて誰を酔わせる馬酔木花小夜
馬塚に供花一輪や田水沸く岩田  勇
子ら乗せて驢馬悠々の猛暑かなacacia
夏神宮クラブの白馬子等はしゃぎacacia
暗がりに馬追い鳴くやススイッチョ半右衛門
蝉時雨馬の耳なら何と聞く横浜風
馬集め来て夏の夜の映画館阿愚林
流鏑馬の土ぼこり舞う夏祭りミサゴン
雷鳴に聞き耳立てし仔馬かな西方来人
遠き日や土引きの馬の汗みどろ西方来人
追い込みの人馬一体汗光る西方来人
炎昼や馬蹄の焼ける匂ひして森岡忠志
馬肥ゆる嬰固太り気短か森岡忠志
馬跳びの子等の歓声片陰り中村光声
馬小屋の匂ひ消さざる扇風機ハジメ
まくなぎを遠ざけてゐる驢馬の耳中村光声
馬だつて淋しい梅雨でありにけり中村光声
風青し白馬重賞初制覇宮島 千生
万緑や東山魁夷の白い馬さわこ
馬歯馬歯と馬齢を加ふ昼寝人横浜風
長々と馬の尾ゆるる夏野かなさじ太
こんな時馬の嘶き草蛍ミサゴン
一つ木に馬の集まる青嵐たんぽぽ
薫風や馬場の桜樹養生中たんぽぽ
鼻取りは青田風にて農耕馬ミサゴン
馬の子ややっと立ちたる梅雨晴間半右衛門
夏草や古老の語る馬返し西方来人
飛魚や対馬海流蒼深き西方来人
竹馬をせがまれ切るや竹の秋西方来人
馬車道の黄昏に溶け麦酒干す宮島 千生
馬車道に所縁の木馬車大西日宮島 千生
邸より堅固な馬屋青楓 宮島 千生
荒梅雨の愛馬壽号の煉瓦舎に宮島 千生
馬のいない厩舎覗けり梅雨の月中村光声
騎馬戦の少女は紅し運動会西方来人
青嵐無数の絵馬を鳴らしけり西方来人
馬刺し食ぶ白露の宿の奥信濃岩田 勇
藤椅子に司馬遼開く昼下り宮島 千生
拘泥も人のぬくもり走馬灯宮島 千生
馬皮の靴眺めてる初夏の店acacia
円タクも馬車も遠き日江戸風鈴華子
馬鈴薯の花懐かしき疎開っ子華子
盛り場の古りし馬蹄やはたた神林 阿愚林
木馬館昔のままや百日紅森岡忠志
七夕や迎馬など省かれて森岡忠志
青嵐情念こもる絵馬に吹き西方来人
夏草や親子の馬の食みし跡西方来人
騎馬戦は遠き故郷木の芽吹く西方来人
騎馬戦の少女は紅し運動会西方来人
揺れている仔馬の脚の長かりき半右衛門
驢馬の揺れシルクロードの酷暑かなミサゴン
大花火前後左右に馬の耳半右衛門
夏馬券ときにどきどき時に密さわこ
うつかりと鎌に切れたり新馬鈴薯を遊起
韃靼を天馬渡れる雲の峰中村光声
遠雷や壁画の馬の走りだす中村光声
重きもの曳いて汗かく馬の背ミサゴン
揺れている仔馬の脚の長かりき半右衛門
駄馬の足紫陽花よける小粋さよ小兵衛
茄子の花馬の耳持つ十七歳
夕端居桂馬の差し手習ひけり宮島 千生
馬の背に遠くぽっかり夏の雲西方来人
水馬影を映して泳ぎけり 西方来人
透けるよなおちょぼ口して馬酔木かな西方来人
炎天や馬蹄擦れたるアスファルト玉裳
ちゃぐちゃぐの馬嘶ゆ地震青嵐宮島 千生
夕焼けの白馬の白嶺植田かな西方来人
馬鈴振り呻る追分若葉風宮島 千生
皐波背に坂駆け上る島の馬横浜風
大岩の馬頭観音さみだるるミサゴン
馬の耳釘付けにする南風かなさじ太
水馬はがねの水を蹴りにけり中村光声
刈萱の奥に草食む馬一頭 伊藤 勇夫
父の背を馬跳び越ゆる子の涼し隠岐灌木
馬洗ふ乗馬クラブの女学生ハジメ
木曽馬の目や一杯の秋桜岩田  勇
緑陰や馬も部員も一休み岩田  勇
雲ひとつ仔馬蹴り上ぐ牧開き中村光声
夏草や馬上を渡る風の音
木曽馬に顔なめられて万愚節岩田 勇
軽雷に種付馬の耳うごくたかはし水生
木曽馬の一家四頭青き踏む岩田 勇
木曽馬の腹すれすれに下萌ゆる岩田 勇
登山馬帰路の値引は知らぬまま隠岐灌木
峠路の馬頭観音著莪の花宮島 千生
旧道の馬頭観音草いきれ西方来人
万緑や小諸馬子唄朗々と西方来人
馬鈴薯の花を摘みおり朝日の前に西方来人
夕立に雨水溜まるポリ馬穴半右衛門