第三十七回 泥の河

岩淵喜代子 

 今となっては随分古い映画だが、宮本輝の『泥の川』は忘れられない映画である。前評判を聞いたわけでもなく、監督の小栗康平も認識していなかったし、原作も読んでいなかった。そのうえ、その映画を観るために出かけたわけでもなかったのに、ふらふらと誘われて入ったのは相当暇だったのだろうか。
 田村高廣、藤田弓子、加賀まりこ、それにもまして子役がよかった。忘れられなくて、ビデオを借りてきてもう一度見たことがあった。
そのとき気になることがあった。映画を見ていない人には通じないかもしれないが、達摩船に暮らす親子が曳航されていくのを、仲たがいしていた、食堂の子供の信雄が反対の岸から追いかけていくのだ。そのシーンが映画の中でもかなり長い。
 こういう成り行きになったのは、お祭りの夜に食堂の信雄が、その友だちのきっちゃんの達摩船に遊びに行ったからだある。そのとき、ひょんな弾みにきゃっちゃんの母親の部屋を覗いてしまった。そこには背中いっぱいの刺青の男が母親の上に重なっていたのである。それまで、生活感を滲ませた自分の母親とは違う美しい母親としての印象を抱いていたのだから、その驚きは一様ではなかった。
 母親の姿を見られてしまったきっちゃんと、美しいものを見失った信雄の亀裂はそのまま鬱屈になって、二人の隔たりになった。
 或る日、達摩船が曳航されてどこかに行くのを、信雄の母親が見つけた。しかし、信雄は動こうとはしなかった。母親は、何度も信雄を促すのだった。
やがて、信雄は起き上がると岸伝いに走り始めた。そして岸から「きっちゃん、きっちゃん」と連呼しながら走り続けた。
初めて見たとき、途中で達摩船の小さな窓が閉められる場面を確かに覚えている。それは極めて印象的な場面だった。母親の姿を見られてしまったきっちゃんの誇りが閉めさせたようにも思えるシーンだった。ところが、その場面がビデオにはないのである。そこが見たくて借りてきたようなものだったので、がっかりした。
 最近、田村高廣の追悼番組として、その映画が放映された。わたしは映画の最後のシーンでを目を離さずにいたのだが、やはり小窓が閉められるシーンは無かった。一緒に映画を観た友人に、小窓の件を聞いてみたが覚えていなかった。
 先日清水哲男さんと、その会話になったときに、あの最後のシーンの船は大阪で撮影したが、岸から「きっちゃん、きっちゃん」と追いかけるシーンは東京で撮影したのだと聞いた。小栗康平からの直接の情報だそうである。でも、清水さんも、その窓についての記憶はないようだった。
 遅ればせながら、宮本輝の原作を読んでみた。「窓ははじめから閉められていた」という文章を見つけた。なんだか、私だけの妄想のようにも思えて、不安になってきた。出来ることなら、小栗康平に聞いてみたいものである。直接逢えたら、その後の映画「眠る男」「死の棘」よりも、いい映画だと伝えたい。