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大悪人虚子の胸像夏落葉   以和於

★作者は、「初空や大悪人虚子の頭上に」という虚子自身の句を念頭に置いてこの句を詠んでいる。「大悪人」といわれると、なぜか虚子が大きな上にも大きな存在感を得てくる。その「大悪人」の胸像を打つ夏落ち葉もまた存在感を得て、降りつづけている。(喜代子)

悪党の相には非ずサングラス   岩田 勇

★サングラスを掛けると、誰でもすこし悪人っぽくなるような気がする。顔の真中に暗い穴ぐらが二つ出来たような表情は、お面とはちがう変身の仕方でもある。なのに、そんな変身ぶりをしてもなお且つ悪党の相に遠い顔。自画像なのかもしれない。(喜 代子)

母の日や悪妻賢母猫抱いて   かよ

★妻としての自分を名乗る時には、大方の女性が悪妻という。そう言いながら、なぜか誇らしげである。だが、母親を名乗る時は賢母を自認する女性が大半である。ここでの、猫を抱いている悪妻賢母は作者の自画像かもしれない。そう、悪妻であろうと良妻であろうと、賢母であろうと、愚母であろうと、母の日はやってくるのである。(喜代子)

悪友の我は悪友ビアガーデン   啓三

★一読後大いに共感。悪友と称する親友に、悪友と思われることの面映さと誇らしさ。信頼できる上司像も、頼りがいある父親像も全部蹴飛ばし、今日は悪さしたあの頃に乾杯のジョッキを掲げましょう。私も思わず乾杯♪(あき子)

悪童の花の下にて二刀流   魚野

★ペコンペコンのプラスチックでできた刀である。何やら神妙な面持ちである。降りしきる桜を相手にしているようである。紅潮する頬が見えるようだが、しかし、チャンバラゴッコという遊びは今もあるのだろうか。先日遊びにきたタクヤ君は、二歳なのに正座して「どーも」と挨拶してくれたのだ。(あき子)

悪態を投げて投げられ宵祭   晴雨

★宵祭とは祭りの前夜に行われるもので、宵宮ともいう。明日の祭りを控え、ここに登場するのはご近所の方が多い。そこで悪態を投げ合うとは穏やかでない。これからの近所づきあいが懸念される一句である(笑)。
ところで先日、天狗について調べものをしていた際に妙なお祭りを見つけた。13人の天狗の後を罵詈雑言をまくしたてる行列が続く茨城県の悪態祭という奇祭である。(あき子)

鯉のぼり善しも悪しきも腹に入れ   樫本一美

★大人になるとそう簡単に泣いたりできない。誰かを悲しませると分かっていることだって、笑顔でやっていかなくちゃいけないこともある。そんな自分を持て余す時、真っ正直に風に吹かれる鯉のぼりが、やけにまぶしく映るのだ。(あき子)

悪戯を詫びそびれ花散り始め   塚田はるみ

★悪戯もあまり相手が乗ってしまうと、真実を言いそびれてしまう。何処で修正しようかときっかけを待っている作者の戸惑いが感じられる。ここでの悪戯は多分相手を喜ばせるようなことだったのであろう。だから尚更、それに水をかけるようなことは言いにくい。作者の困惑を揺らすように桜が散りはじめていた。花びらの小さな白さが優しさをあらわしている。(喜代子)

筋金の性悪女葱坊主   坂石佳音

★「筋金入り」ということばがある。精神、身体ともに堅牢なことである。ここでは性悪であることに論理を持っている女、ということだろう。言い換えれば世間的に性悪であろうと、自分自身にとってはそうした生き方こそが最善なのである。理解してくれるのは葱坊主だけである。それでもいいではないか。(喜代子)

悪戯と思はせやうか万愚節   坂石佳音

★万愚節とは、四月一日に限って嘘をついても許される日のこと。ヨーロッパ起源の風習だが、生真面目な日本人にはあまり浸透していない言葉でもある。「悪戯と思はせやうか」とは、無邪気な言葉のようでそうではない。おおきな屈折感を持っているのである。伝えたい気持を躊躇って、悪戯と見せかけながらの相手へ本心へ吐き出してしまいたいのである。この日でなければ言う機会を無くしてしまう。(喜代子)

春の塵火星は悪い男かな   岡村知昭

★この句の「火星」から「悪い男」までの飛躍に戸惑っている。戸惑いながら立ち止っているのである。火星には四季があるのだそうである。ある季節には地表の塵が大規模な塵雲を生む。塵が雲成す状態がどんなものなのか、想像がつかない恐ろしいもののようにも思える。春塵の季節になると、そのとてつもない火星の塵雲が思い出される。男からみれば女、女から見れば男はどこかつかみ所も無いにもかかわらず、大きな存在なのである。(喜代子)

悪運も尽きたか天に聞いてみよう   ひねもす

★そうである。人はときどき絶望的になるときがある。それでもこれ以上先がないような絶望感は、かえって心を落ち着かせるのかもしれない。天に聞いてみようと思うときには、本人の心の底にはよい答を待つ願望があるのだ。なにか良い知らせがあるような予感があるのだ。この句に季語があれば、作品はもっと広がりをもつのではないだろうか。(喜代子)

悪童になれや初孫青き踏む   徳子

★私が子供に持つイメージは、いつでも野球帽をかぶり、膝小僧にかさぶたつけて走りまわっている。外が雨ともなると無尽蔵な元気を、畳の上やらベッドの上でジャンプを続けたり、電気をつけたり消したりをどれだけ早くできるかに鋭意努力し、何をしてもなぜか「こらっ」と叱られる。そんなお母さん方の言う「うちのは本当に悪くて」の困った顔は、ほんの少し誇らし気である。おそらく現在は激減しているであろう愛される悪童に、ぜひ育ってほしいものである。(あき子)

切り口を焼け悪友の紅き薔薇   かも

★長持ちさせるためとはいえ、美しく咲く薔薇の切り口を焼くとは、残酷な行為だ。それも、お花屋さんのHPを回ってみると、ちょっとやそっとの焼き加減ではない。以下は花gardenさんに「お花を長く楽しむ方法」として書かれている文章である。
「切り口2cmくらいをガスコンロ等で墨になるまでしっかり焼く。焼いたら、冷たい水のなかに入れてください。ショックで花の先まで水があがり、また元気になります。」
美しい花籠をあしらったHPのなかに、こともなげに書かれているギャップにも動揺する。しかしこの記事を知ると、掲句が恋人からでも、友人からでもなく、悪友からもらったという事実が妙にしっくりくる。(あき子)

人聞きの悪い夢あり土筆生ふ   長谷川晃

★「人聞きの悪い夢」と聞いて、朝起きて「ヘンな夢見ちゃった」という感じかと読んでいたが、いや「もしもこうなったら」の夢なのかもしれないと読み直した。すると、なんだか愉快なのだ。他人には「くだらない」と一蹴されるようなことなのか、ともかくちょっと人には言えないようなことを、ずっと胸に秘めているのだ。土筆が密やかないたずら心を誘う。(あき子)

悪の字の顔になりゆく春の宵   やすか

★「悪」の字を見つめてみる。「亜」は何だか眉間に皺を寄せている目鼻立ちに、「心」が髭に、なかなかの強面である。そのうちどの字も全部顔に見えてくる。しかめ面、含み笑い、おすまし顔。薄く暮れる春の宵のなかで、鉛の兵隊のような文字たちに取り囲まれている。(あき子)

悪しき癖継ぐ者持たず鳥曇   木花

★そろそろ渡り鳥たちを見送る季節である。まだ首に灰色を残した子供の白鳥も初の長旅である。それぞれの白鳥がこの地で夫婦になり、親子になって帰って行く。わが身に引き寄せて考えてみると、曇天がことさら胸にせまる。(あき子)

悪霊がついてた話目借時   宇都宮南山

★この「蛙の目借時」という季語、春の眠くてたまらぬ気分を「蛙が人の目を借りていくのだ」というのだから、実に妙だ。掲句の「悪霊」という禍々しい言葉も、この「目借時」の妙味で、村の噂話でもしているようなのどかな様子となる。姿かたちが擬人化しやすいからか、蛙は絵画や物語りに頻繁に登場する動物でもある。鳥獣戯画で相撲を取る蛙の姿や、グリムの童話の『蛙の王子』、最近では『千と千尋の神隠し』でも、蛙の番頭さんが出ていた。(あき子)

悪筆の直らぬ教師鳥雲に   米川五山子

★いつも不思議に思うことの一つに、文字の上手い人が書道教室に通うことである。本当は下手な人ほど通うべきだと思うのだが、そうではない。悪筆の人は人の前で文字を書くのさえいやなのである。それが教師であるというのだから悩みは大きいであろう。悪筆なら人後に落ちない私としては他人ごととは思えない。「鳥雲に」は春になって北へ帰るわたり鳥が、雲の中に見えなくなる様で、「鳥雲に入る」というのが正確である。卒業期の教師の胸の中にも鳥雲が渦巻いていることであろう。(喜代子)

悪童へ春雷一喝割烹着   麻子

★夏になれば慣れてしまう雷も、春はことさら身に響く。響きながらも季節の動きを鮮明に感じ取る現象だ。何にも驚かない悪童たちもきっと身がすくんでしまうことだろう。悪童と言いながら、何かあたたかな空気が流れているのは、春雷の季語の働きである。座語に唐突に置かれた割烹着の白さが際立っている。或る日のあるときの、子育ての家庭の一場面が春雷の中にくっきりと浮かび上がっている。(喜代子)

三月や悪と名指されゐたる国   平田雄公子

★「悪と名指されゐたる国」は、戦争を仕掛けられている国をさすのか、仕掛けている国を指すのかはここでは触れていない。もっと言えば、作者は戦争ということばも使っていない。しかし、一句のなかに戦争の匂いを嗅ぎ取ってしまうのは、「名指されてゐる国」ということばで表されている、自他の国が出てくるからである。本当はどちらの国が善なのでも悪なのでもない。「戦争」が悪なのである。作者もそのことを言いたいのだ。三月十日は東京大空襲の日である。(喜代子)

ごんずいのかたまつてゐる悪だくみ   きっこ

★「ごんずい」と呼ばれるものに、植物の「権萃」と魚類の「権瑞」がある。ここではもちろん後者で、春の魚である。先日、品川や、浜離宮あたりの川に、鯔の大群が川幅いっぱいにひしめいている写真が、新聞に載っていた。立錐の余地もないとはあんな風なのではないかと思うくらいに、押し寄せていて、大きな意思を感じさせた。鯔も黒いが、「ごんずい」も黒く「なまず」に似た姿をしている。その上、ヒレには毒があり、刺されると激痛が走るようだ。その痛さもまた、「悪だくみ」のことばを引き出してきている。本当は、「悪だくみ」を計るのは、魚ではなく人間なのであるが。(喜代子)


予選句

炎暑かな悪人正機といふがなほ岩田 勇
悪たれし十八の夏セピア色舞姫
陽炎や悪人正機といふがなほ岩田 勇
悪玉を減らす速歩や風薫る岩田 勇
香水もまた悪臭となりにけりハジメ
五月闇育つ悪玉大腸菌以和於
悪ガキのうふふふふふと五月闇野乃野帳
悪の華俳句は切字黴の華野乃野帳
サングラス叱ればすねる悪い癖かよ
風ひかる悪童になり山駆ける樫本一美
悪役を演じきれない凡夫なりひねもす
悪童の夢見果てしやシャボン玉中島慎介
花残花少し萎れて悪びれず晴雨
目配せで悪だと気づく帰省の子晴雨
悪友が教えてくれた社会学杵島太郎
春塵に悪は消えたか足りないかほたる
悪しき我たけのこになり皮剥れ樫本一美
悪行と賤しまれつつ花の雨木花
春の月甘い響きの悪い人舞姫
悪妻は独りで成らぬつれあいよひねもす
酒癖が悪くだいなし花見かな杯来(はいらい)
幸せが欲しくてひとり悪あがきひねもす
悪玉のふえゆく身なり桜餅つと無
悪の華いだきし手あり春愁ひ時田真朱
悪筆を遺伝ときめし梅花御供渡辺
春寒やリストラ恥じぬ悪代官中野一灯
美の匂い感じた十代「悪の花」ひねもす
梅月夜悪世のニュースきなくさくたかはし水生
鞦韆や悪しき妄想とめどなく
春よ春悪阻男となりにけり坂石佳音
悪相の蝦蟇が告げ来し春の声半竹
恋猫の熟寝ひっ裂き悪びれず渡辺時子
啓蟄の当り屋毫も悪怯れず米川五山s畢子
接木する心の悪を楽しめりかも
偽悪てふ奥の手のありサイネリヤ平田雄公子
悪いわね声太に言う遅日かなやすか
出来悪きものの愛しき土の雛きっこ
悪酔いや悔いを照らすか春の月三浦半竹
春光や消え失せにけり悪寒かな三浦半竹
悪相をなおも引き立て春一番三浦半竹
悪童の列や堂々雪解道三浦半竹
春昼や悪手たちまち咎められ
紅梅や日陰は悪のごと暗く器楽