映画『沈黙の春を生きて』

地下鉄はあまり好きではないのだが、目的地に近い出口の案内が出ているのが、方向音痴の私にはありがたい。道だけではなく乗り換えもさっぱり覚えない。神保町に行くのに携帯で検索すると必ず丸の内線淡路町経由で都営新宿線というコースの案内がでる。市ヶ谷経由で都営新宿線だと思っても不安になってくる。時間をずらしても、朝霞からの検索は何故か淡路町経由が表示される。それだと二回も乗り換えなくてはならないのに。上映開始時間ぎりぎりだったので迷いたくない。

映画『沈黙の春を生きて』はアメリカ軍によって、1961年から1975年まで散布され続けた枯葉剤によって続出した奇形児の惨状である。このことでは日本ではベトちゃんドクちゃんの愛称でニュース欄で幾度も登場した。下半身がつながった結合双生児の写真は衝撃的だった。

しかし、このベトナム戦争の惨さ、この双生児の背景を当時ほとんど認識していなかったことを、改めて映画は教えてくれた。監督坂田雅子は以前『花はどこへいった』を制作し、今回の映画はその続編と言ってもいいドキュメントである。枯葉剤被害はベトナムの人々だけではなく、アメリカ兵士にも及んだ。映画の主役はベトナム戦争に遠征したアメリカ人を父に持つ障害を持った女性。その彼女が同じ障害をもつベトナムの人々を訪ねる実録である。

改めて広大なベトナムの森林に飛行機で枯葉剤を散布してゆく光景の残酷さに驚いた。ベトナム戦争と言えばもう30年以上昔になるわけだが、朝霞には当時まだ町の中心を米軍が占領していた。その米軍基地の中に病棟を建設してベトナムからの負傷兵をヘリコプターで運びこんでいた時代があった。その隣にあった小学校からその運び込まれる負傷兵が丸見えだったことから、町は学校を別の所に建て替えたのである。

だが、この枯葉剤は現在もまだ沖縄に在るかもしれないらしい。1998年に米軍復員兵が沖縄で枯葉剤を浴びたことで補償を受けている。2009年には移送された科学剤のなかに枯葉剤が含まれていることを認めている。2011年には日本外務省は米国防省に沖縄に枯葉剤の貯蔵についての再調査を依頼している。『沈黙の春を生きて』は過ぎた話ではないのである。

今日は東京でセシーム値の高い地域があるということで、その周辺通学路を迂回させていた。こんなに影響力があっても政府は日本から原子力発電を無くす方針には踏み切らない。踏み切りたくないから管降ろしがあったわけだろう。

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