5月21日の金環食は見たのだが、その後の6月4日の月蝕も6日の見ることなく過ぎてしまった。その最中の「ににん」47号の編集も無事完了して今日印刷所に入った。このごろ締め切りに届かない原稿にやきもきしない。してもしなくても集まるものは集まるし集まらないものは集まらない。夕べは「読む会」の河東碧梧桐に参加して深夜の帰宅。それから最後の一人の原稿の校正をして筆者に送って一日から解放された。おかげで、もう、お風呂に入る気力もないまま就寝した。
昨日の「読む会」のテキストは岩波文庫で昨年10月に出版された『碧梧桐俳句集』を使用。この本が出ることは加藤郁乎賞受賞式に参加したときに聞いていた。岩波の編集者自身が「二千句くらいの句集を計画していますのでよろしく」と挨拶していた。同じテーブルの奥坂まやさんと「文庫版はいいわねー」と頷き合った。あれから2年くらい経っている。文庫本は手近かに持ち歩いて読めるという利点はある。
この本が出ていれば「ににん」の碧梧桐を語る座談会も共通のテキストにしたかもしれない。碧梧桐の作品は時代によって全く変ってしまうので、碧梧桐の何の焦点をあてるかを決めないと選びにくい。こんなに作品の読み方が変遷した作家はいないだろう。そういう意味では虚子とは正反対である。もっとも指導者が碧梧桐だったら弟子はついていけないで右往左往してしまうだろう。虚子の主張が俳句界の中枢を成した理由の最大の原因はここにある。
石鼎が頭角を現した大正の初めには碧梧桐はすでに破調の句作りに移っていたので、碧梧桐と顔を合わしたことはなく、眼中にもなかったかもしれない。碧梧桐は旅を続けながらの作句だったが、
新聞を買ふ宿に桑の捨値を聞く
などという句を作っていたのはジャーナリストだったからだ。旅をしながら放哉や山頭火のように隠者的な句はなく、軽やかかな明るい空気が漂っている。
公園に休み日南の犬の芒枯れ
ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く
窓の高さのすくすくとしてゐる冬木
窓の高さのすくすくとしてゐる冬木
見逃しましたがいい句ですね。
句柄から人物の魅力が推し量られる、後期の碧梧桐句にはそんなところがあります。
洋行を共にするなら虚子とか碧梧桐とか、という話も面白かった。一緒に歩くならヘキゴです、絶対。
うさぎさん、
碧梧桐を理解するには碧梧桐の俳句の叙述法、あるいは呼吸法のキーを見付けださなければいけないのかも知れませんねー。
そのキーによっていろいろな展開が生れるかも知れない不思議さを感じる作家ですね。