( かなかな)とはひぐらしの鳴き声で、(ひぐらし)(ひぐらし蟬)とも呼ぶ蟬の一種。夕暮れになると金属音のひぐらしの声が森の中を貫き始めると、あたりはそのかなかなという声の他には聞こえなくなる。(他を黙らせて)はそうしたひぐらしの音に耳を傾けている作者に行き着く。他に(頬杖や生きのびてきし冬日向)(二手二足たがひちがひに秋の道)など。松山足羽第七句集『究むべく』2016年 東京四季出版。
2016年6月3日 のアーカイブ
かなかなのかなかな他を黙らせて 松山足羽
2016年6月3日 金曜日後ずさりして見る実梅あるわあるわ 能村研三
2016年6月3日 金曜日実のなり初めは,木の葉の色に紛れていて見ようとしないものには姿を現さない。それがひとたび実が成っていることを認識すると、個々の青い実がみんな形を表わしてくる。さらによく見ようと後ろに下がって、一木を視野におさめてみれば隅から隅まで青梅が青い実を丸々と付けていた。思わず(あるわあるわ)と感嘆の声が出てしまったのだろう。日常雑記的な風景を詩情濃く俳句に置き換えた。(能村研三第七句集『催花の蕾』 2015年 (株)KADOKAWA)
桑の実やむくむく育つ山の雲 黛 執
2016年6月3日 金曜日むくむくが眼目だろう。雲のむくむくと育っている遠景がいつか眼前の桑の実の形状に繋がって夏のさかりの真昼を描いている。(烏瓜ぶらりと山の晴れわたる)(沖くらし暗しと猛るどんどの火)など、村の風景が随所に詠まれている。この一冊の中に『春の村』が
詰まっているという感じがする。(黛執第七句集『春の村』 2016年 角川書店より)
7月の水のかたまりだろうカバ 坪内稔典
2016年6月3日 金曜日カバより大きな動物はたくさんいるのだが、なぜか、この世のカバの大きさには無駄を感じるのである。なぜか、象の大きさは納得できるのにカバの大きさに納得できない。
それほど大きく感じるということでもあるのだが、やはり形状のためかもしれない。
水の塊、と言われるとなるほどと頷いてしまう。だぶだぶとしたその体が自在に変化するような気がする。
『坪内稔典100句』 2016年 創風社出版