2012年10月 のアーカイブ

『松の花』2012年10月 松尾隆信

2012年10月3日 水曜日

現代俳句管見 句集より   筆者斎藤良子

句集『白雁』 岩淵喜代子
 万の人間の一人として万の鳥の一羽を詠む。 等身大の人生から、ユーモアの歩幅とペーソスの歩速で抜け出してはまた、岩淵喜代子は地上の船に還ってくる。(清水哲男 帯文より)

  水無月の平手にあたる馬の胴
  野馬追の武者を差し出す大藁屋
  青鷺の飛び立つときの煙色
  深閑と蓮にぶつかる蓮見舟
  大南瓜椅子に置かれて幾日か

 馬の句が四句野馬追を詠っている。 福島県浜通り北部は旧相馬藩領で、野馬追の神事と祭が行われるが、神事は国の要無形民俗文化財に指定され、東北六大祭の一つにもなっている。現在は神事と祭は分離され別々に行われている。平将門の時代の軍事訓練が元といわれる。

  雁渡し仏も影をつくりけり
  かりがねの夜も一列の藁ぼつち
  水霜や裏表紙へと絵のつづき
  万の鳥帰り一羽の白雁も

 句集名は〈万の鳥帰り一羽の白雁も〉から採用したとある。
 日本には冬鳥として稀に飛来するようだが、嘴と足が桃色、風り羽が黒色の他、青色型も居て、胴体や翼の羽衣が淡々灰色や暗青灰色も居る。

『遊牧』2012年10月号 主宰・塩野谷 仁

2012年10月3日 水曜日

好句を探る   筆者 板間恒子

 次郎より太郎がさびし桐の花    岩淵喜代子

岩淵喜代子句集「白雁」より。
太郎・次郎と言えばすぐ三好達治の詩が浮かぶ。

 大郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。(雪)

 この場合の太郎・次郎は、日本のごくありふれた伝来の名前である。太郎の家にも、次郎の家にも音もなく雪が降り積もる。民話風でノスタルジーに溢れている。
 掲向の太郎・次郎も子どもの代名詞だが、「より」という助詞によって二人の間には格付けがある。太郎は農家の長男・次郎は次男三男。「家」制度において土地を独占的に相続する太郎。土地から切り離される次郎。しかし「家」制度の崩壊、農村社会の崩壊によって二人の場は逆転したと言えそうだ。家と近代的自我との葛藤に苦しむ太郎。太郎の心象は淡紫の美しい「桐の花」によって際だつ。桐は成長の早い木、材は軽く狂いが少ない木として古くから植栽されてきた。「さびし」という平仮名表記、「び」という濁音も含めて幽かに響く音。太郎・次郎という平凡な二語で今を表現した。

『遊牧』2012年10月号 主宰・塩野谷 仁

2012年10月3日 水曜日

好句を探る    筆者清水 伶 
 
万緑の隙間のごとし黒衣着て  岩淵喜代子

 「俳句四季」九月号巻頭句より。句集『白雁』をこの四月に上梓され、代表をされている同人誌「ににん」のブログ上でもその評価が高く、各誌からの転載が華やかである。
 揚句、爽やかな緑溢るる明るい日射しの中で、黒衣を纏ったときの自分の存在感、あるいは今自分の居るこの場所を「万緑の隙間」のようだと思う感覚。生命力の漲る万緑の自然界、それに対し「黒衣」に象徴される死は、われわれの思考や行為が生み出す世界とは全く懸け離れた世界である。私たちは死へ向かって何事を企むことも図ることもできないが、実は、この生もまた企みようがないのである。いまは、私たちはただこの生命を満たして、多くの魂へ供養を張るしかない。
 万緑の隙間の暗がり、万緑の下の暗がりに展ける時空は、このような予兆に満ちたものであることに違いない。私たちは、あの震災以来、こころに深い悼みを抱えてしまった。この地上の生命は絶えず変化を続けているのに、その中で私たち人間の考え、思想だけが、停滞し澱んでいる。

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