‘他誌からの転載’ カテゴリーのアーカイブ

一つづつ鬼の顔めく修二会の火   岩淵喜代子

2015年5月19日 火曜日

『俳句四季』四月号(花辛夷)より

東大寺二月堂で営まれる修二会は約一ヶ月を費やす一大悔過会です。火の行と言われるだけあって修二会には大小いろいろの松明が燃やされ、中でも籠松明は特大です。

一日から十三日まで毎夜十本(十二日は十一本)の籠松明を連行衆が担いで石段を登り、舞台廊の欄干から突き出して振り回します。火の玉となっている籠松明は轟々と音をたてて燃えさかり、渦巻く火の塊は人間の穢れを焼き、煩悩を吹き払い、自らの業も焼き尽くすかに燃えに燃え、その形相はまるで鬼そのものです。

十本あるいは十一本と鬼の顔をした火の玉が次々現れては間に消えていく。修二会が終われば関西に春がやってきます。

筆者・下田育子 (「諷詠」5月号  現代俳句私評)

霜柱踏めば輝く近江かな   岩淵喜代子

2015年5月1日 金曜日

筆者 引間智亮  (「鷹」2015年5月号より転載)

これも地名と水が成功している。近江というのは琵琶湖と近江の地、両方を指す。
霜柱を踏むという朝の日常の行為から湖の輝きに気づく。 同時に霜柱が辺りに散らばるこの近江の地も輝きに満ち ていることを発見する。寒い朝の少し心があたたまる光景だ。(ににん57号ににん集より)

人はみな闇の底方にお水取    岩淵喜代子

2015年5月1日 金曜日

筆者 蟇目良雨   (「春耕」2015年5月号より転載)

奈良東大寺二月堂の 縁下に集まっ て人々はお水取りの 行事 の 始まりを待つ 。二月堂内では練行僧による修二会が行われ、 夜八時ころの 初夜を過ぎると堂縁を大松明が走る。堂の下に 集まっ ている人々は降りかかる火の 粉に歓喜する。お松明が 無くなればまた真の 間に取り残される。みな闇の底方に居てお水取りを見守る。(「 俳句四季」2015年4月号花辛夷16句より)

冬桜ときどき雲のつながれり   岩淵喜代子

2015年1月20日 火曜日

筆者 ・上原重一
『峰』2015年2月号「俳句月評」より転載。

『俳句 α』⒓月・1月号の「今月の俳句」欄七句より。
冬桜は十一月頃から一月頃にかけて咲く桜。冬の雲がぽっかり浮かんでいるのがときどき繋がったりするのだ。心を同じくする友に出会うような気分。何とも言えず楽しい風景だ。満足するまで冬桜に見とれている作者。

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」』

2015年1月11日 日曜日

「篠」171号より転載  筆者・『篠」副主宰 辻村麻乃

「鹿火屋」で原裕氏に師事されていた作者は二〇〇九年に『評伝 頂上の石鼎』で自分なりに感じた石鼎についてまとめている。 この『二冊の「鹿火屋」』では、そこでは触れ切れなかった石鼎の知られざる側面について論じており、大変興味深い一冊である。

虚子の門下にあって天賦のオ能のあった石鼎の復活が俳壇で起こらなかったことへの疑問からの虚子と石鼎の確執、深吉野抄 下四十七句の反響、『言語學への出発』への執着、昭和十八年からの病状、「神」の句の索引作り、そして石鼎のためだけに発行されたもう一つの「鹿火屋」の謎を解き明かしていく。

第一部の考証「原石鼎の憧憬」と二部の復刻、二冊の「鹿火屋」の原本資料、三部の寺本喜徳氏、土岐光一氏そして作者との鼎談から成り立つている。

「鹿火屋」創刊直後に石鼎は「人間は神や佛ではないので先の予測もつかないし、その真実を正確には掴まへられない。」と書いている。そこから作者は「石鼎の神認識は自然信仰という括りが当てはまる」と述べている。

作者も触れているが、娯楽の少ない当時の出雲では、神楽を子どもたちが真似をする「神楽ごと(神楽ごっこ)」とがとても楽しみな遊びの一つだった。その古くからの地域性も石鼎に神を詠んだ句が多いことの背景にあることも示されている。

水打つて四神に畏(おそ)る足の跡  大正三年
頂上や殊に野菊の吹かれ居り     大正元年

この大正元年に野菊を読んだ鳥見山が、古代より神と交わることのできる霊時の場であったことを知った経緯についても「鹿火屋」昭和六年十月号から検証されている。この年の九月に吉野から鮎が届けられた際に同梱されていた森口奈良吉著『鳥見霊時考・吉野離宮考』の一書がきっかけである。そこから深吉野と出雲が繋がることを喜ぶ内容が「深吉野抄 上」に示されている。そしてその続きが石鼎だけのもう一つの「鹿火屋」の「深吉野抄 下」に繋がっていくことを作者は示している。

その中の「消息」の「私にとって皆由緒有之」とは「出雲、深吉野、二官を記紀によって一つの時空に繋げることの歓びのことばである。」と作者は解釈している。

昭和八年二月号の「鹿火屋」に石鼎は「あやかりの歌」という試作の詩を発表していることも興味深く読ませて頂いた。これも韻律にこだわる石鼎だからこその詩のように感じられた。第二章の資料の石鼎用「鹿火屋」の「青雲草」の「土佐辮と出雲辮」で、様々なものから隔てられた土佐に古くからの発音が残っており、それが出雲にも当てはまることや、子音をローマ字表記をしてまでこだわり、小鳥三題の詩も韻を踏んだ軽いリズムの英単語を入れていることからも分かる。

詩人、谷川俊太郎氏も、FM局でのインタビューで、詩は言葉そのものよりも、そこから生まれるリズムによって表現するもので、音楽には敵わないと話していた。それでも、当時この韻律における深い考察及び散文は、石鼎用の「鹿火屋」の方に書かれていたのである。

このように隅々までこだわつていたものの、戦争の影響で廃刊の危機に晒され、国の情報局からの統合整備指導の中「平野」と統合することで免れた経緯も書かれている。

そして、このような「鹿火屋」自体の流れでなく、石鼎自身の動きについては、青年期までは『石鼎窟夜話』にあるが、後年は原コウ子氏『石鼎とともに』で間接的に伺い知ることしかできない。その意味でも、「手簡自叙博」の含まれる石鼎用「鹿火屋」の存在と考証した本書は大変貴重な著書なのである。

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」ーー原石鼎の憧憬』 邑書林  

2015年1月5日 月曜日

受贈誌紹介  筆者・河村 正浩

岩淵喜代子「ににん」代表の評伝『頂上の石鼎』に続く原石鼎の研究所である。大正六年、高浜虚子によって世間の脚光をあびた原石鼎は俳壇から消えるのも早かった。病弱でもあり晩年の動向はあまり知られていない。その石鼎について調べるうちに、石鼎にのみ読ませるために造られた「鹿火屋」が二冊(昭和十六年十月号、昭和十七年一月号)著者の手許に届いた。

つまり一般用配布とは別に石鼎のための「鹿火屋」が活版印刷で作られていたのである。本書はこの二冊の「鹿火屋」を中心に三部構成となっている。古野時代、代表句ともいうべき(頂上や殊に野菊の吹かれ居り)の背景など。

又、石鼎が出雲生まれであることから、神との交感、記紀への関心を伺わせる句から郷土信仰へと言及されている。この二冊の「鹿火屋」が実物と共に復刻掲載されている。更に寺本喜徳、土岐光一、岩淵喜代子三氏の鼎談も掲載されており興味はつきない。

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」ーー原石鼎の憧憬』 邑書林   

2015年1月5日 月曜日

『椎』2015年1月号

書架光彩56  筆者・戸塚 きゑ

頂上や殊に野菊の吹かれ居り
淋しさにまた銅鋸うつや鹿火屋守
秋風や模様の違ふ皿二つ

多くの名句を残した原石鼎(明治一九〜昭和二六)は、出雲市生まれ。中学の時新任教師で子規門の俳人竹村秋竹の影響を受け俳句を始めた。京都医専に行くも文学との葛藤で中退。深吉野で医院を営む兄の手伝いをしながら吉野詠をホトトギスヘ投句、虚子から激賞された。

大正四年ホトトギスに入社し俳旬に専念、大正俳壇の雄となった。しかし、二年で退社。同十年「鹿火屋」を創刊し主宰。同十二年頃から精神も健康も不安定となり、やがて隠棲生活に入る。

石鼎には神の句が多いが、それは出雲への郷土信仰による。神を強く意識し執筆欲ばかりが旺盛になっていった。神に憧れ、呆ては神そのものの世界へ紛れ込んでいく石鼎。「鹿火屋」の編集部は、思うまま書かせ、それを発表する場として石鼎だけに見せる『鹿火屋』を造本した。昭和十六年十月号と十七年一月号の二冊である。

筆者は、この二冊の復刻版を掲載し一般用との違いを克明に考察している。また深吉野時代の句群や神を詠んだ句の背景等も詳らかに記述してあり、内容が濃く読み応えがある。石鼎の知られざる部分を解明した貴重な一書である。

誰へともなく買ふハガキ涼しかり   岩淵喜代子

2015年1月5日 月曜日

手軽な文通の素材たる「ハガキ」である。時として、「誰へ」と言う当てが無くてもハガキを購入するもの。人との交わりは、ハガキ一枚がきっかけの場合もあり得るのだ。表裏に記載の無いハガキも「涼し」気である。(鑑賞・平田雄公子   「松の花」  平成二七年一月号  現代俳句管見 (191))

●「ににん」2014年夏号 55号〈季刊〉

2015年1月5日 月曜日

『太陽』平成二六年十二月号
他誌拝見       筆者・迫口あき 

平成十二年秋、埼玉県朝霞市にて岩淵喜代子氏により創刊。代表岩淵喜代子。師系原 裕。「同人誌の気概」ということを追求していきたいと。

氏は『評伝 頂上の石鼎』から四年後、『原石鼎の憧憬― 二冊の「鹿火屋」』を出版された。「ににん」では毎号兼題による作品集「ににん集」と自由題による「さざん集」の二集が設けられている。今号には別に佃島盆踊各十二句も。

代表の句五句を
上げ潮や更けて膨るる踊の輪    岩淵喜代子
踊の輪ときに解かれて海匂ふ
踊櫓古老は牙のごとくたつ
昼寝覚め尾のあることを思ひ出す
竹夫人抱くは胸を冷やすため

潮も満ち、月は中天に。「膨るる」に月光の海原と盆踊の高揚とが寸分の隙なく伝わってくる。一息入れ、輪を解いて休む踊り手。海からの風が潮の匂いを運んでくる。海の向こうには補陀落があるという。

そこからの匂いとも。極楽からも地獄からも盆には帰つてくる精霊.なれば称え迎え慰めるのが盆踊である。櫓の頂上で錆び錆びと唄う古老。背筋もぴんと張り揺るぎない姿勢cそれを「牙のごとく」と喩えられた比喩の的確さに魅了される。

昼寝覚めの半覚醒のまま、自分の有り様が掴み難いことがある。尾のあつた古代の国栖人か、カンブリア紀の生き物か。昼寝覚めの茫洋として異界のものになつた気分には大いに共感を覚える。胸中の炎を鎮め難いことがある。竹夫人を抱いてあの籠の中に吸い取らせよう。

同人の作品より

シネマ出て鯰のごとき笑み浮かぶ    高橋寛治
花曇文末さりげなくやさし     大豆生田伴子
竜の巣と確信したり積乱雲      木佐梨乃
ラムネのむ瓶の底より空が見え    服部さやか
鳥麦熟れて口笛吹く少女       浜田はるみ

「鯰のごとき笑み」とは思わず「瓢箪鯰」の謂いを思った。可か不可か、気になるなあなどにたりとされている顔と心。さりげないやさしさは嬉しく、心にしみる。積乱雲、今年の異常気象にはぴたり。悪竜の棲む雲である。入道雲は優しくおだやか。ラムネの瓶の底の青緑色は夏空の色。

金色に熟れた烏麦畑。口笛を吹く少女、ヨーロツパ風の恋の景色。新鮮で晴れやか。表紙には子規庵のスケツチ。ガラス戸越の糸瓜だなと子規愛用の机、筆皿、句帖など達者に描かれている。

「ににん」には高橋寛治、田中庸介、正津勉の三氏による連載評論があり、沢山の示唆を頂いた。

夜光虫の水をのばして見せにけり    岩淵喜代子

2014年11月1日 土曜日

筆者 七種年男

(俳句界9月号「特別作品6句」から)夜光虫は海洋性のプランクトンの一種だが、夜になると光って見える。海一面に広がり波に揺られている様子を水をのばしていると表現した。
「見せにけり」と言ったところに夜光虫が生命体であることを強く意識させる。静かな主張を感じる好きな句である。
『沖』11月号現代秀句鑑賞

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