大寒

歯医者の予約が10:30分なので、それに合わせて起きなければと思ったが、昨日と違って今朝は特別寒かった。
歯医者の手前に花屋さんがあって、硝子越しの黄色味を帯びた小さなつぶつぶが、実なのか蕾なのかと近づいてみたが、よく分からなかった。蕾だとしたらミモザかなーと思いながらそこを離れると、「おはようございます」と前から来る背の高い若い女性がいう。

 私に声をかけているのかと思ったが、見知らぬ人。そう思っていたが、相手は更に「おはようございます」と繰り返した。近付くと麻乃ちゃんだった。岡田史乃さんの娘さんである。麻乃ちゃんには数日前に会ったばかりなのに、分からなくなるのは、近眼のせいばかりではない。若者がみんな同じように見えてしまうのだ。
「これから母のところへいくんです」
「そう、私は歯医者へ。そのあと図書館。史乃さんによろしくね」と言って別れた。

俳人協会の水、木は図書館が休みのせいか、金曜日の今日はいつもより混んでいた。いつも会うのが井上弘美さん。知った人はそれだけと思っていたら、テーブルの最前列に有住さんがいた。彼女は藍生の会員で、とても詩的ないい作品を作る人だが、藍生は会員数が多いから、そんな人がうようよいるのかもしれない。彼女も知っている磯辺さんの「俳画紀行」の話をすると、帰り際に「出版社は?」と言った。

昨日で収めるべき原稿はみんな納めたので、昨夜のベットでは今日からまた書き始める石鼎さんのモードにするために,市川一男の「俳句100年」を読んだ。その続きで、今日は「ホトトギス」の大正7年から11年までを読んできた。虚子が「ホトトギス」を総合誌としての意識を持っていたようだ。独立した長谷川零余子の「枯野」・渡辺水巴も「曲水」・石鼎の「鹿火屋」などが、それぞれ一頁の広告になっているのだ。まさか好意で紹介しているのではあるまい。

それは昨夜読んだ市川一男の「俳句100年」にも、大正3年6月号に「層雲」の広告があることが書いてあった。それも一頁。それだけではない。「吾人は徒に旧を守れるを排して芸術的なる俳句を主張す。俳句は吾人が生命の表現なり。生命の日々に新しき如く我が俳句も日々新しからざるべからず」というスローガンまでかがげているのである。

この時期の井泉水とは子規忌も一緒に出来ない反目をしているのに、その広告を依頼するほうもするほうだが、それを受け入れる虚子も怜悧な事業家で大物だ。いまの俳句の世界は小さくまとまり過ぎていて破れがない。豪快な俳人は現れないものか。
とりあえず、私は今夜のために東武の地下でとびきりの大トロを買って帰った。  ににん 

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