古井由吉をずーっと私より年長者と思いこんで読んでいた。
「仮往生伝試文 」「 槿(あさがお)」「忿翁(ふんのう)」にしても、ちょっと小難しい文体のせいだったかもしれない。そうして、最初から大作家的な風格を備えた小説のせいもある。
今日の毎日新聞朝刊の文化欄のエッセイ「『断腸亭日乗』を読む」は、ことにしみじみとする文章だった。
私が「『断腸亭日乗』に興味を持つのは、この日記が大正6年末から書きはじめているので、石鼎の東京での生活と重なるからである。由吉はその荷風の日記の最後の方は、殆ど毎日1行しか書いていないことに、焦点をあてている。
1月4日 日曜。雨。後に陰。正午浅草
1月5日 陰。後晴。正午浅草。
1月6日 晴。正午浅草、帰宅後菅野湯。
ーー こんな繰り返しなる。急ぐ読者はここまでくれば、用が済んだとばかりに読み飛ばすだろう。私は1日1行ごとに惹きこまれる。行外の意を読み取ろうとするのでもない。ただ日記の主の、姿がいまにも見えそうになる。銭湯にも行く。来客もある。風邪にふせるもする。しかし、つねに歩いている姿を私を思うーー
荷風忌は4月30日である。その死に近い3月の日記は毎日毎日、天候と大黒屋にいくことしか記されていない。食べることの切実さがせまり、大黒屋までの道程が人生の果てへ歩んでいるようにも思えてくると書いている。
由吉が云いたいのは、かけ離れた人生であろうとも、わが身にゆっくりと照らし合わせて読む。これが後年の読書の味である、ということ。なんだか、人生を感じさせる。その人生についても、人間は永遠を思うことはあっても、見ることはできないし、知ることもない。しかし、寿命の尽きる間際に自足を瞬間でも感じたら、それは永遠かもしれないと結んでいる。 久し振りに古井由吉に出会ったような気がした。
死期が迫っているのに大黒屋(天丼屋ですよねえ)・・・
あの美味しいけどしばらくは「もう沢山」な感じ、それを毎日。
それしか日記に書かないってえことは確かに切実ですねえ。
京成八幡駅前の料理屋「大黒屋」には死の前日まで通い、熱燗一本にカツ丼を必ず注文していたそうです。しんぱちさんも多分そうなります。((^_^)v)
80歳くらいまで生きたはずですから、立派なものです。誰の手も借りずに亡くなったのですから。